2009年02月06日
冬枯れの桜並木の下を走る
阿佐ヶ谷を南下し、青梅街道を横切り、住宅街をさらに南下すると、善福寺川に行き当たる。蛇行する川沿いが善福寺川公園という細長い公園になっており、川に沿って歩道があり、そこをほぼ毎日走っている。
夜、ジョギングシューズを履いて、銭湯セットを持って家を出る。銭湯の横のコインランドリーに銭湯セットを置かせてもらい、走り出す。なるべくゆっくり、息があがらないよう、体をほぐすように走り出し、そのペースを維持する。青梅街道を横切るときはよく信号に捕まるので、待っている間に体をのばす。夜の静まった住宅街をぬけ、善福寺川公園に行き当たったら左折して、あとは川沿いのいつものコースを走る。だいたい4、50分ぐらい走る。それからコインランドリーに戻り、銭湯セットを回収し、すぐ横の銭湯に行くか、あるいはすこし歩いたところにあるコインシャワーに行く。汗を流し暖まったら、家に帰りすぐに寝る。
善福寺川公園は川沿いがずっと桜並木になっている。
桜の枝が川に覆いかぶさるように伸び、その桜並木のトンネルをくぐるようにして走ることになる。
春になれば壮観な光景になるこの桜並木もいまはまだ冬枯れで、立ち枯れているようにすら見えるが、よく見ると小さなつぼみを枝のそこかしこに見つけることができる。この一見枯れたように見える枝や幹の中で、いま春に開いていく準備が、日に日に進んでいるのだろう。走りながら、目に見えない場所で着々と進んでいる変化のことを想う。
一月は走りはじめてしばらくしないと体が暖まってこなかった。二月になってもまだ寒いと感じることはあるが、どこか寒さの底を蹴ったような感覚を覚える。日々の変化はごく僅かでも、確かに一日一日と、春が近づいていることを感じる。あと数ヶ月すれば、確実に春がやってくる。
樹々は時あやまたず、春に開いていく。そのことの不思議さを想う。
去年も冬から春にかけて同じ場所を走っていた。まだ冬枯れの状態だった桜が、徐々に開花し、やがて満開になり、そして散り、青々とした新緑となるまでの変化を、走りながら見ていた。
去年も、一昨年も、満開の季節には友人と花見をした。その場所を通ると、ときおりそのときの光景と、そのときに話した友人たちを思い出す。
今年はどんな春を迎えることになるのか。
春に大きな変化を迎えることになる、幾人かの友人のことを想いながら、冬の間に樹々の内部に静かに満ちてきているものを想う。そして、人間も樹々のように、時あやまたず自然に変化できる生き物だったらよかったのにと思う。春に開き、夏に光に向かって伸び、秋に実ったものを渡し、冬に静かに満ちていく、そういう生き物だったら、そういうふうにできていたらよかったのに。
ゆっくり、呼吸を意識しながら樹々の下を走る。足の裏の痛み、膝にかかっている負荷、上半身の疲労などを、刻々とモニターしながら走る。
川には街灯が反射している。ときおりカモが泳いでいるのを見かける。護岸された、コンクリートの溝のような川だが、直線部分があまりなく、かつてのこの辺りがまだ野原か森だったころの形態を残しているのがいい。ぐねぐねと曲がりながら走るので、月が右に見えたかと思うと左に見え、正面だったのがいつの間にか背後になっていたりする。
毎日夜に走るので、月の変化を観察できるのもいい。三日月から上弦へ、満月から下弦へと、日に日に出る時刻も位置も角度も変わっている。
日々、あらゆることが変わっていることを想う。
水は流れている。樹々がつねに、その枝にまとうものを変えている。月がその位置を変えながら太陽の光を反射し続けている。自分を構成するものも、他者との関係も、変化し続けている。
黙々とジョギングしている人とすれ違い、その息づかいが聞こえてくる。何を想って走っているのか、他者の心を伺い知ることはできない。他者の心はいつだって、ジョギング中にすれ違う人のように、どのような想いを抱えているのか、あるいは抱えかねているのか、想像はできても、ほんとうのところは分からない。
「“予感”っていいよね。もっともいいことの一つかもしれない」
そう言っていた友人の言葉を思い出す。
何かを鎮めるように、何かを整えていくように、呼吸を意識して淡々と走る。春に開いていく予感に満ちた、冬枯れの桜並木の下を走るのはいい。目に見えない、明るい予感をたぐるように、静かに冬をすごすのはいい。
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2009年01月11日
新しい習慣
なるべくテレビを見ない
かわりに本を読む
人の話をしっかり聞く
洗い物を流しにためない
布団を敷きっぱなしにしない
ここ数年で身につけた、あるいは身につけつつある、習慣の数々。
新しい習慣は、ほんとうに大きな変化をもたらす。
新年は、新しい習慣を身につけようとするのに最適の季節。
正月に、いままでのよい習慣を維持しつつ、
もうひとつ新しい習慣をつけ加えようと思い決めた。
それは太陽とともに生きること。
具体的に書けば、早寝早起き。
真夜中の、やさしい泥沼のような居心地のよい場所から徐々に離れ、
太陽の下で、日光に晒されて生きる一年でありたい。
今年もよろしくお願いします。
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2008年12月29日
五年間の沈黙
としくんとはじめて会ったのは2002年の2月。
カルカッタのサダルストリートにある同じ宿のドミトリーで出会い、多くを話した。そのとき彼は大学を休学し、一年間インドやパキスタンを旅していた。
次に会ったのは一年半後の夏。僕はそのころ神奈川県の藤沢に住んでいた。彼は就職活動をしに東京へ来ており、僕の家に数泊した。
そして先日、阿佐ヶ谷で五年ぶりに再会した。
駅で待ち合わせ、カルカッタカフェへ行く。
カルカッタで出会った友人と、カルカッタカフェで話せるのはなんと言っても楽しいことだ。彼とこの五年間おたがい何をしていたかを話す。
彼は就職をせずに、この五年間インドと日本を行き来し、ずっと瞑想をしていたと言った。
インドでは、地図に載っていないような田舎の村の、地元の人しかいない瞑想センターでずっと座っていたのだという。朝から晩まで、一日10時間、10日間連続で座り、数日休み、また10日間座る、あるいはその瞑想センターでボランティアスタッフとして働くということを繰り返していた。瞑想している期間は、アイコンタクトも含め、他者とのあらゆるコミュニケーションができないのだという。
その日は彼は僕の家に泊ってくれた。
彼は毎日夜と朝、最低一時間は座っているのだという。
僕の家でも、夜電気を消してから、座っていた。
僕はいったん横になったが、なんとなく一緒に座ってみたくなったので、おきあがり、僕もやってみると言って座った。
「呼吸を意識する」という彼からのアドバイスを受け、目を閉じ、座ってみる。
座ってみると、その日にあったこと、ここ数日あったこと、現在抱えている想い、これからのことなどが様々に行き来する。そして様々な感情が湧き上がってくる。そしてすぐに呼吸を意識することを忘れる。しばらくしてから思い出し、ゆっくり呼吸する。呼吸を意識する。
一時間ぐらい座ってから、これぐらいかなと思って寝た。
朝も、目が覚めてからすぐに坐っていた。僕もかれにならって座る。
やはり様々な感情が浮かんでは消える。そして大きく感情が揺れ、不安になる。しかし、すぐ横で彼が座っている気配があり、きっと彼はこの五年間、僕がいま経験している感情とは比べ物にならないぐらいの深い場所をくぐってきたのだと思うと、そこに彼が座っているだけで安心感があった。
目を閉じて座ることであらゆる方向に感情は揺れるが、呼吸を意識することで、揺れる感情を中心に戻すような感覚があった。そして振り子が振れるように感情と呼吸を行き来しているうちに、感情がゆっくり地面に抜けていくような、過剰なものがアースされていくような気がした。
一時間ぐらい座ったときに、セットしていた目覚ましが鳴り、お互い目を開けて、おはようと挨拶をする。
それから着替え、出かける用意をして、駅のホームで別れた。
五年間、絵や文章などの作品を制作していれば、それを見てもらうことで、どのような日々だったのかを示すことができる。しかし彼はただひたすら座るという行為だけをしていた。それで示せるのは、自分の身にまとっている気配だけだ。
彼は、五年前とは見違えるほどに、なにか静けさを身にまとっていた。五年間いったいどれだけの深い沈黙と孤独の中にいたのだろうと想像すると気が遠くなる。ありとあらゆる関係性から切り離され、一人で座っていた姿が目に浮かぶ。よくもそれだけ遠くに離れることができたなと思い、そしてよく帰ってきたなと思った。彼は、家族や友だちから遠く切り離され、生きているのかどうかも分からない状況も短くはなかったのだという。
彼が「ひとりになりたかったんだよね」とふと漏らした言葉が忘れられない。そして、「結局ひとりにはなれなかったんだよね」とも言っていた。
彼はつい最近携帯電話を持ったと言って、僕に見せてくれた。
特に気負うこともなく、自然に持つことができたと言っていた。
それを聞いて、ああ本当に帰ってきたんだなと思った。長い長いひとりきりになる旅を終え、関係性の中に生きようとしているんだなと思った。
彼はカウンセラーになろうと思っていると言っていた。彼の静けさを身にまとった気配と、中心がぶれない感じ、ありとあらゆる感情を座ることで大地にアースしていける技術があれば、きっとすごい深みの中で他者の声に耳を傾けられるだろうなと思った。
投稿者 tsuyoshi : 22:20 | トラックバック
2008年09月23日
アルタイ山脈 エクリプス紀行
皆既日食(Total Solar Eclipse)とは、太陽が月に完全に隠される現象のこと。そのとき空はにわかに暗くなり、太陽の周りに普段は見ることのできないコロナが現れる。
夏の初めごろ、八月一日にロシアや中国で皆既日食が起こると聞いた。
カナダの北部からはじまり、グリーンランドの北を通り、西シベリアを縦断し、モンゴルと中国の国境あたりをかすめ、西安の少し先で終わるとのことだった。八月一日の日食が起きる時刻にこの帯の上のどこかにいれば、皆既日食が見れるのだという。時間は条件のいい場所で二分前後。でも、そのとき雨や曇りだったら見れないし、晴れていてもその瞬間だけ雲に隠されたらコロナは見れない。僕はロシアのアルタイ山脈に、皆既日食を見に行くことにした。
*
成田から北京へ飛び、飛行機を乗り換えて西シベリアの中心都市ノボシビルスクへ飛ぶ。そこから寝台列車でビースクへ。ビースクからバスに乗り換えアルタイ共和国の中心都市ゴルノアルタイスクへ。ゴルノアルタイスクで食糧その他を買い込み、ミニバスに乗りアルタイ山脈の奥へと進み、チビットという小さな村でおりる。そしてそこからはトレッキングになる。目指すはアルタイ山脈の奥深くにある、シャブリンスキー湖。
チビットから重い荷物を背負い歩き出す。山小屋などはないので食糧その他をすべて背負わなくてはならない。三日後の夕方に皆既日食が起こる予定なのだが、シャブリンスキー湖まではちょうど三日ほどかかりそうなので、あまり休んではいられない。
村をぬけ、濁流が流れる広い谷を数キロさかのぼり、谷底にある壊れかけた橋をおそるおそる渡り、針葉樹林の森の中を峠を目指して登る。一日目は橋を渡って少し登ったところでテントを張る。夜、空を見上げると、天の川がくっきりと見える満天の星空だった。
次の日も朝早く起きて歩き出す。樹林帯の上り坂を汗をかきながら登り、やがて樹々がなくなり草原になり、昼すぎに峠にたどり着く。峠は見渡す限り広大な草原になっていて、ゆるやかな風が通り抜けていた。なだらかな下り坂をずっと下り、やがていくつかの細い流れが合わさった川沿いを歩くようになる。休憩したときに靴と靴下を脱ぎ、疲れた足を川にひたすと、あまりに冷たくて、二三秒しか入れられない。高山植物の花がそこかしこに咲いていた。ときおり濃いピンク色の花を付けた高山植物の群落があり目を奪われる。やがてまた標高が少し下がり、樹林帯になる。二日目は朝から晩まで十二時間ほど行動し、樹林帯の中でテントを張る。緯度が高いため日が長く、夜の九時ごろまで明るいので、長い時間行動できるのがありがたい。
三日目も朝早く出発する。この日の夕方が皆既日食が起こる日だった。歩き出して二三時間あたりでシャブリンスキー湖がある谷へと入っていく。広い谷で、いかにも氷河が後退してできたという地形をしている。谷底を流れるシャブラ川がときおり小さな湖になったり、蛇行して湿地帯になっていたりして、飽きることがない。やがて遠くに雪を抱いた山が見え始める。雪山は徐々に大きくなり、やがてすこし急な坂を登ると、目的地としていたシャブリンスキー湖が現れた。湖岸の道を歩き、適当な場所にテントを立てる。しかしまだ樹林帯の中で、谷の底でもあるので、対岸の尾根に太陽が隠されてしまう。地図を見るとさらに奥に湖があるので、不要な荷物をテントに置き、撮影機材だけの軽装でさらに上を目指す。
シャブリンスキー湖をぬけると樹林帯は終わり、やがて氷河が後退したときにできる大きな岩が堆積したモレーンの上を歩くようになる。どんどん谷の奥へと進み、巨岩の間を縫うように歩くと、やがて奥の湖が現れた。湖の色は石灰質が溶け込んでいるのか白濁した水色をしている。すぐ先には氷河の先端があり、その上にはいく筋もの氷河を身にまとったクラサービッツァ峰がそびえ立っている。すばらしい場所だ。
谷の斜面を登り、湖を見下ろす位置に着き、ここらへんでいいだろうと大きな岩の上に腰を下ろし、日食を待つ。左手にクラサービッツァ峰、正面に谷の反対側の尾根があり、太陽はその尾根の上あたりに位置していた。景色はこのうえなく美しいが、太陽はいつもと変わらない。これからこの太陽が隠されるなんて信じられない。わざわざこんな場所にまで来て、何も起こらなかったというのでは困るのだが、それでも、本当にこれから暗くなり、皆既日食が起こるとはとても信じられない。太陽はいつだって頭上に輝いているものなのだから。
どこかの天文学者がきっと難しい計算をして出したのであろう皆既帯の上に確かにいるはずなのだけど、本当に計算はあっているのかと思ったりしながら、皆既日食の時間が近づくのを待つ。
やがて、先ほどより明らかに暗くなってきていることを感じる。辺りの景色がサングラスをかけたときのように見える。「これから何かが起こる」という、ただならない予感がしてくる。肉眼で太陽を見ると明るすぎて欠けていることが分からないが、日食グラス越しに見るともう弓状になっている。そしてその弓がどんどん細くなっているのがわかる。そろそろはじまるなと思いながら眺めていたら、急に辺りが暗くなり、唐突に皆既日食が始まった。太陽が月に隠される最後の瞬間に、その一点が赤く光ったように見えた。
そして白い環が現れた。息をのみ、目を凝らす。それはいままで決して見たことのない、異様な光景だった。太陽と月が完全に一致し黒い円となり、その周りにコロナが、白い環となり浮かび上がっていた。直視してはいけないものを直視しているのを感じ、パンドラの箱を開けてしまったような、もう取り返しのつかないことをしているのを感じる。
しかしそれも数秒間の出来事で、次の瞬間にはコロナの上に分厚い雲が覆いかぶさり、隠されてしまう。そしてそれからはときおり薄くなった雲の向こうからしかコロナは現れない。もう一度はっきりと現れるのを祈るように待っているうちに、雲の向こうから太陽の光が差し込み、皆既日食は終わった。もう二分間が経ってしまったのかと驚く。二分間がこんなに短いと感じたことはなかった。皆既日食が終わってもしばらくは部分日食のため薄暗かったが、やがて周囲はまた元の明るさに戻り、太陽は何事もなかったかのように谷のむこう側の尾根に沈んでいった。
*
あの光景を見て以来、何かを「もっていかれた」気がしてならない。
そうなる予感は十分すぎるほどあり、だからこそわざわざアルタイ山脈まで出かけたのだが、やはり、そうなってしまったようだ。
日常の中に、一瞬だけ何かがなだれ込むような光景だった。そしてたった一回しか見ることのできない光景だった。太陽は日の出と日没を繰り返し、月は満ち欠けを繰り返す。そういう円環的なリズムの真ん中を、突如貫くように現れた光景だった。
宇宙的な規模の出来事に居合わせたことの驚きには計り知れないものがあった。自分が卑小な存在に思えるなどという出来事ではなかった。自分が無化され、あらゆる所属から一瞬だけ解除されるような出来事だった。
アルタイ山脈の山奥で、あの光景と出会って以来、僕は次の日食、その次の日食、これから先起こる日食のことばかり考えるようになっている。
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2008年07月15日
沢の境界にて
先月の上旬、沢に入って二日目に、ある沢の源流部で小鳥が死んでいるのを見つけた。小鳥が冷たい水の流れに半身を浸し、目を閉じ横たわっていた。
