2006年11月15日

怪物/少年

僕は21歳のときに大学を休学し、3年半自転車で旅したのだが、最近しきりに、あのとき自分を旅立ちへと駆り立てた、あの禍々しいまでのエネルギーは何だったのだろうと考えている。

あれは選択肢のない、ほんとうに切羽詰まった思いだった。
人に説明するときに僕はよく「恋のようだった」といい、人を本当に好きになったときは理由がうまく言えないものだと説明するのだが、ある意味であれは恋に恋した末の告白にも近く、もしかするとかなり自殺に近い行為だったのかもしれないとも思う。

自分をいまいる場所からもっとも遠い場所へ放り投げてしまうという方法でしか、もう立ち行かなくなるほど切羽詰まっていたのは確かだ。幸い両親は旅に反対しなかったけれど、もし反対されたとしても絶対に旅立っていた。そうしなければ生きていけないと思っていたからだ。

問題は、なぜ命の危機を感じるほど切羽詰まっていたか、なのだと思う。
きっと、受験勉強に専念した1年間の浪人生活の影響が強いのだと思う。とにかく受からなければ自分の存在が否定されてしまうという強いプレッシャーの中で、点数化され、序列化されて評価される価値観を無意識に受け入れていた。そしてどうにか大学に入った直後に強烈な危機感を感じたのだ。
それは、怪物に骨をぼきぼきと折られ、狭い「箱」へ押し込まれていくような悪夢に近い。狭い箱に押し込まれ、徐々にその箱の中の水位が上がっていき、このままだと息が吸えなくなってしまうというような、生理的な恐怖に近い。

そういう黒々とした思いと、旅への憧れ、遠い世界への憧れが心躍らす恋のように募り、たまたま世界地図をみながら空想を膨らませていたときに、「もっとも遠い場所へ行き、そこから自転車で日本を目指す」という具体的なアイデアが浮かんだのだ。そしてそのアイデアにワラにもすがる想いで飛びついたのだ。

あのときの僕はただ無我夢中なだけだった。でもきっと、あのとき僕を旅へと押し出したのは、半分は自分の意志で、もう半分は社会の無意識なのだろう。
そして、このような「箱」へ押し込もうとする、わけの分からない、得体の知れない、捉えどころのない怪物の力について考えている。なぜなら怪物は、旅立ったことで退治されたわけではなく、いまだって執拗に僕を「箱」へ押し込もうとするのだから。

あのときは、なにも分からないままただ動物的な直感で、いまこの怪物と戦っても勝ち目はないとおもい、旅立つことで背中を見せて逃げた。生き延びるためにはそれしかなかった。
復学し、就職活動をするときに、もう一度怪物に直面した。やはり恐怖以外の何物でもなかったが、旅ですこし耐性ができていたのか、今度は逃げるのではなく、十分な間合いを取るぐらいにはなっていた。

結局就職せず、肉体労働ならできるだろうと、メッセンジャー(自転車便)の仕事を一年間した。そこで僕が体験したのは、東京という姿に化けて出た、怪物のグロテスクな姿だった。殺人的な忙しさでビルとビルを行き来しながら、怪物の体内に入り込んでいると思っていた。
でも意外なことに怪物は、ただ恐怖を感じさせる、暴力的でグロテスクなだけの生き物ではなかった。そこには傷つき、怯え、泣きはらした少年の姿も見え隠れしていた。

メッセンジャーを辞め、書くことを中心にした生活へシフトしたときに、徐々にその少年の姿が気になりだした。でも、その少年の声を聴こうと近寄ると、急に怪物に変わり、「箱」へ押し込もうとする。このやっかいな怪物/少年について、何か書けないだろうかとずっと思っている。

投稿者 tsuyoshi : 2006年11月15日 20:09

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コメント

こんにちは。いつも読んでます。ツヨシももう29歳か。
日本は時間の流れが早く感じるなー。
自分も仕事始めて早くも三年経ちました。
でも、この三年で、世の中には面白い人間がたくさんいることに気付きました。旅をしていてもいろいろな人に出会いますが、働くことでもいろいろな出会いがありますよ。(人と関わる仕事だということもあるが)

