2004年12月17日

フォトショップ・カウンセリング

今現在の僕の状態は、「ニート」という烙印を押されるものなのだろうな。「引きこもり」と言えば言えるけど言葉の響きとしては「隠遁者」と言われる方が虚栄心が刺激される。
年末の、師が走るほど忙しいのであろうこの時期にこのようなことを書くと罵倒されそうな気がするが、僕は一日中実質的には何もしていない。眠っている時間が長く、眠りは浅い。起きているときはパソコンに向かい何事かしているか、本をつらつら読んでいるか、考え事をしている。それでもお腹は減るので何日かに一度買い物へ行き、料理をしている。生産的な行動といえば料理ぐらいだ。あとは散歩をしたり、近くの本屋へ行き何時間も立ち読みしたり、カフェで読書をしたりしているぐらいだ。ごくたまに友人から電話があり話したり、食べたりもする。一週間に一人か二人といったところである。
ほとんど何もしていないに等しいのだが、不思議と退屈ではない。というより、ある意味ではものすごく忙しい。ふとした心の隙間を突かれ急に狂おしくなったり、本やネット上やメールのあらゆる言葉に過剰に反応したりしている。何かの拍子にある本で読んだある言葉が思い浮かび、力が湧いてきたと思った次の瞬間に、また正反対の言葉が思い浮かび、同じ力で逆に引っ張るので、身動きが取れない。アイデアが浮かび、これは?!と思い凝視すると途端に張り子になったりする。
こういう自分の今の状態を客観視すると悪夢としか言いようがない。実際あまりいい夢を見ていない。後味の悪い夢ばかりである。穴を掘ってはまた埋めるという無為な作業でもいいから、太陽の下で具体的な命令される労働があればいいと夢想したりする。とても忙しいのと時間が有り余るのと、どちらが苦しいのだろうか?今は思考の奴隷のような状態である。案ずるより産むが易しと言うが、つまり案ずるほうが難しいということか。なぜ命が体内で発生するかそのメカニズムを案じたり、進化の歴史を案じたり、あるいは赤ちゃんが生まれる前に生活費のシュミレーションをするのは、やはり難しい。もしかして文系大学院生の日常に近いのではないかと思い、そうなると僕も何か有意義な独学をしている気もしてくる。僕のしている事はつまり、資本主義社会への声低いアンチテーゼ、野蛮な文明から野生の思考への優雅な移行作業。経済的にはまったく無意味な存在だが、暴風域の脳内は感動的な耐風姿勢をとっている。

とはいえ、最小限の自衛手段も講じている。最近Photoshopの勉強を始めたのだ。Photoshopとは画像編集アプリケーションである。『フォトショップcs教室』という本を買い、レッスン1から順に勉強している。もうレッスン7までいった。時折あやしく物狂おしくなったときなど、あわててフォトショップ、フォトショップとつぶやき、テキストを開き避難するのである。テキストを開き、指示されるままに赤子のようにまねて、画像編集のやり方を学び、なんとかやり過ごすという方法は意外と有効であった。とにかくレッスンを一つ終えると、何かしら向上があり、それがささやかながら重大な支えとなる。「ファイルブラウザの使い方」「写真修正の基本」「選択範囲の操作」などというものを覚えることが精神衛生上は好ましいのである。「レイヤーの基礎」「マスクとチャンネル」「レタッチと修正」と覚え、確かに自分は向上している、全く無為という訳ではないと、例えそれがワラであっても必死に掴んでいるのである。これから先のレッスンの見出しを見ると、「ベクトルマスク、パス、シェイプ」だとか「2色印刷用の画像の編集」だとか書いてある。本当に自分に必要なスキルなのかと考える前に、学んでしまおうと思っている。まさに案ずるより産むが易しである。これはphotoshopのレッスンというより、カウンセリングなのだと言い聞かせているのである。カウンセリングが必要な状態なのだと言い聞かせているのである。もちろんそのうち写真を多用したおしゃれなホームページにしたいという願望があり、フォトショップは一通り使えるよと言いたいのでもあるが、フォトショップであらねばならぬという必然はない。ロシア語の勉強でもよかった。web制作ツールであるDreamweaverのお勉強でもよかった。コツコツと、思考が衝突しないような、向上が眼に見えるようなお勉強ならなんでもいいのである。

さて、今日は「ペイントと編集」のお勉強だ。
最近寝すぎなのか座り過ぎなのか、腰が痛い。

投稿者 tsuyoshi : 2004年12月17日 00:51

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