その日は朝から細かい雨が降ったり止んだりしていた。冷たい水の中に横たわっている光景は、いかにも寒そうだった。死んでからもう数日は経っているのだろう、羽はあまりなく、肌の色はすこし白くなっており、なにか疲れたような、かなしい表情をしていた。
どうしようか、と思った。
その日は朝から冷たい雨に打たれ、僕はずっと寒さを感じていた。こんな寒い日に、こんな冷たい水の中に横たわっているのはやはり寒かろうと思い、近くの土の中に埋めようかと思った。しかし同時に、「寒そう」などというのは、人間の勝手な感傷だとも思った。「自然」の中で、人間のいない場所で、おそらく人間とは関係のない理由で、小鳥は死に、この場所に横たわっているのだ。ここで小鳥はこの場所になっていくのだ。人間の勝手な感傷などで、むやみに動かすべきではないのではないか、とも思った。
しばらく雨に打たれ迷いながら、じっと水の中に横たわる小鳥の様子を見ていた。長く見れば見るほど、目を閉じ、かなしそうにくちばしを閉じている光景が、寒そうに思えてきた。そしてこのままこの場を立ち去ると、この小鳥の寒そうな表情をずっと自分の記憶の中に抱え続けることになるなと思い、ここは僕自身の寒さを和らげるという目的で、土に埋めさせてもらおうと思った。そしてすぐ近くに小さな穴を掘って埋め、手を合わせた。
「人間」が「自然」に手を加えるということ。
そのことをずっと考えている。
小鳥を埋めてから数日後、僕は別の沢を遡行していた。
その日はいくつかの大きな滝を登った。ある滝では、滝の上に着いてからロープを近くの木に固定し、器具で確保し、落ち口から空中に身を乗り出すようにし、水が落下する様をずっと眺めていた。水が落下し、滝壺に叩き付けられる光景を眺め続け、その場を満たす荒々しい音に身を浸していた。それまでさらさらと流れていた沢の水が突然空中に放り投げだされ、落下していく光景は、いくら見ても見飽きなかった。
夕方そろそろ暗くなってきたころ、沢沿いの小高くなったところに、野宿に適した場所を見つけたので、今晩はここに泊ることにした。
さっそく薪を集め、焚き火をする。
焚き火を眺めながら、ごはんを食べる。
そして、もう暗くなった森の中で、オレンジ色の熾きになった焚き火を眺めながら、明日の天気を確認するためにラジオを聞いていた。
普段はテレビを見たり新聞を読んだりしないので、ニュースに接することはあまりないのだが、山に入ると明日の天気を確認するためにラジオを聞くことになる。そしてそのついでにニュースも聞くことになる。
ラジオのニュースに耳を傾けながら焚き火をいじっていたら、アナウンサーが、ある動物園で起こった事故を伝えた。ある動物園の飼育係が、トラにえさをあげるために檻の中に入ったときに、閉めてあるべき扉を閉め忘れ、トラに殺されたというニュースを放送していた。
ラジオでニュースを聞くと、否が応でもその光景を想像することになる。僕は、暗い森の中で、テントの前に座り、焚き火を眺めながら、その光景をありありと想像し、深い衝撃を受けていた。きっと、毎日のことだからか、ちょっとだけ注意が散漫になってしまっていたのだろう。何か別のことを考えていたのかもしれない。そしてふと気配を感じ振り向くと、閉まっているべき扉が閉まっておらず、いつもの、見慣れたトラと同じ場所にいて、気づいたときにはもう手遅れだったのだろう。
いつもえさをあげているトラに食い殺されるという出来事があまりに痛ましく、飼育員が感じたであろう恐怖をありありと想像し、言葉にならない。トラは、犬や猫のように飼いならすことができないということ。いつもえさをあげているからといって、人間の都合のいいようにはトラは変わらないのだということ。飼育員でさえ、トラにとっては食い殺す対象にしか見えないのだということ。
森の闇が、一段暗くなったように感じた。
その闇の中で、沢の流れる音を聞いていた
かすかな音を立てて燃えている焚き火が美しい。
ゆっくりコーヒーを飲みながら、ずっと焚き火に見入っていた。
「自然」とは何なのか、「野性」とは何なのかを考えている。
そして、「人間」と「自然」との間にある、抜き差しならない隔たりについて考えている。それでも人間は自然の一部だと実感できるようなビジョンを持つことができるのだろうか。自分は世界から切り離された存在ではないと実感できるような道筋があるのだろうか。
次の日は一日中、淡々と歩き続けていた。
前日の天気予報では、山間部では雨が降るかもしれないとのことだったが、ときおり曇るだけで雨は降らなかった。昼過ぎには日の光も差し込んできた。ゆっくり水の流れをみながら歩き、夕方やや日が陰った頃、前日と同じように沢沿いの小高い場所を見つけ、テントを張る。そこは倒木や転がっている石や岩などにびっしりと苔が生い茂っている場所だった。触ってみると苔の分厚さがすごい。
いつものように薪を集め、焚き火を起こし、食事をし、テントの前で日記を書く。それからラジオを取り出す。
スイッチを入れると、アナウンサーが緊迫した声で秋葉原の通り魔事件を伝えていた。事件の状況、目撃者の話、被害者の容態、容疑者の供述、過去の同様の事件との比較。繰り返し、繰り返し、伝えていた。
一通り聞いてから、ラジオを消し、焚き火に見入った。
そして、前日と同じように、その状況をありありと想像してしまい、言葉にならない。車で人ごみに突っ込んでいく光景、後ろからナイフで次々と突き刺す光景、警官に取り押さえられる光景、その一つ一つを想像していた。そして、そのときの容疑者が体験したであろう感触や、心の内を占めていたであろうものを想像し、吐き気がするほど嫌悪し、ほんとうに言葉にならない。
焚き火を見ながらずっと、彼もまた獣に食い殺されたのだと思っていた。彼の内なる自然に住む獣が、絶対に檻の中に入れておくべき獣が、不用意に外にまで出てきてしまい、理性を食い殺したのだと思っていた。その、絶対悪ともいうべきグロテスクな獣に食い殺される光景が頭から離れなくなった。
焚き火を眺め、焚き火の背後にある闇に目を凝らし、水の流れる音に耳をすまし、そして、自分は水源域に行き、いったい何をしようとしていたのかを思い出そうとしていた。
一年ほど前、水源域を撮っていこうと思いついたときに、はっきりと見えていたビジョンは何だったのか。ぼくは確か、「人間」と「自然」との間に橋を渡していこうと思ったのではなかったか。原初にある美しい流れが人間にも流れ込んでいること、それを一つのビジョンとして示すことができるのではないかと思い、夢中になって沢に通ったのではなかったのか。
沢の美しさに夢中になっていたときには、感じてはいても前面には出てこなかった闇の側面が、ふたつのニュースを沢の中で聞くことにより、急に立ち上がってきていた。
人間の内側にある自然。
その内なる自然にも、外なる自然と同様に、この上なく美しい光景があるのと同時に、決して飼いならすことのできない獣が住んでいる。だから、不用意に扉を開けるようなことはしてはならない。向こうからこじ開けようとしてきたら、命がけで閉めておかなければならない。もしこじ開けられたら、すべてを後回しにして逃げなければならない。
人間と自然との間にある、
自分と世界との間にある、
境界と、そこにできる裂け目。
そのことをずっと考えている。
扉を開けていいのは、その準備ができたときだけだ。そしてそのときは間違いなく命がけになる。命がけで戦い、その獣を自分に統合していくことが、「自分になっていく」ということなのではないか。
次の日はずっと、ざわざわした心を抱えながら沢を歩いていた。そして必要以上に慎重になってしまい、かつて簡単に越えていった滝も、緊張して通過するはめになっていた。全然気持ちが入っていかなかった。没入し、夢中になっているときは、クリアな頭のまますべての動作が野生動物のようによどみなくでき、足を置く場所、つかむ場所などを迷いなく瞬時に判断できていたのに、そういう状態に入っていくことができず、ざわざわと胸騒ぎがして仕方がなかった。
予定ではさらにいくつかの別の沢へ行き、あと10日間ほど山の中にいるつもりだったのだが、その日は水源まで遡行し、荷物をデポしていた場所まで戻り、次の日一日中ずっと考え続けた。そしてやはり打ち切るべきだと思い、夕方に東京に戻ってきた。
三週間近く行く予定で、満を持しての計画だったはずなのに、一週間あまりで戻ってきてしまい、沢に「入っていけなかった」ことが何より残念だった。
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「白い光景への歩行」
たしかに手に触れたのではないか。怒りとともに。いらだちとともに。沈黙するしかないのだとしても、切断され、切り離された場所から、ことばを、ことばの断片を、放る。なにかが分かるということは、なにかを分けるということ。そうやって切り離したものを、つなげ、縫う行為の中にある、いらだちや、とどかなさ、失望は、確かに、それに、触れている。
流れ、響き、光が飽和している。白い光景の中で、飽和したそれが意味を無化する。歩くリズムの中で、水の流れの中で、炎のゆらめきの中で、本当はもう手にしているのに、目をつむり、見てはならないものなのだ。決して分けられてはならない。決して切り離されてはならない。くい破られる前に移動する。ことばは、切り離し、ことばは、つなげていく。切ってはつなげ、また切ってはつなげ、そうやって世界を受け取ろうとするときに立ち現れてくる光景がある。生きている
燃えている
流れていることわけられてもなお、世界のつながりを語ることができる。沈黙に耳をすますと、そこには沈黙が飽和した声がある。
歩いている
震えている
求めているとどかぬものへ、闇の深さの中へ、身体を、そのにじみ出る場所へと、ひたすらに歩行する。
流れ、響き、光が飽和している。直視してはならない。決して直視してはならない。ありったけの想いを持ちながら、破り、そしてまたつなげ、飽和した白い光景の中で、手にしているそれから目をそらす。生きている
燃えている
流れている
ー「わたくしという現象」ということば歩いている
震えている
求めているー「ひとつの青い照明」ということば
白い光景の中へ、入っていく。目をつむり、静かにそこでじっとしている。このいらだたしさは、ことわけられているいらだたしさだ。そしてこのよろこびは、それでもなお受けわたされているよろこびだ。ここでは水と光が、その透明さの中で飽和している。
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投稿者 tsuyoshi : 07:18
2008年02月27日
古人骨掃除夫ツヨシ
去年の十一月から、ある国立の博物館の、人類研究部というところでアルバイトをしています。何をしているかというと、遺跡などから発掘された古人骨のクリーニングをしています。
働いている標本資料室には、縄文時代から江戸時代までの古人骨が数千体保管されています。その部屋の一角で、まだ土が付いたままの人骨から、丁寧に土を落とし、きれいにする作業をしています。ときどきはばらばらになっている頭骨を組み立てる作業などもやりますが、だいたいの時間は掃除をしています。仕事は友だちから紹介してもらいました。
この仕事、とっても気に入っています。
骨を一つ持ち、はけや竹串などでこびりついている土などを落とし、きれいに掃除する。きれいになったらその骨を置き、次の骨を一つ手に持ち、またはけや竹串などできれいにする。その作業を延々と繰り返すだけなのですが、こういうシンプルな手作業に、どうも僕は向いているようです。
同じことを繰り返すのですが、工業製品ではないので、当然ながらひとつとして同じ骨はありません。脆いものやしっかりしたものなど、状態がいろいろで、形もいろいろなので、力のかけ具合もいろいろです。使う道具もいろいろ違ってきます。でも慣れてくると、そういうことは考えなくてもよくなります。状況に応じて、ただ手を動かすだけです。
普段ずっと言葉を組み合わせたりほぐしたりしているせいか、頭を使わないシンプルな手作業だということがなにより嬉しいです。とても単調で、それなのに集中を要する手作業なのですが、そういう淡々としたリズムがいいのです。
「どんなひげ剃りにも哲学がある」という言葉を思い出します。どんなことでも、それをずっと続けると、何かしらの観照のようなものを得られると、村上春樹さんは、『走ることについて語るときに僕の語ること』という本で、この言葉を紹介しながら言っていました。(この本はかれの走ることに関するエッセイで、とても面白かったです)骨を掃除することにも、ひげを剃ることや走ることと同じように、それをずっと続けていると、何かしらの観照のようなものが得られるように思われます。
人骨にこれだけ日常的に接するのは、やはり特殊な環境です。でも作業しているときは、それを人骨だとはあまり意識していなく、むしろただのモノでしかなくなっています。そしてときどきふと、これは人骨なんだよなと思います。でもそれはほんの一瞬のことで、普段はやはりただのモノと感じています。人骨の触感は枯れた木に似ています。
ときどき標本資料室を歩き回り、縄文から江戸までの、ずらりと並んだ頭骨を眺めます。それはなかなかシュールな眺めなのですが、決して不気味でも気味悪いものでもありません。むしろ何か、静かで清潔な気配があります。生きている間に感じたであろうどんな強い想いも、骨からはあまり感じられません。きっと骨がからからに乾いているからでしょう。水分がないと、情のようなものも宿りにくいのかもしれません。
作業していると、ときどきとても深く集中していることがあります。ゆっくり、丁寧に作業していると、いつのまにか深い海にどんどん潜っていくような感覚になることがあります。そういうときは時間を忘れています。そして、こんなに深く集中してしまって大丈夫だろうかとふと思い、息継ぎをするように集中を解き、あたりを見回します。
見回すと、いつもの見慣れた頭骨がずらっと並んでいます。標本資料室はだいたいいつも静まり返っており、空調の音しか聞こえません。こういう環境に一定期間身を置くことが、なにかとても好ましいことに思えるので、この仕事を楽しんでやっています。きっと瞑想することにとても似ているのでしょう。瞑想することに似ているなと思うから、なるべく足を組んだりしないで、なるべく背筋を延ばして椅子に座ります。ときどきは姿勢を崩してしまいますが。
掃除し、きれいな状態にする、ということにも得難い充実感があります。
掃除することは、精神衛生上何かしら好ましいものがあります。そしてそれが、日常的には接する機会のない人骨であることが、より効果を増すように思います。ずいぶん土などがこびりついて汚れていた骨が、せっせと掃除することできれいになると、なんだか自分の骨もきれいになったようで、ああいい仕事をしたなと思います。標本資料室には世界中から研究者が来て、ここの骨をあれこれ研究しています。だから人類学に何かしら貢献しているという気持ちもない訳ではないですが、正直に言うとそのような気持ちは薄く、むしろ自分のためにやっています。ぼくは古人骨を掃除したいのです。
でも、集中して没頭しているばかりではありません。とても単調な作業なので、とくに昼食後などはとても眠くなります。眠くなると時間が一向に進まなくなります。そういうときは、眠気のピークを越すまでがすこし大変です。そしてそういうときに、これから掃除する骨が積み上がっている箱を見上げると、スコップでヒマラヤ山脈を切り崩しているような、サハラ砂漠の砂を一粒ずつ数えているような、なにかぐったりとした疲れを覚えます。シーシュポスの神話のように、ぼくは岩を山の上に運ぶことを繰り返しているのではないかという気がしてくることもあります。
でも、眠気のピークを越えてしまえば、ふたたび深い海に潜るような集中が訪れ、充実した時間になります。
ミヒャエル・エンデの『モモ』に、道路掃除夫ベッポという魅力的なおじいさんが登場します。古人骨を掃除しているとき、よくかれのことばを思い出します。
「なあ、モモ」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
またひと休みして、考えこみ、それから、
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
そしてまた長い休みをとってから、
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」
ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ。」
古人骨掃除夫ツヨシも(いい肩書きだ)、このベッポさんのことばに、おおきくうなずきます。丁寧に、没頭しながらひとつひとつ掃除をしていると、あんなにたくさんあった骨が、知らぬ間にぜんぶ掃除し終わっています。そして自分の向かいたい方に、またほんの少しだけ、舵を切れたような気がするのです。
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2007年09月02日