投稿者 ケイ : 2006年11月16日 23:16

ケイさんこんにちは。コメントありがとう。
29歳になったみたい。でも何歳になっても、それを数字で表されると、多いんだか少ないんだか分からないけど、違和感を覚えるよ。
最近の変化は、人と話すことが前よりずいぶん好きになったことかな。いろんな人と話してるとすごく興味深いことがたくさんで、勉強になるなあと思ったりしてます。
旅してた頃は「全部自分で経験したい!」と思ってたけど、それがどれだけ不可能なことか痛感したのかも。だから、自分とは別のことをやってる人の話を聞くのが好きになったのかもしれないなと思ってる。そして好きになってみると「面白い人間がたくさんいる」と本当に思えるもんだね。以前は「つまんないやつばかり」だと思ってたけど、そのころの傲慢さを思い出すと冷や汗がでます。
ではではー。

投稿者 tsuyoshi : 2006年11月17日 04:36

自分を旅に駆り立てた情熱ね・・・
実は、愚僧の場合、イマイチ判然としない。ふと気が付けば、
「放浪の旅」
は、人生の中で必ず通過すべきものとして決めていたから。
でも、
「此処が出発のギリギリのラインだ」
と定めていた21歳の一年間、本当に思い悩んだ。親しくなった友人連中と一緒に四年間を終えて学部は卒業したい、という想いが強烈に肥大化したもので、ね。
例えて言うなら、
「昔の憧れの人か、いま目の前にいる連れ合いか」
煩悶した挙げ句に昔の人を選んでしまった、という事になるのか。真っ当に恋愛した事もない人間が、何を言っているのやら・・・
でもやはり、そう言った自分の煩悶を振り返りつつも、
「理屈は要らん。とっととバックパック担いで海を越えてしまえ」
というのが、年下の人と話す時の、私の決まり文句ですなあ。

投稿者 洛北孫子亭 : 2006年11月21日 22:10

孫子こんにちは。
なるほどねー、孫子は「昔の憧れの人」を選んだのか。ふむふむ。で、昔の憧れの人に、実際に会ってみたらどうだったんだろう。若干想像と違ったけれど、やはり素敵だったという感じ?
でもなんで旅が「人生の中で必ず通過すべきもの」だったんだろうね。なんだかかつての共同体社会で行われてた成人式のようだね。

ともあれ、実際に旅立つことにかぎらず、「えい!」と自分で思い定め、不確実な方向へ一歩踏み出す気持ちは、いつまでも持ち続けたいね。そうじゃないと、なんかいきなりおじさんになっちゃいそうだから。
コメントありがとう。

投稿者 tsuyoshi : 2006年11月22日 03:14

>で、昔の憧れの人に、実際に会ってみたらどうだったんだろう。若干想像と違ったけれど、やはり素敵だったという感じ?

想像とは全く違っていた・・・どころではないくらい違っていたなあ。想像を完璧に裏切ってくれた、という感じ。でも、裏切ってはいても、想定していたとは違った魅力を持っていた、という感じだね。

>なんだかかつての共同体社会で行われてた成人式のようだね。

いまでも、ドイツの職人なんかはやっているみたいだよ。

投稿者 洛北孫子亭 : 2006年11月24日 22:05

僕も、旅だってすぐに強盗に遭ったから、ホントこんなはずじゃなかったと思ったよ。のっけから完全に裏切られたよ。
でも、想像どおりじゃなかったからこそ、素敵だったんだろうな。

日本は、通過儀礼としてかつて行われていた成人式はもはや行えない社会だから、旅が、個人個人で勝手にやる、長い時間をかけた「成人式」の役割にもなっているんだろうな。(いまの日本の成人式は単なる同窓会だからさ)
やはり強盗以外でも理不尽な出来事も多かったし、旅の前後で大きな人生の節目になってることは確かだから。
そんなふうに、自分の旅を、現代社会のサンプルの一つとして突き放して考えてみるのも面白いなあと思ったりします。

投稿者 tsuyoshi : 2006年11月24日 23:27