2006年05月06日

ナトリウムランプ

ナトリウムランプで照らされた写真は、カラーがすべて白黒になっていた。
そうなることは知っていたが、苦労して一枚一枚プリントしたので、やはり軽いショックを受けた。

たとえて言うならば、大好きな女の子とのデートの前に、せっかくいろいろな店をさがして服を用意したり髪を切ったりしたのに、当日いきなり裸にされ、丸坊主にされたようなものだ。かなり乱暴な展覧会ではある。教訓は、服を探す時間を、腹筋を鍛える時間にあてるべきだったということか??

作品には題名もなく、キャプションもない。作者名は床に石灰で書かれており、時間が経つと踏まれて消えてしまう。そしてナトリウムランプにより色もない。こんなに悪条件の展覧会はちょっとない。この悪条件に作品が持ちこたえられるか、というのが一つの意図なのだろう。

展覧会の意図は「生々しさ」「ラディカル」「はじまりの芸術」「暴露」などというあたりにあるのだろうが、現代アートが、「アートであるとはどういうことか」を問うたり、「ラディカル」を宣言したりすることは、考えてみれば、かなり当たり前のことだと思った。
それはある新聞が「ジャーナリスト宣言!」などという広告をするのと同じようなもので、新聞はそもそもジャーナリズムであり、現代アートはそもそもラディカルなものである。
だから、出展しておきながら言うのもなんだけれど、いま僕は軽く違和感も覚えている。
たぶん、「ラディカル」という言葉が「過激」と「根源的」との二方向にあるあたりで、違和感を感じるのだと思う。

うるさいもの、刺激が強いものは、僕にはノイズが多すぎて耳を澄ませられない。
僕は、静かで、力強いものがラディカルであり根源的だと感じる。ほんとうのことは耳をすまして、ごくささやかな声を敏感に察知するような姿勢で聞き取れるのだと思う。そして、そのような根源的な言葉は、一見とても些細でこわれやすいけれど、ほんとうはとても過激なのだ。

展覧会の意図には、共感できるところも多々あるけれど、当然批判したい部分も多々ある。でも、そういうストレスや違和感を感じさせることが、そもそもの展覧会の意図なのだろう。出展する側にとっても、見る側にとっても、けっこうキツい展覧会ではある。

投稿者 tsuyoshi : 2006年05月06日 04:16

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