次の十年、「根」と「葉」について
あと二カ月とちょっとで三十歳になります。
自分が生きた年月を数字にされると、多いのか少ないのかよく分からないけどいつも違和感があります。でも、ともかくもうすぐ三十になるようです。
二十代は旅の時代でありたい。
たしか、二十歳になったばかりのころ強くそう願いました。「時代」なんていう言葉を使うあたりが若いなあと思うのですが、いま振り返ると確かにそのとおりになっていました。
二十代前半は山と自転車旅に明け暮れました。単独で沢や冬山へ行き、喜望峰から日本まで三年半かけて自転車で旅しました。
二十代後半は、読書や執筆を主とした内面の旅に明け暮れていました。物理的に動く旅をする余裕はほとんどなく、主に自分の中へ深く下りていくような旅をしていました。
この十年間、物理的にも内面的にも、よく旅したなあと思います。
意図してこうなったというよりも、振り返ってみたらこうなっていたというのが正直なところですが、みごとに二十代前半と後半で旅の性質が違っています。
二十代前半は、自分を外の世界に放り出したいという止むに止まれぬ情熱で旅立ち、現実に直面するような若い旅でした。そして後半は、三年半の自転車旅で抱えきれないほどの「問い」を持ち帰ってしまったので、途方に暮れながらずっと言葉を探していました。
「世界」や「自分」について思うときはよく『スティル・ライフ』という小説の冒頭におかれている、一遍の詩のような美しい文章を思い出します。
この世界はきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐ立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
(池澤夏樹『スティル・ライフ』中公文庫より)
僕は、「世界」と「自分」を、二本の木が並び立つというイメージで捉えたことはないけれど、両者の間に「連絡をつけること」「呼応と調和をはかること」に深く共感します。
「世界」と「自分」との関係を考えるとき、このごろぼくはよく、一本の木をイメージします。森の中に立つ一本の木のように世界と連絡をつけたいなと思うのです。
一本の木は主に「根」と「葉」とで世界と連絡をつけています。
「根」は、暗い地中に深く伸び、「自分」を「世界」と繋げ、そのことで自立しています。
「葉」は、明るい空の中で光を受け、「自分」を「世界」に向けて開き、そのことで森の一部になっています。森の中に場を得ています。
そういう木のありかたに、なにかとても大切な、見習うべきものがある気がするのです。
次の十年、僕は三十代もやはり旅をし続けたいと思っています。
でもそれは二十代と同じことをやるのではありません。
旅とは、不確実な状況のなかへ踏み出していくことです。
ありったけの知恵と勇気をふりしぼり、すこしづつ進んでいくことです。
「世界」を見て、「自分」を見たあとは、やはり「世界」と「自分」の間に連絡をつける作業に取り掛からなければなりません。
そういう旅を、次の十年もやっていきたいのです。
先日、「樹のたねになる夢を見た」という詩を書いたときに、ああようやく僕は種になったのだなと思いました。二十九年かけてやっとここまで来て、そしてこれからはじまるのだと思いました。これから根を生やし、葉を繁らせていくのだと思いました。
根を生やすことは「自分」を「世界」と繋げていくことです。
葉を広げることは「自分」を「世界」に向けて開いていくことです。
似たようなことに思われるけれど、やはり全然違います。
根を生やすことは、闇の中で、孤独に、深く大地の奥へと向かうことです。歴史に学び、過去の偉人たちに学び、過去と現在を繋げ、その上で自分の両足で立とうとすることです。
葉を広げることは、光の中で、いま共に生きている他者と調和し、垂直に天に向かうことです。ここからすべての場所へ自分を開いていくことで、世界のなかに居場所を作っていくことです。
「根」のベクトル、「葉」のベクトル、どうしても両方必要なのです。
「自分」という境界を保ったまま、「世界」に繋がり、「世界」に向けて開いていくこと。僕は、この二つのベクトルを意識し、樹のあり方を意識しながら、世界と連絡をつけていきたいです。
世界と連絡をつけるということは、具体的に形にしていくということでもあります。抽象的な概念の上ではなく、実際に、生活の中に実現させていくということでもあります。理想を現実と接続させていくということでもあります。ちゃんと届く形にしていくということでもあります。
十年前の、二十歳を目前としたあのころは、不安と希望に押しつぶされていたように思います。三十を目前としている今も同じぐらいの圧力を感じているけれど、不安と希望は同じものの別名なのだということは、この十年で学んだことの一つです。四十を前にしたときはいったいどのように感じているのでしょう?
でもそんな先のことを思うよりも前に、ともかくあと二カ月生き延びなければなりません。無事に三十を迎えることに集中せねばなりません。そうでないと、せっかく書いたこの三十代の抱負が台無しになってしまいます。
来週あたりまた沢に行きます。水源の撮影は方法論も含め模索中で、いろいろと試しているのだけどまだ鉱脈にあたってはいません。時期がくれば自ずと、と思いながらジタバタするしかないようです。二十代を三十代へとリレーしていくことがこの水源行に求められていることなのかもしれません。
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2007年08月15日
「ゴミ」についてのやや長い考察
先々月、荒川の真の沢本谷を遡行していたときのこと。
ようやく辿り着いた初めの一滴がしみ出ている場所に、プラスチックゴミが一つ落ちていた。
真の沢本谷は荒川の水源で、そこはコメツガやトウヒなどからなる亜高山帯の針葉樹林になっていた。
ぼくはとっさに拾おうとして、でもやめた。
ゴミをフレームから外して写真を撮りその場を離れた。
でも、しばらく歩いていると怒りが込み上げてきて立ち止まってしまった。立ち止まり、しばらく逡巡したのちに諦めて水源に戻り、ゴミを拾いザックに押し込んでまた歩き出した。そのとき、このことは誰にも言うまい、どこにも書くまいと思った。なぜか悪事を働いてしまったかのようにも思っていた。
今までもゴミはたくさん目にしてきた。
国道沿いの沢には、車から投げ捨てられたのだろうペットボトルや空き缶が至る所にあったし、テレビが不法投棄されていたりもした。かなり山深い場所でも、釣り師か、林業の人か、あるいは沢登りをする者が残したゴミをときどき目にした。道路沿いに不法投棄を禁ずる看板がたくさん立てられていた。
ゴミを見るたびに僕は、気持ちを殺がれエネルギーが奪われていくように感じたが、いちいち拾っていたらキリがないし、荷物は一グラムでも軽くしたいから、まず拾わなかった。
…というよりむしろ、意識的に拾わないと決めていた。
ゴミを拾うというような、「社会的に善いとされていること」はとてもできないと思っていたからだ。
僕には、「社会的に善いとされていること」に対する、抜き差しならない警戒心がある。
世界を善と悪とに二分し、自分は善の側に属しているのだと思うことにたいする警戒心と嫌悪がある。ゴミを拾うというようなささいなことにも、それを「善いことをしている」という自覚を伴って拾うことは絶対にしたくない。善意は油断すると暴走するから。
光があれば必然的に影が発生するように、善いことを行うと必然的に敵が生まれる。ゴミを善意で拾うと、ゴミを捨てた人を悪としなければならなくなる。悪を想定しない純粋な善意はありえないのだから。
アウシュビッツもヒロシマもオウムも、無邪気な善意が暴走した結果起こってしまったことだと思う。「善いことをしている」という自覚が人をどこまでも残酷にするのだということを、歴史が、多量の血と涙を流しながら教えてくれている。
世界を敵と味方に二分する考えから血は流れ始めるのだ。だから、善いことだと思っている内はゴミは拾えない。でも本当は、こんなやっかいなことなんか考えないで、拾いたいときにただ拾いたいのだ。
沢でゴミを見るたびに僕はイライラし、拾いたいと思いながらでも拾えず、ずっとジレンマを抱えていた。「ゴミ」っていったい何だろう? なぜ「ゴミ」が落ちていると頭に来るのだろう? そんなことをずっと考えていた。
どの川も無数に枝分かれしているから、一つの川には無数の水源があるのだが、河口から一番水量の多い流れをたどった先を一般に水源としている。荒川にとっては甲武信ヶ岳に突き上げる真の沢本谷の水源が、荒川の水源だった。だからここは、流域にすむ900万人の人々にとっても大切な場所なはずだった。
僕は、この東京の水源域の撮影を、自分の身体と大地との関係を思い出すこと、自分の身体のルーツを探ることだという思いで行っている。だから、荒川の水源は言わば象徴的な場所で、ゴミなど絶対にあってはならない場所だった。ゴミを見つけてしまったときは、自分の身体の一番奥にプラスチックが引っかかっている気がし、すごく嫌な気がした。
でもやはり理性が勝り、すぐには拾えなかった。
やや行き過ぎてから怒りが込み上げてきて、また戻り拾ったのだが、それから東京に戻ってからもずっと、このときのことが喉に刺さった小骨のように気になって仕方がなかった。
あのとき、このことは他言はするまいと思ったのだが、それからの日々で自分の中で小骨が溶けるような変化が起こり書けるようになった。
変化のきっかけはCoccoのYouTubeでの映像(Cocco - 沖縄ゴミゼロライブ - Love)を見たことから。荒川から東京にもどってきてすぐのときにたまたま目にした。「ゴミ」についてずっと考えていたときだったので、なにかとても重要なことを彼女が言っている気がして、何度も何度も見た。
この中で彼女は
みんなにそれぞれの「ゴミゼロ」があると思います。
みんなにとっての「ゴミゼロ」を探して欲しいと思います。
という、何か禅問答にも似た問いを発している。
ただゴミを拾って欲しいと言っているのではない。もっと根源的な世界観の変化を彼女は訴えているのだと思った。そしてそれは、「自分」と「自然(自分の立っている場所)」に関する、世界観の変化なのではないかと思った。
彼女は2001年に歌手活動を停止したのだが、「ゴミゼロ大作戦」を通して、もういちど歌っていく決心が育っていったということが、言葉の端々から伝わってくる。
彼女は「自分のやり方で、自分の立っている場所を、ちゃんと愛していこうと思っています。」とも言っている。「自分の立っている場所」との関係を回復することで、歌を取り戻している。
そしてその取り戻した歌は、活動停止前と比べ、何かをくぐり抜けたような開放感のあるものになっている。以前の曲はどれも、歌わなければ死んでしまうような切迫したものがあった。「自分」に閉じ込められまいとするエネルギー、「死にたくない」というエネルギーが歌に結晶していた。それらの曲を僕は強く共感しながら聴いていたのだが、活動再開後の、もう一度歌いはじめた曲は、共感よりももっと普遍的な広がりがあるものになっていた。
「ゴミゼロ」という言葉を、彼女は「愛してる」という言葉で言い換えている。
そして彼女の愛は、「自分の立っている場所」に向いている。
きっと彼女にとって「自分の立っている場所」とは、那覇や沖縄本島やそこに住んでいる人々であると同時に、日本や東アジア地域でもあり、環太平洋地域でもあり、そして地球や宇宙全部にまで広がり、大地母神的な存在にまでゆるやかにつながる、あらゆる段階を含んだものとして意識されているのではないかと思う。「自分の立っている場所」を愛することによって、「世界ぜんたい」とつながっていこうという方向なんじゃないかと思う。(宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福でないうちは個人の幸福はありえない」という言葉を思い出す。)僕は、そんな彼女の想いの方向がとてもうれしかった。
「ゴミ」ってなんだろう、という思い。
数日間山に行き、持ち帰るゴミはほとんどすべてプラスチックゴミだ。
きっと「ゴミ」の本質は、分解の速度、大地からの距離感なのだと思う。
分解の速度が早く、すぐに大地に溶け込むものを、僕はゴミだと思わない。
アスファルトの上に落ちている枯れ葉は、容易に大地に溶け込まないから残念ながらゴミになる。
でも森の中にある枯れ葉は、地上に落ちたときから大地そのものになっている。(山深い森の中の、枯れ葉が厚く降り積もった場所を歩くと、足が数センチほど沈み込んでびっくりすることがある。枯れ葉が大地とつながっていることがありありと感じられて心地よい)
そしてプラスチックは、種類にもよるのだろうが、森の中で完全に分解するのに数十年から数百年、あるいはそれ以上かかる。
「ゴミ」の本質は、大地から切り離されているかどうか、なのだと思う。
プラスチックが分解する速度は、人間の寿命と比べてあまりにも長い。
森の中で「ゴミ」を見つけたときに感じる嫌悪感は、自分もまた大地から切り離された存在なのだということを思い出してしまうからではないか。
「人間は死ねばゴミになる」という考えもある。
かつてある検事総長がこのような発言をして話題になったことがあるのだという。
これも一つの価値観、一つの死生観だと思う。
人間を完全に大地から切り離されたものとして、その存在を徹底的に「孤独」なものとして捉える世界観は、いかにも検事総長らしい、法に殉死するかのような強い覚悟が伺える。
あるいは、「ゴミ」という概念がない、という世界観もある。
アフリカやチベットやインドや中国の小さな村で、そこら中にビニールが捨てられている光景を何度も見た。そこに住んでいる人が、日常的に、何の悪意もなく行っていることだった。
おそらく都会に住む者が「ゴミ」だと思うものが、そこでは「ゴミ」だと思われていないだけなのだろう。あるいは「ゴミ」という概念すらないのかもしれない。
そのような光景を僕は汚いと思い、がっかりするのだが、おそらく住んでいる人は、なぜ汚いのか、なぜがっかりするのか、理解に苦しむだけなのだと思う。「自然」というものに都会人の抱く幻想を、その人たちは抱いていないのだと思う。
「人間は死ねばゴミになる」という世界観も、「ゴミ」という概念が存在しないという世界観も、それぞれにその環境から導かれた価値観だ。善し悪しなどない。
僕は上記の両極端な考えを自分ごととして受け入れられはしないけれど、そういう考えがあるということはしっかりと心に留めておきたいと思う。そしてその上で、自分はどういう価値観の上に立っているのかを考えていきたいのだ。
僕は荒川の水源で、込み上げるような怒りを抱き、理性は止めているにも関わらずゴミを拾った。ただただ純粋に嫌だったのだ。
なにが「世界を善と悪とに二分したくないだ」、なにが「社会的に善いとされていることをしたくないだ」と、怒りの矛先は自分の理性にも向けられていた。ゴミの存在と同じぐらい、賢(さか)しく分別している理性にも頭に来て、さっさと拾えばいいじゃないかと思った。そこにゴミがあることと、理性がじゃまをして拾えないことがものすごく嫌だった。
ぼくはそのとききっと、本当に自分の奥にゴミが引っかかっていると思ったのだった。
だから、あの場面で強い怒りが込み上げてきたということは喜ばしい変化だった。
理性の壁を喰い破って立ち現れる感情は、善悪や正邪の区別などない、もっと深い場所から湧き上がるものだ。ぼくはこのような、無意識の深層から立ち現れるものが示す方向に正直でありたいと思う。
あのとき、このことは書くまいと思ったことをいまこうして書いているのは、あのときの行為は決して「社会的に善いこと」だと思って行ったことじゃないと、ようやく深く納得できたから。そして、何を嫌だと思うのか、何を好きだと思うのかを、遠慮せずにはっきりと口にしていこうと思ったから。
何を美しいと思うのか、何に心を奪われるのかが、世界を変えていくのだと思う。それを形にしていきたいという強い願望があるが、それが善いことかどうかは誰にも分からないこと。
光が粒子であると同時に波動でもあるように、「自分」は境界を持った「個」であると同時に、大地と不可分につながっている「全体」でもある両義的な存在だという考えの糸をもっと辿り、もっと鍛え上げ、ちゃんと届く形に結晶化させていきたい。
(でも力不足で途方に暮れているというのがいまの正直なところ。)
おまけ:
Cocco - Dugong no Mieru Oka (Live Earth)
名曲です。(この曲の背景について、毎日新聞に記事がありました。)
投稿者 tsuyoshi : 02:16 | トラックバック
2007年07月28日
Coccoのスピーチと歌
一カ月前にYouTubeでみつけたもの。
それ以来何度も何度も聴いてる。
Cocco - 沖縄ゴミゼロライブ - Love
Cocco - 沖縄ゴミゼロライブ - Peace
Heaven's Hell - Cocco
ps.
