2006年11月09日

「大竹伸朗 全景」展

東京都現代美術館でやっている「大竹伸朗 全景」展へ行ってきた。

もうほんとうにくたくたに疲れ果てた。
作品点数の量と質が凄まじく、くらくらした。
東京都現代美術館の企画展示室の全フロアを使い、2000点あまりが展示されているのだが、たった一人の人間がこれだけのことをやったということが信じられなかった。

少年時代からの作品をほぼ作成順に展示しているのだが、どの部屋もひとつの個展になるような完成度の高さで、しかも、どんどん変わり続けている。
彼の作品は、どの時代のものも、どの一点も一切手抜きというものがないのだが、そのように部分で見るだけでは伝わりきれないものが、2000点全部を通しで見ることで立ち現れてきて、その表現に対する覇気のような、鬼気迫るリズムが、正直苦しかった。

それから、家に帰り茂木健一郎さんのクオリア日記にある大竹さんとの対談の音声ファイルを二つ聞いた。(その1その2

大竹さんはある時期から東京をはなれ、愛媛県の宇和島の山奥に住んで絵を描き続けている。現代アートシーンから取り残され、評価されなくてもずっととにかく描き続けている。その描きつづけるというパッションの溢れるような過剰さが、言葉になりきれないもどかしい感じが、語り口の節々に見えて、ああこの人は本当のことをいう人だなと思った。
過剰であること、理不尽さ、不条理、いたたまれなさ、得体の知れなさ、続けるということ、孤独、無意識に耳を澄ますということ、もう手遅れだということ、やるしかないということ。そういうひとつひとつの言葉が、いま一番聞きたい言葉だった。

絵を描き続けなければ本当に生きていけない人なんだと思った。経済的にも、画家としても描かなければ生きていけないということを本当に受け入れているから、生きることと描くことがぴったりくっついていた。そして、正直に生きる(=真摯に表現を求める)ということのぞっとするような矛盾に真正面から向き合っているから、描いたものが作品になっているのだと思った。

矛盾から目を逸らすための言い訳は、毎日いくらでもあるのだと思う。およそあらゆることが言い訳の材料になる。
でも、ぎりぎりのところでどうにか踏みとどまり、とてつもない負荷に身を晒し続けているから、その生きるリズムのようなものが作品や言葉に乗り移るのだろう。なにか孤独な修行僧のような生き方だ。「続ける」ということの凄みを見せつけられ、背筋を正される思いがした。

投稿者 tsuyoshi : 2006年11月09日 04:37

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コメント

はじめまして。
大竹伸朗全景展の評として、
通ずるものを感じました。
音声ファイルも聞きましたが、
現存する作家だけに、生で語られる
言葉には、隣にいる人のようで
いながら、日々、言い訳無しの
不条理なものへの行動力の凄みを
感じます。
全景展は、鑑賞するというよりも
全身で浴びるような理屈抜きの
パワーを受けました。
またブログ拝見させて頂きます。

投稿者 sora_hikari : 2006年11月09日 15:10

sora_hikariさま、はじめまして。
本当に、浴びるような展覧会でした。
厚く塗られた絵などをいくつもみながら、絵の具代と食費がせめぎあっている様子などを想像していました。
変化のプロセス自体が、つまりは生き方そのものが、一つの作品になっているような展覧会でした。
そういう表現者は、一つ一つの作品の好き嫌いを越えた所で、なにか深い説得力があるように思いました。
コメントありがとうございました。

投稿者 tsuyoshi : 2006年11月09日 21:57