2007年04月20日

展覧会「ashes and snow」

友人を誘い、お台場にあるノマディック美術館へ行き、グレゴリー・コルベールの展覧会「ashes and snow」を見てきた。

ノマディック美術館は、この展覧会のために建てられた移動美術館らしく、コンテナを積み上げた不思議な空間だった。
グレゴリー・コルベールの写真や映像は、人間と動物がとても近い距離にいて、踊ったり、遊んだり、じっと同じ方向を見たりしているもので、まずはその人間と動物の近さに驚いた。でも写真も映像もすべて、CGやレタッチは施されていないのだという。

名付けようのない印象を喚起されるものばかりだった。
人間が動物の皮をかぶり、動物が皮を脱いで人間になっているような、動物と人間の境界があいまいになるような、神話的で不思議な写真と映像だった。
そういう詩的な作品がコンテナを積み上げた異空間の中にあり、多くの人がそれにぼーっと見入っている姿もかなり不思議な光景だった。
見終わってからも、女性が象と一緒に踊っている映像がずっと頭から離れなかった。一切の抑圧を解除したような、命そのものが発露しているような、美しく力強い映像だった。そして「魔法のことば」という詩の世界と似ているなと思った。

ずっと ずっと 大昔
人と動物がともにこの世に住んでいたとき
なりたいと思えば 人が動物になれたし
動物が人になれた
だから時には人だったり 時には動物だったり
互いに区別はなかったのだ
そしてみんながおなじことばをしゃべっていた
(金関寿夫『アメリカ・インディアンの口承詩』より)

グレゴリー・コルベールの作品は、この詩の世界にあるような、人間と動物のあいだに対称性があった大昔の写真や映像のようだった。彼は大昔の世界を現代に再構築しようとしているのだろうか。

見終わってから友人とお茶を飲んだのだが、それがお台場のいかにも人工的な場所だったので、落差に頭がくらくらした。お茶を飲みながらなにか感想を述べようとするのだが、さっき見た作品に言葉が吸い込まれていくようで、ふたりともちょっと感想を言ってはうーむと口をつぐみ、またちょっと感想を言ってはうーむと黙ってを繰り返してた。どうにもこうにも言葉にならないのだ。

展覧会のタイトル「ashes and snow」は訳すと「灰と雪」とでもなるのだろうが、かなり抽象的な意味合いを持たせているのだと思う。なぜ「灰と雪」なのか、見終わってからもときおりふと考え込んでしまう。

両者とも白い。「火と水」に関係している。そこから想像をふくらませて、「太陽と海」や「光と結晶」などを思い、命あるものが光を発しながら燃え、最後には灰になることを思い、水が蒸発し結晶することを思い、海から発生した生命進化のことを思い、なんだかわけが分からなくなる。きっとこうやって自由にあれこれ連想させるのを促すタイトルなのだろう。

友人はしきりに「象ってふしぎ」と言っていた。その鼻の長いこと、その足のつめのおっきいこと。改めてまじまじと象の写真を見ると、僕も本当になんでこんなふしぎな生き物がいるのかと驚いてしまう。かつて知っていたけれど思い出せないもの、そこにあるのに見過ごしているものにあらためて気づかされるような、不思議な懐かしさすら感じさせる展覧会だった。

ps.
展覧会は数十枚の大型写真と、二つの短篇映像、一つの長編映像です。長編映像は一時間ぐらいありました。僕が行った日は寒く、館内も外気温と同じぐらいなので、じっと映画を見てたら冷えました。寒い日は一枚羽織るものがあるといいと思いました。


投稿者 tsuyoshi : 2007年04月20日 20:46

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://hanamote.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/176