明日からまた、一週間ぐらいの予定で奥多摩に行ってきます。
(8月2日に帰ってきました。)
投稿者 tsuyoshi : 02:17 | トラックバック
2007年07月03日
「新しい神話」を探る
一人で水源域の森を歩いていると、ときどき「感情のかたまり」のようなものが込み上げてくることがある。
その込み上げてくる感情が、自分でも、嬉しさなのか、悲しさなのか、さみしさなのか、楽しさなのか、あるいは怒りなのか分からない。ただの、「感情のかたまり」が、光景に感応して込み上げてくることがある。そういう瞬間が大好きなので、僕は何度も水源域に行くのかもしれない。
水源域に行くことで何をしようとしているのか。森の中を歩いていても、帰ってきて都市に生活していても、常に自分に問いかけられている。そのことを本当に忘れられるのは、「感情のかたまり」が込み上げてきたときぐらいだろうか。
僕は、自分がやっていることを、執拗に言葉にしようとする人間なのだと思う。行動することと言葉にすることが常に競争している。行動することが先に行ってしまうと必ず言葉が追いつこうとする。そして追いついたかと思うとまた行動が先に行く。そうやって、行動と言葉を競争させることで、もっと遠くへ行けると思っているのかもしれない。
何をしようとしているのかという問いは、一つの正解を求める問いではなく、問うことで新たな問いが生まれ、深まってゆく種類の問いだ。数ヶ月前は「奥にある自然」「回帰する時間」などについて考えていた。そして「水源行計画の主旨」と題して言葉にした。
それらを踏まえて、僕はこのごろずっと、今やっていることは「新しい神話」を探るという多くの先人たちが取り組んでいるテーマの中の、僕なりのささやかな試みになっていくのかもしれないと感じている。それは、「人間」と「自然」との関係を探ることでもある。
人は「自分」という同一性を保つために、常に物語を必要とする生き物だ。
そしてある時代に生きる人々がひとつの物語に心を奪われ、その物語を多くの人が無意識に共有するようになると、その物語は共同幻想となり、神話となる。その物語が放つ光が強烈であると、数千年、数万年もの長きに渡って人々を魅了し続けることになる。
いま僕たちが生きている世界でももちろん神話は共有されている。
そのなかで比較的力を保っているのは、「経済」という神話と、「科学」という神話だろう。
でもその神話には、かつてあった強い光がもう宿っていないということに多くの人が気がついている。
「経済」は、その恩恵を被れる人々の暮らしを豊かにする一方で、必然的に貧富の格差を生み、環境を破壊する。
「科学」は、それを応用する技術が常に諸刃の剣であり、人類にとってものすごくいいことと、ものすごく悪いことを同時にもたらしてしまう。
だから僕たちは「経済の発展」や「科学の発展」に、もはや心から魅了されはしない。部分的な魅力は感じるのだが、必ず陰の部分が目についてしまう。陰が目につくようでは本当の意味での神話足り得ないのだ。
だから僕たちは、神話を見失っている時代に生きているのだと思う。
近代化により土着的なものから解放され「自由」な「個人」になった一人一人が、「ありあまる自由さの中で立ち往生している」という時代。「個人」として生き、情報の圧倒的な洪水の中で「自分」とは一体何なのか混乱している時代。先進国の都市生活者の多くはそんな時代に生きていると思う。
物語を抱けないと人は生きていけない。だから常に人は物語を抱き続ける。
しかし人間にとっての生命線である物語が、「個」という単位にばらばらになっている。
共同体の結び目がほどけ、「自由」な「個人」となった現代人は、大地から切り離された存在として、人類史上味わったことのない「孤独」の中に生きているのではないだろうか。
「自由」や「個」であることをどこまでも求めると、人は必然的に「個」に閉じ込められてしまう。「自由」を求め、「個人」であり続けようとすることで、大地から切り離され、「自分」に閉じ込められ、「自分」が牢獄のように感じられてしまう。そしてそうなってしまうと、根を切られた植物のように生命力が弱り、場合によっては自ら命を絶ちかねなくなってしまうのではないか。
僕は「自由」を最も大切にしたいと願う人間だが、一方でこのごろ、人間は本当には自由になれないとも感じている。それは、たとえあらゆる組織から解放され、どこまでも自由になったとしても、「自分」は「自分の身体」に属していると思うからだ。そして「自分の身体」は、食べ物、飲み物、呼吸する空気に属していると思うからだ。だから人間は、必然的に「自分が生きている場所」に属していると思うのだ。
人間は、どれだけ自由になり、どれだけ個人になったと思っても、なお自由ではなく、個人でもなく、それゆえ根源的には孤独になれないと思うのだ。
僕は何かに所属することを嫌う者でもあるが、「自分」が「自分の身体」に属していることを受け入れられる。そして「自分の身体」が、水や空気や食べ物からできていることは納得できるし、それらがどこから来ているのかを考えれば、「自分」が「大地」に属していることも抵抗なく受け入れられる。受け入れられるどころか、そのことに気がついて「自分」が牢獄などではないと思うことができ、とても嬉しかった。このような場なら所属できると思った。
このことは、あまりに当たり前で、それゆえあまり気づかれていないことなのではないだろうか。
人間もまた、一本の樹のように、その根は大地に食い込んでいるということ。自由な個人になった現代人は、その寄る辺なさの真っ只中でもなお、大地との関係だけは切ることが出来ないということ。圧倒的な孤独の中にあってもなお属しているものがあるということ。自然とは、意識しようがしまいが、常にそこに属しているものなのではないか。
そして、僕たちの食べるものが世界中から運ばれてくることを考えると、「自分」とは、ある限定された組織や国に属するのではなく、直接「世界」につながり、「世界全体」に属しているのだと実感できる時代になってきている。
宮澤賢治の「農民芸術概論綱要・序論」という文章に、こんな言葉がある。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
特に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」ということばは、宮澤賢治の思想の根幹をなすものとしてよく知られている。
自分だけ、自分の属している組織だけ、自分の国だけの発展成長を欲するのではなく、「世界ぜんたい」や「銀河系」を直接「自分」とつなげ、それをよすがとするこの思想は、賢治が生きた時代よりもますます必要とされてきている気がする。
次の十年、次の百年、次の千年を生き延びて行くための、新しい神話。
きっと「新しい神話」とは、すでに語られていた神話を再構築することで形作られるものだと思う。
いま僕が惹かれているのは、狩猟民が抱いていたであろう世界観だ。
狩猟民は、自分の身体が、身体感覚として、「自然」に属しているということを知り尽くしていた人たちだ。そしてその世界観から多くの神話が語り継がれていった。
狩猟民の神話をぼくたちはもう、自分ごととして、光あるものとしてそのまま受け入れられはしないけれど、そこには「人間」と「自然」の関係について今必要とされているものがたくさんあると思う。
かつて語られていた神話を現代に有効なものとして再構築するということ。狩猟民の心や身体感覚を自分ごととして思い出すこと。それが「新しい神話」を探るということだろうと思う。
屋久島に生きた詩人山尾三省に「水が流れている その三」と題された短い詩がある。
僕がいま取り組んでいることと呼応する詩なので、その詩を紹介して筆をおくことにする。
水が流れている その三
山が在って
その山のもとを
水が 流れている
その水は うたがいもなく わたくしである
水が 流れている
水が 真実に 流れている
『びろう葉帽子の下で
』(野草社)より
投稿者 tsuyoshi : 21:36 | トラックバック
2007年06月20日
こんなにも好きだった
荒川の水源域を11日間かけて遡行し、撮影し、帰ってきてから二日経っている。戻ってきた直後はまだそれなりに体力が残っていると思っていたのだが、やはりそれは気が張っていたからで、この二日間は体の芯から疲労が滲みだし、駅まで歩くだけで息が切れるという有様だった。
荒沢谷、金山沢大荒川谷、真の沢本谷と、三つの沢を撮影してきた。
真の沢の遡行を終え下山中に泊まった樺避難小屋での最終日の夜、日記を書いていたときに、ふと気になって、出発してから何日経っているか数えたのだが、十日しか経っていなかったので少し驚いた。自転車に荷物を積んで東京を出発したのは、実感ではもう半年も前のことのように思えていたので、実際に経過している時間と、主観的な時間とがかけ離れていた。そしてそれは時間泥棒に一秒たりとも盗まれていない証拠だなと思い、少し嬉しく思った。
前回の多摩川水源域へ行ったときもそうだったのだが、今回も、出発の準備を整えてから一日の空白を設けて出発した。
装備などをしっかりパッキングして、いつでも出発できる状態にしても、すぐに出発する気になれず、一日部屋の掃除をしたり洗濯をしたりして、置いてきぼりになっていた気持ちを待って、次の日出発した。
沢に単独で行くということは、冬山に単独で行くのと同じぐらい不確定要素が多く、絶対安全ということはありえないので、掃除をするのは、もし遡行中に何かあって、僕以外の人が部屋の中に入ることになったときに、散らかった部屋だと嫌だなという思いもある。
だから、くたくたになって帰ってきたとき部屋はきれいに片付いており、それを見てああ無事に帰って来れたなと思い、嬉しかった。
そして、帰ってきて二日経って、あれほど大変だったのにもう次に行きたくなっている。いろいろと準備することがあるからすぐには出発できないけれど、次は利根川の水源域になる。そして利根川の後はまた多摩川・荒川の水源域に、行きたい場所がたくさん残っているし、もう一度行きたい場所もたくさんある。こんなにも好きだったのだということに、自分でもちょっと驚いている。とにかくまだまだだということだけは確かなのだ。このままずうっと歩いて行くとどこに出るのかは分からないけれど、もっととおくへ、もっと奥へ行きたい。
投稿者 tsuyoshi : 13:22 | トラックバック
2007年05月29日
幼稚園で話をする
今日は幼稚園で旅の話をするという、ちょっと変わったことをしてきました。
旅から帰ってすぐのころは何度か、大学生や一般の方の前で話をする機会があったのだけど、ここ一年は全くしていませんでした。小中高校でも話したことはありませんでした。それが突然、幼稚園児の前で話すことになりました。友人から話がきたときに、これはなかなか難易度が高いなあと思ったけれど、一体幼稚園児はどんな生き物なのだ? という興味がまさり、ありがたく話させてもらうことにしたのでした。
横浜にある幼稚園で、3歳から5歳の子どもたち十数人を前にして写真を見せたり旅で使ったテントを建てたりしたのですが、幼稚園児は実にかわいい怪物でした。とにかく元気で、みなすごく大きな目をしていて、普段接することのない世界だったので、僕にとっては濃密な異文化体験で楽しかったです。
建てたテントは二三人用で、それを旅の間は一人で使っていたのだけど、そこに子どもたちが嬉々として入っていました。横になれば七人の小人みたいに楽に七人は寝れそうなのが面白かったです。みなじっとしてられなくて、全身全霊で遊んでいて、なにかたくさんのエネルギーをわけてもらえたようでした。話のあとにテントや自転車や僕の絵を描いてくれたのだけど、どれも天才的な絵で素敵でした。
さて、そろそろ5月もおしまいです。
6月になったらすぐ、また沢に撮影に行こうと思います。今度は荒川の源流部に行きます。沢は一日歩くだけで満身創痍になるほど疲れるのだけど、幼稚園児の遊びに費やすエネルギーを見習って遡行し、幼稚園児の大きな目を思い出して撮影をしてきたいです。梅雨になり雨ばかり続いたとしても、幼稚園児の目で見るのなら、世界はきっと驚きと発見に満ち満ちており、撮りたい光景は無限にあるはずなのです。
投稿者 tsuyoshi : 20:47 | トラックバック
2007年05月20日
それ自身の存在のため/解釈を拒絶して動じないもの
多摩川の源流部へ11日間行き、水干沢、竜喰谷、大黒茂谷、雨降川長久保沢、大雲取谷小雲取谷と、沢を連続して五つ遡行し撮影してきた。
沢を歩いている間、ことあるごとに、ひとつの言葉が繰り返し脳裏をよぎっていた。それは、「人間のためでも誰のためでもない、ただそれ自身の存在のために息づく自然」という言葉。
多摩川の源流部で、ひっそりと咲いているヤマツツジを見つけたとき、シカの立派な角が落ちているのを発見したとき、ミズナラの巨木を見上げたとき、滝壺に水が落下する様にみとれていたとき、しきりに「人間のためでも誰のためでもない」「ただそれ自身の存在のため」という言葉が思い出された。星野道夫の本のどこかにあった言葉だということは分かるのだが、それがどの本かは忘れてしまっていたので戻ってきてから探したら、『長い旅の途上』の中の一節だった。
白い雪の原野に、小さな黒い点が見えてきた。
「クマかもしれない」
パイロットがつぶやくと、上空からまっすぐ近づいていった。
一頭のハイイログマが、生命のかけらさえも見えない白い世界で、何かを考えているかのように、ポツンと座っている。獲物を狙っているのでも、歩いているのでもない。ただそこに、ポツンと腰をおろしている。
どんなにドラマチックなシーンより、こういう風景が強く記憶に残ってゆく。アラスカの広さを知るのは、この時である。
人間のためでも、誰のためでもなく、それ自身の存在のために自然が息づいている。そのあたりまえのことを知ることが、いつも驚きだった。
それは同時に、僕たちが誰であるかを、常に意識させてくれた。
多摩川の源流域から帰ってきて、世界一周中のあすかさんのブログを覗いてみると、イグアス滝の文章と写真がアップされていた。奥多摩の小滝ばかり見てきたぼくの目に、イグアスの滝はあまりに巨大で、スケールが違いすぎ、圧倒された。
ブログに小林秀雄のこんな言葉が紹介されていた。
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。これが宜長が抱いた最も強い思想だ。解釈だらけの現代ではもっとも理解されにくい思想だ。」小林秀雄
解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。ああ本当にそうだと、深く腑に落ちる言葉だった。そしてこの言葉を読んで、「それ自身の存在のために息づく自然」には、そのスケールに関係なく、解釈を拒絶して動じない美しさがあると思った。
解釈を拒絶して動じない美しさ。それは確かに奥多摩の数メートルの小滝にもあった。その小滝が、誰かに見られようが見られまいが関係なく、山奥でずっと滝壺に水を落下させている様には、静かに込み上げる驚きがあった。圧倒的なスケールで飲み込まれる美しさではないけれど、ロウソクの炎をじっと眺めるような、純粋な驚きに打たれながらいつまでも眺めていられる光景だった。
解釈を拒絶して動じないものだけが美しい。
なんていい言葉なんだろう。こういうすばらしい言葉にはある種の感染力が宿っていて、僕はすぐに感染してしまった。そして今度は、街を歩いていても、電車から外を見ていても、ことあるごとに「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という言葉が脳裏をよぎるようになり、その小林秀雄の張りつめた弦のような美しい美意識を、いくばくかなりとも身につけたいと切実に思うようになった。
ps.
肝心な写真の出来は、技術不足、勉強不足が露呈し、納得できるものではなかった。現像したものを確認したあと大反省した。光景への対峙の仕方も、写真への姿勢も、なにもかもが中途半端で未熟だと自覚できたことが最大の収穫だった。
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2007年04月22日
次の旅 ここから奥へ
これからやろうとしている水源行計画は、喜望峰から日本まで自転車で走った旅の「次の旅」になると思っている。
あの旅は、言わば「一番遠い場所」から「ここ」へ帰るという旅だった。
とにかくまずは自分を「一番遠い場所」へと強引に放り投げてしまい、そこからどうするのかを、自分を実験台にして試すような旅だった。本人は冷静なつもりだったが、今振り返ると、ただただ情熱に突き動かされるに任せて出発していたなと思う。自分の中にある過剰なエネルギーに翻弄されつつ、自我を無限に拡大させようとしていた。端的に僕は若かったわけだが、若いときにちゃんと若い旅をして、有り余るエネルギーに行き場を与えてやれたことはよかったと思っている。
これから取り掛かろうとしている水源行は、「ここ」から「奥へ」行くものになると思っている。いまいる場所の奥へ、根がある場所へ行くというもので、起源へと遡行する方向だから、一番遠い場所から帰った前回の旅と同じベクトルを持ち、さらにその先へ、その奥へ行こうとしている。だから「次の旅」だと思っているのだ。
つまり僕はこの計画を、前回の旅のように全面展開するべきものだと思っている。
そのことは思いついたときからはっきりと自覚しているはずなのに、具体的に計画を立てていると、いつの間にか何かに遠慮したようなものになっていた。そしてこういう腰が引けた計画を立てている内はだめだと思った。もっとできるはずなのにいろいろ言い訳をして最善を尽くしていない。
それでもう一度、意識してリミッターを外し、考えられるかぎり一番思い切った計画、精一杯とんがった計画を立てることにした。計画段階でどれだけ大風呂敷を拡げられるかは大切だと思う。実現の可能性と理想との間でぎりぎりのせめぎ合いをしないといいものにはならないと思う。
以前は、今住んでいる阿佐ヶ谷から水源域へ数日間行っては帰るということを繰り返そうと思っていたけど、計画を改めた。
いま考えている計画は、自転車に荷物を積んで対象の山域へ行き、自転車を置いて遡行し、下山したらまた次の沢へ自転車で移動し、二三週間かけてその山域の沢を登り込むというもの。いくつもの沢を連続して遡行し、その山域と自分とを同化させるぐらいに浸りたい。長い期間その山域にい続けることをしたいのだ。沢登りは日帰りで行っても満身創痍になるぐらい疲れるのだが、そんなことを二三週間もできるかな?と思うのだけど、きっとできると思う。かなりとんがった計画ではあります。
5月になったら始めます。これから半年間ぐらい、その月の上旬中旬は水源域へ行き、下旬は次の沢の用意や写真の現像、文章を書くことなどをしたいと思っています。
つまり、ふたたび自転車にまたがることになります。そういう意味でも「次の旅」のようです。本当は車の方がいろいろ都合がいいのだけど、あいにく免許すら持っていないので自転車にします。
いまは、かつて使った装備を取り出して、足りない装備は買い足して、せっせと準備しています。こういう文章を書くことも、これから自分はなにをやろうとしているかをはっきりさせるという意味で準備の一つです。理屈っぽいことをたくさん書いているけれど、本当のことを言ってしまうと、ただ好きな場所に行けるのが嬉しいだけです。原点に水源の森にいるときの幸福感があり、そういう幸福な場所へ行き、写真を撮ったり、ひたひたと深く考え、想いを透過させるように言葉にしていきたいだけなのです。
(というわけで冬が訪れるまでは、その月の上旬中旬は山の中にいるはずです。水源行を最優先させ、他の予定や何かを断ってしまうかもしれないですが、そういうわけなのでよろしくお願いします。)
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2007年04月18日
水源行計画の主旨
アラスカの写真を撮り続けた星野道夫は、その著書で繰り返し「近い自然」と「遠い自然」について述べている。
近い自然とは公園や裏山などの、人間の生活圏の中にあるような身近な自然。遠い自然とは、アラスカの原野のような、人間の生活とは無縁の自然。カリブーが千年二千年前と同じように季節移動しているような場所。
そして遠い自然には、僕たちが日常生活を送っているのとおなじ時間に、「もう一つの時間」が流れているという。それは鯨が海面をはね、クマが冬眠から目を覚まし、オオカミが歩き回っているような時間。数万年繰り返されてきた時間。
文明は常に進歩し、僕たちは不可逆的な時間のなかで生活している。
しかしそのような直線的な時間に生きる今この瞬間にも、遠い場所では数万年変わらない「もう一つの時間」が流れているということを彼の写真や文章から教わった気がする。
僕は彼の写真や文章に接し、アラスカの原野や狩猟民の心を想い、神話を語り継ぐ世界のことを想い、もう一つの時間のことを想いながら、直線的に変化し続ける東京やその郊外に暮らしてきた。
そしてずっと「遠い自然」と「もう一つの時間」のことを考えていた。それは回帰する時間が流れる場所のことを考えることでもあった。
波が打ち寄せ、太陽が昇っては沈み、季節が一巡し、神話が語り継がれるように、繰り返され、また元へ戻るように変化している場所に流れる時間は、常に回帰している。そういう時間が流れる遠い自然の光景を想像することは、なにか根源的に大切なことだと思っていた。
また、都市に住みながら僕は、ときおり沢登りへ行った。川辺で泊まり、焚き火を見ながら眠り、水源の森を遡行してきた。水源域はどこも本当にすばらしい場所で、沢を遡行することはなぜだか根源的に楽しいと思われる行為だった。
そうした日々を送りながらあるとき僕はふと、「遠い自然/近い自然」という自然の他にもう一つ、「奥にある自然」があるのではないかと思った。
水源域は、普段見ることのできない場所にあるという意味では遠い自然だが、日常的に使う水が来る場所としては、直接自分の生活につながっている場所であり、もっとも近い自然だともいえる。だから水源域は、近くも遠くもある両義的な場所なのではないかと思った。そしてそこに流れている時間はやはり回帰する時間だろうと思った。都市生活をし、文明の中で生き、とどまることを知らない変化に身を晒している都市生活者も、その体を支える水はやはり回帰する時間に属しているのではないかと思った。
東京の水道水は、多摩川、荒川、利根川の三つの川を水源としている。
東京にある水道の蛇口はすべてこの三つの川のどれかとつながっている。
だから僕は、「いま自分が住んでいる場所の奥」として、多摩川、荒川、利根川の三つの川の水源域を訪ね、撮影しようと計画した。
僕たちの体の三分の二は水分でできている。僕たちの体の中には日々絶えることなく水が流れている。水道の蛇口をひねれば当たり前に水が出る。
その当たり前にある水道の蛇口はどんな場所とつながっているのか、水源とはどんな場所なのか、ひとつひとつ丁寧に訪ねたいと思っている。
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2007年04月14日
水源へ
春になったから外へ出る。
まずは多摩川源流域へ沢登りへ行く。それから荒川の源流域、利根川の源流域へ沢登りに行く。春から秋にかけて、今年はずっとこの三つの川の源流域を何度も遡行し、水源の光景を撮る。基本的に単独で、日帰りで行けるところを二三日かけて、一泊で行けるところを三四日かそれ以上かけて、ゆっくり遡行して写真を撮りたい。山菜を食べたりたくさん焚き火をしたりしたい。難しめの沢は経験ある友人と一緒に行きたい。
なぜ多摩川、荒川、利根川かというと、この三つの川が東京の水源だからだ。東京にある水道の蛇口はぜんぶこの三つの川とつながっている。僕はいま住んでいる町の水源の光景を撮影をしたいのだ。
いままでもさんざん沢登りはやってきて、多摩川も荒川も利根川もその源流部を何度も遡行したことがあり、写真だってそれなりには撮ってきたけど、今年ははっきりと撮影を目的に沢へ行く。
二月下旬のある朝、とうとうという感じで、ボッと発火するように思いついた計画なのだけど、はっきし言ってすごくいい計画だと思う。良すぎて、ワクワクして夜眠れなくなってしまい困ります。
約10年ほど前にも確か「喜望峰から日本まで自転車で旅したら楽しそうだ」と思いついたらわくわくして夜眠れなくなって困ったけれど、だいたい同じようなものです。10年経っても大して変わっていないようです。ああとうとうまた始まってしまったぞ。
(写真は昨年の秋に撮ったもの)
camera : NikonFM3A
film : Provia
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2007年03月22日
風景という「出来事」
先日読んだ『アニミズムという希望』山尾三省(野草社)の中に
風景は風景としてあるのではなく「出来事」としてある
という言葉があった。アメリカインディアンの言葉として紹介されていたのだが、この言葉がずうっと気になっている。
昨日、茂木健一郎さんのクオリア日記を読むと、「レディ・メイド作品 募集」という記事がアップされていた。ブログに自分の作品を載せて、トラックバックすればいいらしい。
レディ・メイドとは既製品のこと。反対語はオーダー・メイド。
マルセル・デュシャンが既製品の男性用便器に「R.Mutt」とサインして「泉」という作品にしたことで提出された概念らしい。すでにあるものをそのまま作品にすること。
それで、僕も応募してみようと思い、昨日今日と「レディ・メイド」について考えていたのだが、それがいつしか、「出来事としての風景」を考えることになっていた。
そして、風景が「出来事」になることと、既製品が「作品」になることは、似ているなと思った。
ぼくの応募作品は、チベット・アクサイチンの空の写真。
チベットの新蔵公路を自転車で数十日間走り続けてたときに撮った一枚。
旅の途中に撮ったたくさんの写真の中で、最も気に入っているものの一つ。
この写真の中の雲も、空も、湖も、当然ながらすでにそこにあったもの。僕が作ったわけではない。僕はただシャッターを押したにすぎない。シャッターを押させるという「出来事」があっただけだ。
写真は(特に風景やドキュメントなどは)、すでにあるものをそのまま作品にすることだなと思う。
撮影者は、すでにあるものの中の「出来事」に忠実になってシャッターを押すだけだなと思う。
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2007年03月19日
ファミレスの奇跡
最近はよく、「これはいいな」「すばらしいな」と思ったことをブログに書いている。
僕の性格からして、自分の中で発火が起きるぐらい「いいな」と思ったことは、誰かに「あれはよかった」と伝えたくなるからだ。(これはなかなかおすすめのブログの使い方です。おおげさに言えば、「世界を肯定する方へ」と意識を向けていけるから)
先日もそんな書きたくなるようなことがあった。
ぼくはよくカフェやファミレスで書き物をする。自宅と違って集中できることが多いからなのだが、周りの話し声が興味深すぎて、おもわず聞き入ってしまい、まったくはかどらなくなることもままある。
大抵の話し声ならばイヤホンで音楽をきくことでシャットアウトできるのだが、先日は違った。ファミレスで音楽を聞きながら書き物をしていたのだが、音楽の合間に話し声が聞こえてきて、その声のトーンになにかはっとするものがあり、ボリュームを大きくしたりして若干抵抗を試みたが、やがて、行儀が悪いとは思いつつも話に引きずり込まれてしまった。
右前方で二人の女の子が話していた。
一人は私服で一人は制服。おそらくは二人とも高校生だろう。
私服の女の子は茶色系統のカジュアルな服で、落ち着いた感じだが表情がすこし暗い。制服の女の子は、ひかえめで幼さが残っている素朴な感じ。
私服の女の子が、自分を抑制したトーンでとつとつと話していた。断片的にしか聞こえてこないのだが、明らかに、自分の心の危機ついて話していた。学校での人間関係のこと、部活のこと、受験のこと、そして学校に行けなくなったこと、カウンセリングのこと、等々。感情をなるべく抑え、絡まった糸をほぐすように丁寧に言葉を探し、行きつ戻りつしながら話していた。制服の女の子は、ときおりうなずくだけでじいっと聞き入っていた。
私服の女の子が、自分の心の軌跡を丁寧にたどり、涙声になりながらも感情に流されずに言葉にして、そのたどっていた細い糸が現在の彼女にまでたどり着いたところで、聞いていた女の子は堪えきれずに泣いた。顔をおおい、肩を震わせて、しばらく泣いていた。
やがて泣き止むと、なにか深い水をくぐった後のように、二人の顔が急に晴れ晴れとした。そしてそれからは明るい表情で、二人が同じぐらい話し、僕は彼女らから注意を外した。
注意を外してからも、しばらく僕は言葉にできないぐらい驚いていた。
心の危機について、自分を客観視してどうにか言葉を探して話す私服の女の子のクールさに驚き、その非常に深刻な話しに寄り添い、完全に感情移入して聞いていた、制服の女の子の感性のやわらかさに驚いていた。
話す方も聞く方も、そうすることでお互いがお互いに救われているような関係に感じ入ってしまった。
話す方は、共感に後押しされながら自分の心の軌跡をたどり、現在にまでつながっている一つの物語とすることで、聞く方は友人の物語をありありと自分ごととして聞くことで、二人で深い水をくぐるような劇が起こっていた。すごいなあ、うつくしいなあと感じ入ってしまった。話し終えたあとは、奇跡と言いたくなるぐらい劇的に表情が変化していた。
「劇」とか「物語」などと言われるものの原初的なもの、非常にプリミティブな形のものが目の前でありありと起こっていた。なにか問題が具体的に解決したわけではないが、深く共感し/されることで、問題そのものが内側から氷解していくようだった。
投稿者 tsuyoshi : 21:27 | トラックバック
2007年02月07日
このままずうっとあるいていくと
「このままずうっとあるいていくとどこにでるのだろう」
谷川俊太郎さんの「とおく」という詩のなかに、女の子がこう自問する一節があります。僕もこのごろ散歩をしているときなどに、同じように思ったりします。
昨日、南阿佐ヶ谷にある「書源」という本屋(すばらしい品揃えの本屋。週に4、5回は行ってるのに、いつ行っても10冊ぐらい欲しい本に出会ってしまう。)で、白川静さん著の『常用字解』という字書と『文字講話Ⅰ』という講演録を買いました。
今まで漢字に興味を持ったことは一度もありませんでした。すぐにど忘れするのでむしろ苦手でした。だから自分でも急に漢字の成り立ちに興味を抱いているのに驚いているのですが、正確にいうと漢字学に興味を抱いているというより、白川静さんに惹かれているのだと思います。
白川静さんのことは毎号買っている雑誌「風の旅人」の連載や、その雑誌の編集長のブログ(繰り返し語られているのですが、「ユーラシアの風景」と「風の旅人」と白川静さん、信実の道を逝くのエントリーが最も情熱的に語られています)などで知りました。だからいつか読みたいとは思っていたけれど、漢字にはそれほど興味がなかったのでいままで手に取りませんでした。
読んでみようと思ったきっかけは友人が「取」や「最」のなりたちを教えてくれたからです。そして読んでみると「本当に面白い」と感じました。きっと出会うタイミングがとてもよかったのだと思います。
なにがそんなに面白いのかというと、たとえば就職や成就などに使う「就」という字です。「白川静さんに学ぶ 漢字は面白い」にはこう書いてあります。
この字は「京」と「尤」でできています。「京」は出入り口がアーチ形をした都の城門の形です。(中略)「尤」は死んでいる犬の形。城門の落成式の際、犠牲の犬の血を振りかけて清めることを「就」というのです。これで城門の築造が成就するので、「なる」の意味となり、成就することによって、ことが始まるので「つく」(地位や状態に身を置くこと)の意味となりました。
「就」は「城門に犬の血を振りかける図」だということ。
この説明を読んで僕は、すぐさま村上さんの『スプートニクの恋人』を思い出しました。
『スプートニクの恋人』のはじめの方で、小説家志望の「すみれ」という女性が、「小説家になるために持っていなくちゃいけない、何かすごく大事なものが」欠けているのではないかと悩み、「ぼく」に相談する場面があります。
相談された「ぼく」は、昔の中国の門の話をします。昔中国では、城門を作るときに、古戦場へ行き散らばっている骨を拾い、それらの骨を門に塗り込めたのだと話します。
「(…)でもね、それだけじゃ足りないんだ。門が出来上がると、彼らは生きている犬を何匹か連れてきて、その喉を短剣で切った。そしてそのまだ温かい血を門にかけた。ひからびた骨と新しい血が混じりあい、そこではじめて古い魂は呪術的な力を身につけることになる。そう考えたんだ」
すみれは黙って話のつづきを待っていた。
「小説を書くのも、それに似ている。骨をいっぱい集めてきてどんな立派な門を作っても、それだけでは生きた小説にはならない。物語というのはある意味では、この世のものではないんだ。本当の物語にはこっち側とあっち側を結びつけるための、呪術的な洗礼が必要とされる」
「つまり、わたしもどこかから自前の犬を一匹見つけてこなくちゃいけない、ということ ?」
ぼくはうなずいた。
「そして温かい血が流されなくてはならない」
「たぶん」
すみれは唇を嚙んでひとしきり考えていた。気の毒な小石をまたいくつか池の中に投げ込んだ。「できたら動物は殺したくないな」
「もちろん比喩的な意味でだよ」とぼくは言った。「ほんとに犬を殺すわけじゃない」
(『スプートニクの恋人』講談社文庫より)
白川静さんの本を読んでいると、漢字の成り立ちがいかに「呪術的な洗礼」を経ているかがよく分かります。「道」という字になぜ「首」があるのか。「道」の解説にはこうかいてあります「切った首を持って、道を行く字形。道を行くとき異族の人の首を刎ねて、道に潜む邪霊を、その首の呪力で祓った」
『スプートニクの恋人』にはこの後、「血は流されなくてはならない」という意味のことが非常に重要なモチーフとして繰り返し登場し、もっとも強く印象に残りました。(だからこそ、「就」の成り立ちを知ったときにすぐにこの小説を思い出されたのです。)
ある話が「小説」になるということと、ある図が「文字」になることには、本質的なところで同じものがあるのだと感じられます。このような相似には、そこに秘められた「何か」があることが感じられます。しかしいまはその「何か」がなんなのかうまく分かりません。きっとそれが分かるためは、僕も「自前の犬を一匹見つけてこなくちゃいけない」のでしょう。
白川さんと村上さんとは、もともと全く違う興味の方向から読んでいました。こういった、異なる領域にあるものが急接近するということはとても嬉しい経験です。
起源問題に敏感になること。
その大切さを茂木さんはブログや本や講演などでしきりに触れています。
白川静さんを学ぶことは、自分の話している言葉の起源を知ることです。無意識に、当たり前に使っている言葉の起源を知るということです。
梨木さんの『沼地のある森を抜けて』や映画『もんしぇん』の影響で、進化生物学にも興味を抱きつつあります。脳科学や進化生物学は、科学の方面から起源問題を探ることなのだと思います。
その科学の方面からの興味として今読んでいる本が、『胎児の世界 人類の生命記憶』三木成夫著です。まだ読みはじめたばかりなのですが、今日その本に「『説文解字』によると…」というくだりを見つけ、驚きました。『説文解字』は、白川さんの本にさんざん出てくるのです。(この『説文解字』という本は1900年ほど前の中国の大学者の書いた漢字の成り立ちを記した本で、長らく字源辞典の聖典だったのですが、白川静さんがその聖典を覆し新たな体系を打ち立てた、というものなのです。だから白川さんは世紀の大学者なのです)
このように、興味がある分野の本をそれぞれ読んでいると、違う分野だと思っていたことが急接近することはよくあります。そしてそういうことが連続すると、なにか、精神の全域を使っているような気がして、とても嬉しくなります。窮屈な入れ物のなかに押し込まれた状態から、広い場所に出ていけるような気がするのです。
精神の全域を使い、心の全体性を回復していくという方向。ぼくはそっちの方向に、ぐんぐんと歩いていきたいと思っています。
うしろを振り返ると、すいぶんとおくに来たと思うこともあるし、まだまだ歩きはじめたばかりだと思うこともあります。でも、「このままずうっとあるいていくとどこにでるのだろう」という気持ちは常にあります。自分を実験台のようにして、このままずんずん歩いて行くと、いったいどうなっちゃうんだろうと、わくわくもするし、怯えもします。
わたしはよっちゃんよりもとおくへきたとおもう
ただしくんよりもとおくへきたとおもう
ごろーよりもおかあさんよりもとおくへきたとおもう
もしかするとおとうさんよりもひいおじいちゃんよりも
ごろーはいつかすいようびにいえをでていって
にちようびのよるおそくかえってきた
やせこけてどろだらけで
いつまでもぴちゃぴちゃみずをのんでいた
ごろーがどこへいったのかだれにもわからない
このままずうっとあるいていくとどこにでるのだろう
しらないうちにわたしはおばあさんになるのかしら
きょうのこともわすれてしまっておちゃをのんでいるのかしら
ここよりももっととおいところで
そのときひとりでいいからすきなひとがいるといいな
そのひとはもうしんでてもいいから
どうしてもわすれられないおもいでがあるといいな
どこからかうみのにおいがしてくる
でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける
ーー詩集『はだか』谷川俊太郎より、「とおく」
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2007年01月14日
繋がらない日々
二年間住んだ部屋が更新の時期になったので、どうせなら引っ越そうとおもい、一週間まえに同じ阿佐ヶ谷内の同じフロナシに引っ越しました。日当たり、風通しがよくなり、台所も広くなり快適です。
その関係で、ここ一週間ぐらいネットに繋げられない日々です。これは友人のアパートで書いています。手続きがいろいろと後手にまわってしまい、さらにあと10日間ぐらいネットに繋げられない環境なのですが、久しぶりにネットから離れてみると悪くはありません。なんだかほっとしさえします。
ブログは、いままでだって平気でほったらかしていたけれど、これからも「書きたいときに、書きたいことを、書きたいように書く」という方針でやっていこうと思いました。だから毎日更新することもあれば、何カ月も更新しないときもあると思います。
ともあれ、久しぶりに繋がらない日々をすごしていて、なにかすがすがしいとすら感じています。なんだか短期間の旅行をしている感じです。10日後にはやはりまた元の環境に戻るのだけど。
投稿者 tsuyoshi : 01:25 | トラックバック
2006年12月28日
昔はものを 思わざりけり
僕は本を読んだら、読んだ日にちと、題名、作者名、出版社名などをメモしているのだが、この「読んだ本リスト」を眺めていると、その時々で僕が何を考え、何に興味があったか、個人的な変遷がうかがえてとても興味深い。
それで、今年ももう残るところあとわずかなので、そのメモを見ながら、
今年読んだ本の中から、特にすばらしかったもの、強く影響を受けたものを選んでみました。(上から読んだ順番に並べています)
『カイエ・ソバージュ』(第五巻 対称性人類学) 中沢新一
『脳と創造性』 茂木健一郎
『春になったら苺を摘みに』 梨木香歩
『「これだけは、村上さんに言っておこう」』 村上春樹
『ぐるりのこと』 梨木香歩
『わたしを離さないで』 ガズオ・イシグロ
『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩
『サバイバル登山家』 服部文祥
『神の子どもたちはみな踊る』 村上春樹
『バスジャック』 三崎亜記
『ねじまき鳥クロニクル』 村上春樹
『黄泉の犬』 藤原新也
どれも、ほんとうにすばらしい本。
そしてすごくいいタイミングで読んだ本ばかり。
でも、この中でさらに選ぶとしたら、
『カイエ・ソバージュ』
『沼地のある森を抜けて』
『ねじまき鳥クロニクル』
の三冊。この三冊を読んだ前後で自分の頭の中がぜんぜん違っている気がする。
最近茂木さんのブログで
「逢いみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思わざりけり」
という短歌を知った。
百人一首にもなってる、権中納言敦忠という人の短歌だそうだ。
出会ったあと振り返って考えると、前はなんにも考えてなかったなあ
というような意味で、恋愛の歌だそうだ。
たしかに、素敵な異性に出会ったあとは世界観ががらっと変わってしまうけど、出会いは異性だけに限らない。素敵な異性と同じぐらい、本にも強い影響力があると思う。
つまり、これらの本は、かつての自分に対して「昔はものを 思わざりけり」と言いたくなるぐらいすばらしかったと言いたいのだ。
「出会い」には、いままでの世界観をがらっと変わってしまう力があるから、
ちょっとしりごみしてしまうこともあるけれど、
「逢いみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思わざりけり」
と言い聞かせれば、なんだか、もう一歩前へと進んでいけそうだ。
今年も、本に限らず、いくつかの出会いや出来事があり、
そしてそのことをいま振り返って考えると、
やはり「昔はものを おもわざりけり」と言いたくなる。
なにか、出会いや出来事にどこかで傷を受けたり、摩擦を感じたりしたあと、それが自然治癒のように回復したときに、すこしだけ新しい目で世界が見えるようになれる気がする。
そしてそういうときに、昔はものを思わなかったなあと思うのだろうな。
かつての自分を振り返り、あのころはなんにも見えてなかったなあと思えるのは、やはり嬉しいことだ。
茂木さんも言ってたけど、来年のいまごろにいまの自分をふりかえり、「昔はものを おもわざりけり」と言っているようでありたい。
でも、そうであるためには、日々変わり続けなければいけない。
さいきん聞いたアップルのスティーブ・ジョブズの講演(日本語訳)の中で、彼は「Stay hungry,Stay foolish」と言っていた。すばらしい講演、すばらしいことば。僕もStay hungry,Stay foolishを、指標のようにして生きていきたい。
きっと、いくつになってもそういう態度で日々生きないと「昔はものを おもわざりけり」と本当には思えないのだろうな。
よいお年を。
投稿者 tsuyoshi : 20:24 | トラックバック
2006年12月13日
芸術人類学研究所 青山分校! 神田出張所
今日、お茶の水にある明治大学の大教室で、「芸術人類学研究所 青山分校! 神田出張所」という中沢新一さんの講演を聴いてきた。
この講演は、「ほぼ日刊イトイ新聞」が主催したもので、東京のいくつかの書店で「三位一体モデル」という本を買った人がチケットをもらえるというもの。
僕はそのチケットが欲しくていそいそと新宿の紀伊国屋書店に行ったのだけど、もうチケットはなくなってて、がっくりしながら本だけ買って帰った。そのことをある日友人に言うと、友人が同じ本を買ってて、チケットも持ってて、自慢された。でも都合のいいことに友人はその日出張で行けないことになり、ありがたくチケットを受け取り行ってきたのだ。持つべきは出張の多い仕事をしている友人だ。
でも、「後でどんな講演だったか説明するように」と厳しく言われチケットを受け取ったので、以下復習の意味を込めて、その講演内容を思い出せるかぎり書いていこうと思う。まだ印象が鮮明なうちに、知的興奮がさめやらぬホカホカなうちに、一気に書こうと思う。
でもただ書くのではおもしろくないので、メモを元にして、中沢新一さんのペルソナ(仮面)をかぶって、中沢さんの話し口調で書いてみることにする。
というわけで、中沢新一先生の登場です。ペタ(仮面を装着する音)
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(大きな拍手)
こんにちは、中沢新一です。
今日はお集りいただきありがとうございます。
今日は僕がずーっと考えてきた、「三位一体モデル」について話そうと思います。
「3」という数字に興味を持ちはじめたのは、1980年代後半ぐらいからです。ある雑誌に記事を書くためスペインのバルセロナに行ったときに、多くのとても面白い人たちと話しました。市井の人や知識人たちだったりするのですが、バルセロナのいろいろな人たちと話していると、みんな、バルセロナという町を表現するときに「3」という数字をとても熱を込めて語っているのに気がついたのです。
バルセロナは、自由や芸術を大切にし、スペイン市民戦争のときはファシズムの支配に対抗した町です。そういう町が大切にする「3」という数字は、なにかそこに、生命の原理を表せるものを秘めているのではないかと思いました。
「3」の原理は、自由、生命力、よろこびなどに親和性があります。
一方で、現在世界で覇権を握りつつあるのは「2」の原理です。「2」の原理は、支配、管理、情報化に親和性があります。コンピューターを想像していただけると分かりやすいのですが、あれはすべてのものを「0と1」という二つの数字で表そうとする道具です。「2」の原理では、あらゆるものが計量化、数値化できるものに変わり、そしていったん数値化されるとすぐに「お金」に変換され、そして「商品」になります。「2」の原理は、あらゆるものを「商品」にしていく原理で、資本主義を加速させる原理でもあり、支配力があり、現代社会では圧倒的なパワーを持っています。
そういう「2」の原理に常に対抗しているのが「3」の原理です。「3」という数字は常に「2」と戦い続けています。「2」の原理は自由や生きる喜びのようなものを抑圧しているからです。「3」の原理は、生きる喜びや、生命の自然に即した原理は「3」なのだと主張するのです。「3」の原理は、自然に湧きあがる生命力や、地中から吹き上がる風のようなものを大切にする考え方でもあります。
このバルセロナでの体験を元にして「秘数3」という文章を書いたのですが、まだ不十分でした。
・二つの「三位一体モデル」
次に「3」という数字を強く意識したのはモスクワでした。そのころのモスクワは「ジーパン」や「コカコーラ」を旗印にして、西洋資本主義が入ってきていた時代なのですが、それは言い換えれば「2」の原理が入ってきた時代もありました。ちょうど東ヨーロッパに西ヨーロッパの考えが入り込んでいく時代だったのです。そしてそのことにロシアの人々は魅了されつつも不安を覚え、なかには反対するひともいました。
ロシアは、ロシア正教という古ーいキリスト教の流れの伝統がある国です。同じキリスト教でも、西ヨーロッパのカソリックと東ヨーロッパのロシア正教では、大きな違いがあります。そしてその違いは、「三位一体」に対する理解の仕方にあります。
「三位一体」とは神の三つのペルソナ、父、子、聖霊(スピリット)が、三つ巴の環になった図で説明されるのですが、この聖霊(スピリット)の扱いが、西ヨーロッパと東ヨーロッパでは違うのです。
東ヨーロッパでは、聖霊(スピリット)の力は、「外から吹き出してくる力」として認識されています。人間の世界の「外」から、大地の奥底から、宇宙の根源から、人間が認識できない領域から、目に見えないエネルギーとして、「吹き出してくる」のです。だから、東ヨーロッパでは、三位一体モデルにおける父、子、聖霊は、「同格」なのです。
一方西ヨーロッパでは、同じ三位一体モデルでも、聖霊の扱いが違うのです。この分裂は、325年の二ケア公会議から明確になっていったのですが、西ヨーロッパでは聖霊の力は、人間の理解できる「内部」から、父と子から、「流れ出てくる」と捉えているのです。つまり、聖霊を父と子の「中」にセットし、聖霊を抑圧してしまい、聖霊を父と子に従属させてしまったのです。だから、父と子と聖霊は同格ではなく、三位一体モデルも歪んだものになっているのです。
そして、資本主義は、西ヨーロッパのこの歪んだ三位一体モデルから起こりました。この三位一体モデルは、一見「3」の原理のようで、実は「2」の原理でできています。外からわき出す聖霊の力を抑圧することで、「3」を「2」に変えてしまったのです。そしてそこから、経済合理性が生まれ、資本主義という形に発展し、いまや世界を覆い尽くそうとしています。つまり資本主義は、三位一体モデルを喰い破るように出てきた鬼っ子のようなもので、その「2」の原理の鬼っ子が、いまや世界を圧倒的に支配しつつあるのです。
・心の本質、流動的知性
この三位一体モデルは、なにもキリスト教だけの専売特許ではありません。日本の奈良にある三輪神社なども、この三つの輪が重なった図をシンボルマークとしています。むかしの日本人は、心の奥底でこの「3」の原理をよく理解していたのだと思います。
人類の歴史はおよそ200〜300万年あります。しかし、現在の私たちと同じ脳の構造をもつ現生人類ホモサピエンスの歴史は9〜10万年ほどで、それほど長いわけではありません。
約10万年まえに現生人類の脳に革命的な構造的変化が起こりました。脳の中に「流動的知性」が発生したのです。このことについては、『カイエ・ソバージュ』という本でくりかえし述べたので、よろしければそちらを読んでいただけたらと思います。
流動的知性とは、領域を横断する知性です。それまでの人類は、脳の中で、領域ごとに別々に思考していました。比喩のような、領域を横断する知性はありませんでした。しかし現生人類はどういうわけか、領域を横断する知性を持ちました。そしてこの流動的知性が発生することにより、現生人類に「心」が発生しました。そして同時に心の中に、心を越えたものも発生しました。
私たちの中にあるこの流動的知性は、常に動いていて捉えることができません。流動的知性は、思考することでは理解できません。人間は動いているものをピンで止めるようにしてしか理解することができないのですが、流動的知性は、決してピンで止めることはできないのです。
つまり人間の心は、非常に不思議な成り立ちをしていることになります。人間の心は流動的知性がないと発生しないのに、流動的知性自体は、人間の心ではとらえられないのです。
このことが何を意味するかというと、人間は常に心の中に「過剰」を抱えているということです。あふれかえるような過剰な力が、流動的知性の働きにより湧き出てくるのです。その過剰な力をどうにか捉えようとし、芸術や宗教が生まれました。
・流動的知性、イメージ、言葉
この流動的知性が、人間の知性のおおもとを形作っています。人間の心の本質の部分には、この、どこにも所属しない、あらゆる領域を横断する、色も形もない流動的知性があるのです。
このように流動的知性は、人間の知覚ではとらえることができないのですが、それをどうにか捉えようとし、人間はまずそれに色と形を与えた「イメージ」の力を発展させました。この「イメージ」は、夢を思い浮かべていただくと分かりやすいのですが、不確かで、あいまいで、移ろいやすいものです。
そして次に人間は「言葉」を使い、できるだけ矛盾のない形で世界を表そうとしました。言葉ですべてを矛盾なく表せるわけではないのですが、できるだけ合理的に、イメージを言葉に移し替えて世界を理解しようとしたのです。
このように、人間の知性は、おおもとに「流動的知性」があり、この流動的知性は、通常の思考の「外」にある、とらえられないものです。そしてその「外」と「言葉」とをつなぐ通路として「イメージ」があります。「イメージ」は曖昧で揺れ動くものですが、どうにか知覚できます。その「イメージ」を「言葉」できっちりとピンで止めるようにして、人間は世界を認識しようとするのです。
この「流動的知性」「イメージ」「言葉」の三位一体モデルはそれぞれ、「聖霊」「子」「父」に相当します。だから、人間の心の全体性を見失わないためには、「3」を意識することが大切なのです。
しかし、この「3」の原理は、すぐに「2」へと作り替えられてしまいます。流動的知性が抑圧され、カットされることで、「3」は「2」へと容易に作り替えられてしまうのです。
今日、グローバリズムが問題にされているのですが、グローバリズムは長い歴史の結果として現れてきた現象で、現代に特有の問題というわけではありません。今日グローバリズムがこれほど問題になるのは、「2」の原理が世界的に覇権を持とうとしているからです。流動的知性が抑圧され、「2」の原理が世界を覆い尽くそうとしている現代において、人間の心の全体性を失わないためには「3」の原理を意識することが大切なのです。
・「1」の原理、「2」の原理、「3」の原理
ここで、いままで触れていなかったもう一つの原理に少しだけ触れます。それは「1」の原理です。「1」の原理は、流動的知性にのみ焦点を合わせた原理で、言うまでもなく一神教の原理です。ユダヤ教、イスラームの神は、唯一絶対で、色も形もない、全能の存在です。(この「1」の原理については今月号の群像に「映画としての宗教」という題で書いたのでよかったら読んでください)
つまり、現代には、「1」の原理、「2」の原理、「3」の原理と、三つの原理があるのです。
「1」の原理は、ユダヤ教、イスラム教の、一神教の原理です。
「2」の原理は、情報化、商品化にすぐれ、資本主義を押し進める原理です。論理的で合理的な原理です。
そして「3」の原理は、人間の心の成り立ち方にごく自然によりそった原理です。「ごく自然に」というところが重要です。人間の心は、不合理で、パラドックスに満ちていて、多くの矛盾をはらんでいます。しかし、そういう不合理なものに自然によりそい、内側に不合理なもの、矛盾しているものをセットした思考モデルが「3」の原理なのです。そしてこの心の成り立ちに忠実な「3」の原理は、無理なく人間が幸福に近づける思考モデルになるうるのではないかと思っています。
・現代における「3」の原理の役割
ご承知のように、現代では「2」が優勢です。そして「1」が強烈に反発して、世界に大きな緊張関係が生まれています。「1」の人たちは、「2」のやり方では人間は幸福になれないと思っています。
日本という国は、古来より「3」の原理で成り立ってきた国です。多神教の宗教である神道は、スピリットたちが活躍し、流動的知性が内部にセットされた「3」の原理で成り立っている宗教です。
ここで注意していただきたいのは「3」と「1」の類似性です。
流動的知性をおおもとにするという心の本質にたいする共通認識は「1」も「3」も同じなのです。両者とも、人間の「外」から無限にあふれかえってくるものを心の本質としてセットしているのです。だから、「1」の原理も、人間が幸福になれる思考モデルとして、十分ありだと私は思います。
しかしながら、私たちがとっている「3」の原理は、それを「1」に還元しようとはしません。そして「3」の原理は「2」に容易に作り替えられてしまいます。しかし私たちは、「2」の原理だけでは不十分だということを知っています。「2」の原理は確かに力があり、論理的な正しさがあるのですが、人間の心の成り立ちからいって不自然なのです。
「2」と「1」の原理とのあいだに強い緊張関係が生まれている現代において、私たちが立っている「3」の原理を、もっと有効な思考モデルとして鍛え上げていくことは私は可能だと思っています。「三位一体モデル」は、非常に原初的な思考モデルです。しかし、この「3」の原理で世界を再構築していくことが、現代において大きな意味をもってくると私は思っています。
ちょうど1時間になりますので、これで私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。(大きな拍手)
(糸井さん登場。二人で椅子に座り話し合う)
ーーーなにか三位一体モデルを日常生活で意識するのに有効な「コツ」のようなものはありますか?
「言いまつがい」なんていいですよね。言いまつがいは、本質的なことがふっと無意識に出てきてしまうことです。そういう言いまつがいを意識したり、あるいは夢を意識したり。だじゃれ? いいですね。だじゃれとか、散歩してるときにふっとよぎるものとか。そういう無意識のものをイメージとして捉えるといいんじゃないかと思います。
だいたい場違いなものにスピリットはいるんです。お呼びじゃないもの、お呼びじゃないのに出てきちゃったもの、ふと思いついたこと、そういう異物が出てきたときに、それを排除するのではなく、出てきた瞬間に、お、おもしろいと思い、すぐに捕まえるのです。真実は後頭部がはげています。後ろからではつかもうとしても捕まりません。すぐに前に回って、前髪をぎゅっと掴まないといけません。
ーーーこの三位一体の図、これを私たちは家に帰ってから、それぞれ自分のおかれている状況にあてはめて「父」とか「子」とか「聖霊」とかは自分にとってなんなんだろうと考えるとおもうのですが、なにかこのみっつの環が書かれた図の、日常生活でのあてはめかたみたいなものはありますか?
そうですね。「父」は「ことば」や「社会的な法」や「おさえつけるもの」、「子」は「イメージ」「あいまいなもの」、「スピリット」は「およびじゃないもの」「場違いなもの」「揺さぶりかけてくるもの」です。
大学? うーん、現在の大学という組織は、三位一体になっていません。歪んでいます。スピリットがないのです。教師という「父」と生徒という「子」がいるだけで、一方的に情報を伝達するだけで、一番大切なスピリットが抑圧されています。だからつまらないのです。青山分校のように、社会人の、実際に社会に出ているひとたちを相手にしたほうが、はるかに面白いです。
キングコングという映画で三位一体モデルを説明してみましょう。まずキングコングが「聖霊」です。どっちつかずの、わけわからない存在です。そして「子」に相当するのが、恋や美女です。恋というのはイメージがなければできません。美女もプリプリとした存在でなければ映画が成り立ちません。ぺたっとした女性では、聖霊と父との間に立つことができないのです。そして「父」は、都会や映画会社などです。あの映画は都会を舞台としなければ成り立たない映画です。キングコングと美女と都会という存在が三位一体となり、「キングコング」という映画は成り立っているのです。
日常生活でこの三位一体モデルをあてはめようとするとき、一番分かりやすいのは「父」です。その状況で支配的ななにかをあてはめてみればいいのです。
でも私は、三位一体の図をある状況にあてはめるとき、まずスピリットが何なのかから考えます。その場を奥底から動かしているもの、なにか得体の知れないもの、ちょっと普通に考えたのでは捉えられないわけの分からないエネルギーのようなものが大切だと思うからです。
ーーー今日はありがとうございました。また来年、なにか新しい形でイベントをやろうと企画しています。
ありがとうございました。
(大きな拍手、退場)
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ベリ(仮面をはがす音)
というわけで、中沢さんのペルソナをはがして、地の「僕」に戻りました。
ここに長々と書いた文章は、すべて講演の最中にせっせとメモをした言葉を元に再現しています。録音ではありません。なので当然、「中沢さんが話したそのまま」ではありません。なるべく中沢さんが話したことに忠実に書いたつもりだけど、でも、「僕」が書いた文章です。なるべく「僕」は透明になるよう努めたつもりだけど、すべての言葉は「僕」を一度通過したものです。そのことに十分注意してください。
(読みやすくするため勝手に文章を区切り、勝手に章題を付けました。また、最後の糸井さんとの対談部分は、大幅に編集しました。本来は糸井さんと中沢さんが半々でしゃべっておられました。)
というわけで、大きな勘違いや、誤解や、理解不足の箇所もあるかもしれません。しかしながら、そういう「勘違い」や「誤解」にこそスピリットが生き生きと活躍する場があるのだと思い、あえて再現してみたのです。
この講演の模様は「ほぼ日刊イトイ新聞」にも掲載されるそうです。
そちらと合わせて読まれると、どのような「誤解」や「勘違い」があったかが分かっておもしろいかもしれません。
ps.講演はすごくおもしろかった。でも『三位一体モデル』という本は、タモリさんは帯に「おもしろかったわ!」と書いてるけど、ぼくは……。中沢さん自身があとがきに書いているように、「説明不足」の感が否めない。薄くて、すぐ読めるのは事実だけど。
もし中沢さんの本をはじめて読んでみようかなという方がいるならば、僕は『カイエ・ソバージュ』シリーズの第一巻、『人類最古の哲学』(講談社選書メチエ)を強く、強くお勧めする。ほとんど何の前提知識もない学部生を対象にした講義を本にしたもので、話し口調なので臨場感もあり、すごく分かりやすい。ぼくはこの本をきっかけにして中沢新一さんが好きになった。赤鉛筆で線を引いたりページの端を折ったりしながら、ちょっとずつでもいいから読み進めてみたらいいと思う。
投稿者 tsuyoshi : 21:26 | トラックバック
2006年11月19日
全部を経験できるわけがない
先週今週はなぜか、縁あって多くの人と話す機会があった。
すごく久しぶりだったり、初対面だったり、よく話す友だちだったりしたのだが、
ほとんど一対一で何時間も話したように思う。
そしてそれが、とても興味深く、とても楽しく、とても貴重な時間だった。
こういうことは、以前の(とくに旅の前の)僕には考えられなかったことだ。
かつては、人と話すことほど苦手なことはなかった。
とくに女の子と一対一などは考えられなかった。
でもいまは、性別はあまり関係なく、話すことほど楽しいことはないと思えている。
話していて断然楽しいのは、やはりその人の、その人しか話せない一人称の物語だ。
そういう物語にぼくが相づちをうったり、なにか言ったりすると、なにか即興演奏のような、二度と得られない、一期一会の貴重な時間になるような気がする。
以前ぼくは、「全部自分で経験したい!」というものすごい情熱に突き動かされていた。
あらゆる国を訪れ、あらゆる道を走り、あらゆる人と出会い、あらゆる都市に滞在し…
全部の山に登り、全部の岩を登攀し、全部の沢を遡行し…
絶景を、名作を、名演を、美しきものすべてを、見捨てられたものすべてを…
そういう、「世界のすべて」を、「自分で経験すること」を志向していた。
他の誰かが経験した話を聞くのではなく、この僕が経験したいと思っていた。
でも、全部経験するには、ぼくの人生はあまりに限られていた。
きっとそのことを、最近になってようやく認めつつあるのだと思う。
かなり苦々しい思いとともに、ちょっとした挫折感とともに、「全部を自分で経験できるわけがない」と納得しつつあるのだと思う。
たった一つの国、たった一つの都市、たった一人の人を知ろうとするだけで一生かかってしまうことを、ようやく学習しつつあるのだと思う。
全部を自分で経験しようとすると、世界の無限をまえにして焦るばかりになってしまうのだ。
だから、大切なものごとでも取捨選択せざるをえなく、優先順位をつけなければいけなく、自分では経験できないものについては他の人に任せ、その人の報告を聞きたいと思ったのだと思う。
そしてそのような態度で耳を傾けてみると、どんな人にもその人が置かれた状況ならではの物語があり、だれもが僕が経験できないことを経験していた。べつに奇抜な半生を送っているわけではなくても、「普通の経験」などどこにもなかった。
そういう、その人ならではの物語を聞いていると、なんというか、国境を越えて新しい国へ入ったような、異文化に接するような興味深さがあった。
だから、人に会って話すことが、旅をすることと同じぐらい楽しくなったのだと思う。
とはいえ、充実した時間を過ごせば過ごすほど、どこか深い場所で摩擦や傷を感じるのも事実で、くたくたになり家に帰ってバタンと眠ってしまうこともあった。
二日連続で会ったあとは、もう敗残兵のように満身創痍になっていた。
お互いがなにか、こころの柔らかい部分で話し合うので、言い争いをしたとかではないのだけれど、やはりどうしても痛みのようなものを感じてしまうのだ。
でもそのような傷や痛みのような引っかかりめいたものを、一人になってからゆっくり丹念に振り返って検討してみると、そこにはとても大切な気付きが隠されていた。
痛みの裏側には必ず、それこそいま僕が探していたことが隠されていた。
きっと、そういう経験を繰り返し、摩擦の中にこそ鉱脈があると思えるようになったから、人と話すことが楽しいと感じているのだと思う。
だから、決して社交的になったというわけではない。
むしろいよいよ社交的ではなくなっているのかもしれない。
多人数で話している場などで、ぜんぜんそういう個人的な話ができない雰囲気だと、僕はわりと静かにしている。そして、くだらないな、早く終わらないかなと思ったりしている。内輪だけに通じる、ぬるま湯的な会話がもっともダメだ。
でも、少人数で、うまいぐあいにスイッチが入ると、二度と聞けないライブの即興演奏のような、とても充実した時間になる。
有限の命が、無限を志向するということ。「世界のぜんぶ」を志向すること。
それは永遠に叶えられない片思いに似ている。
ときどきその矛盾と不条理に、胸を裂かれるような切なさを感じることがある。
でもきっと、決して叶えられない切なさを積極的に引き受けるという態度の中にしか、生の躍動に満ちた実感はないのだとも思う。
だからいまだって「世界のぜんぶ」を志向している。何かに恋焦がれているという具体的な苦しさがある。でもそれが地理的な移動を繰り返すという現れ方をしていないだけなのだと思う。その別の現れ方の一つが、人の話を聞く、ということなのだと思う。そしてきっと、本を読むのも、絵を見るのも、音楽を聴くのも、映画を観るのも、人の話を聞くことと本質的には同じことだと思う。
投稿者 tsuyoshi : 07:49 | コメント (2) | トラックバック
2006年11月15日
怪物/少年
僕は21歳のときに大学を休学し、3年半自転車で旅したのだが、最近しきりに、あのとき自分を旅立ちへと駆り立てた、あの禍々しいまでのエネルギーは何だったのだろうと考えている。
あれは選択肢のない、ほんとうに切羽詰まった思いだった。
人に説明するときに僕はよく「恋のようだった」といい、人を本当に好きになったときは理由がうまく言えないものだと説明するのだが、ある意味であれは恋に恋した末の告白にも近く、もしかするとかなり自殺に近い行為だったのかもしれないとも思う。
自分をいまいる場所からもっとも遠い場所へ放り投げてしまうという方法でしか、もう立ち行かなくなるほど切羽詰まっていたのは確かだ。幸い両親は旅に反対しなかったけれど、もし反対されたとしても絶対に旅立っていた。そうしなければ生きていけないと思っていたからだ。
問題は、なぜ命の危機を感じるほど切羽詰まっていたか、なのだと思う。
きっと、受験勉強に専念した1年間の浪人生活の影響が強いのだと思う。とにかく受からなければ自分の存在が否定されてしまうという強いプレッシャーの中で、点数化され、序列化されて評価される価値観を無意識に受け入れていた。そしてどうにか大学に入った直後に強烈な危機感を感じたのだ。
それは、怪物に骨をぼきぼきと折られ、狭い「箱」へ押し込まれていくような悪夢に近い。狭い箱に押し込まれ、徐々にその箱の中の水位が上がっていき、このままだと息が吸えなくなってしまうというような、生理的な恐怖に近い。
そういう黒々とした思いと、旅への憧れ、遠い世界への憧れが心躍らす恋のように募り、たまたま世界地図をみながら空想を膨らませていたときに、「もっとも遠い場所へ行き、そこから自転車で日本を目指す」という具体的なアイデアが浮かんだのだ。そしてそのアイデアにワラにもすがる想いで飛びついたのだ。
あのときの僕はただ無我夢中なだけだった。でもきっと、あのとき僕を旅へと押し出したのは、半分は自分の意志で、もう半分は社会の無意識なのだろう。
そして、このような「箱」へ押し込もうとする、わけの分からない、得体の知れない、捉えどころのない怪物の力について考えている。なぜなら怪物は、旅立ったことで退治されたわけではなく、いまだって執拗に僕を「箱」へ押し込もうとするのだから。
あのときは、なにも分からないままただ動物的な直感で、いまこの怪物と戦っても勝ち目はないとおもい、旅立つことで背中を見せて逃げた。生き延びるためにはそれしかなかった。
復学し、就職活動をするときに、もう一度怪物に直面した。やはり恐怖以外の何物でもなかったが、旅ですこし耐性ができていたのか、今度は逃げるのではなく、十分な間合いを取るぐらいにはなっていた。
結局就職せず、肉体労働ならできるだろうと、メッセンジャー(自転車便)の仕事を一年間した。そこで僕が体験したのは、東京という姿に化けて出た、怪物のグロテスクな姿だった。殺人的な忙しさでビルとビルを行き来しながら、怪物の体内に入り込んでいると思っていた。
でも意外なことに怪物は、ただ恐怖を感じさせる、暴力的でグロテスクなだけの生き物ではなかった。そこには傷つき、怯え、泣きはらした少年の姿も見え隠れしていた。
メッセンジャーを辞め、書くことを中心にした生活へシフトしたときに、徐々にその少年の姿が気になりだした。でも、その少年の声を聴こうと近寄ると、急に怪物に変わり、「箱」へ押し込もうとする。このやっかいな怪物/少年について、何か書けないだろうかとずっと思っている。
投稿者 tsuyoshi : 20:09 | コメント (6) | トラックバック
2006年11月06日
きょうは誕生日
11月6日は僕の誕生日です。29歳になりました。
いちおう、ここで宣伝しとこ。
僕は静岡県の浜松育ちなのですが、生まれたのは東京です。
東京の五反田の病院で産まれたそうです。
難産だったらしく、すごく痛かったと母は言ってました。
ということは、ぼくもがんばってこの世に生まれてきたのでしょう。
まったく覚えていないけど。
そして産まれてわずか一カ月後に浜松に引っ越しました。
浜松には親戚はだれひとりいません。父は北海道、母は大阪出身で、仕事の都合でたまたま浜松に住むことになったのです。
だから、なのかは分からないけれど、浜松との接続感の薄さをときどき感じます。育った場所への帰属意識が希薄なのです。根っこのいちばん先っぽがないような、常に仮住まいの感覚があります。そういう感覚が、旅を後押ししたり、地に足が着かない生活が苦ではないと思わせたりするのかもしれません。
ともあれ、十代後半からは山や旅に明け暮れたことは事実です。特に二十代前半の物理的な移動は激しいものがありました。
ここ数年は物理的な移動はほとんどしていないけれど、内面的な旅は実際に旅をしているときと同じぐらいしているような気がします。
そして二十代の最後の一年は、その傾向をさらに押し進めていきたいです。
水脈につきあたることを信じて井戸を掘り進めるような、あるいは宇宙の広がりにみみをすまし続けるような、静かな日々のなかでのその到達点の深さ、微小な変化への感度の高さをこそ求めていきたいなと思います。
投稿者 tsuyoshi : 00:48 | コメント (2) | トラックバック
2006年11月03日
谷川岳一ノ倉沢南稜
先日、友人の牧野と、谷川岳の一ノ倉沢烏帽子沢奥壁の南稜を登ってきました。
いつか登りたいねと言っていた、アルパインクライミングのクラシカルな入門ルートです。
入門ルートとはいっても、あの一ノ倉だから、独特の緊張感がありました。
早朝の一ノ倉沢出合には、朝焼けの岩壁を撮るためにカメラマンが大勢いたのですが、クライマーは僕たちとあと一パーティだけでした。
カメラマンたちは、出合から先へは入っていきません。そんななか奥へ入っていくのは、やはり「一線を越える」という感覚がありました。
僕たちは、山岳会に入ってはいないので、誰かに教えてもらうことなく、自分たちだけで試行錯誤しながら沢登りやクライミングを続けています。
きっと経験者に連れて行ってもらえば、もっと難しい沢や岩にも、もっと安心して簡単に行けると思うのですが、いつからか試行錯誤自体がとても楽しくなり、先生なしの学習を続けるようになっています。
こういう方法は、進歩がとても遅いです。だからもどかしさを感じることもしばしばなのですが、プロセス自体を楽しむにはいい方法だと思っています。
一ノ倉の出合から岩の大伽藍へと向かっていくときに「一線を越えた」と思えたことも、試行錯誤しながら続けてきたからより強く感じられたのかもしれません。先輩に連れられて行ったら、なんとなく登ってしまっていたかもしれません。
すごい高度感のなかずっと緊張感を保ち続け、ようやく稜線に抜けたときは、心底安堵しました。目が眩むような垂直の世界から、もう安心と思える場所に出たときは、深い水をくぐったような感覚がありました。「あっち側」から、ともかく無事戻って来れてよかったです。
クライミングの内容は、恥ずかしくなるほど随所でハーケンから垂れているスリング(環になっている紐)を持ってしまい、自然の岩だけを手がかりにするフリークライミングではなくなってしまったので、チキンだなあとの敗北感があるのですが、はじめてのアルパインクライミングなのだから仕方ないじゃないかと言い訳をして、慰めてます。
ただ、今回つくづく思ったのは、クライミングは趣味だということでした。
それを自分の生き方として、クライマーというアイデンティティを追求するには、執着心が少々足りないみたいです。人生を全部クライミングに賭けてしまうトップクライマーたちを憧憬の眼差しで見つめるばかりなのです。
もしかしたらどんなことでも同じかもしれないけれど、クライミングは、続けているとだんだん片手間ではできなくなっていきます。結婚のようなものを要求されてくる気がします。ぼくはかつて、ほんの少しだけ、クライミングとの結婚が頭をよぎったことがありました。でもいまは、たまに電話やお茶をするぐらいの距離になっています。トップクライマーなどの、結婚した人たちの報告を聞くのが大好きです。どんな分野でも、トップを行くひとたちがどれだけすごいのかは、かじってみてはじめて痛感できるものなのかもしれません。
(撮影はすべて牧野。二番目の写真、正面の岩壁の一番左にある稜線が南稜。)
投稿者 tsuyoshi : 06:40 | コメント (2) | トラックバック
2006年10月29日
二つの方針について、パワーズ、ハルキについて
読書を(あるいは言葉を)心と生活の中心に据えようと思ったのはいいけれど、すぐさま問題になったのは、何を読むか、でした。
時間もお金も限られている。そして、読みたい本はありすぎる。そして、一冊ずつ、ゆっくり読もうと思っている。となると、読む本は厳選しないといけないのです。
そしていろいろ考えたのだけど、
・今までとても好きだと思ってきた作家をさらに読み込む
・その作家からつながっていく未知の作家を読む
という二つの方針をとるようにしようと思いました。これは、今までの読書の仕方と同じなのですが、それを意識的にしようと思ったのです。
こう思う背景には、以前『若い読者のための短編小説案内』(文春文庫)で村上春樹さんが
「今ここにある自分の偏った読書傾向、教養体験をそのままのかたちで保持し、より深く追求していくことによって、その結果小説家としての自分がいったいどのような地点に行き着くのか、それが知りたかった」
と書いてるのを読んで、共感したからです。
過去の名作とよばれている作品は、きっとどれも素晴らしいのだとおもうけれど、縁がないとなかなか読めません。歴史的な評価は高いけれど、あまり興味が湧かない作家は、まだ読む時期ではないのでしょう。虚栄心ではなく、本当によみたいなという時期が来たら読もう。
…などと、自問しながら、本屋をうろうろしていたら、『A Wild Haruki Chase 世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋)という本が目についたので、面白そうだと思い、買って読みました。
これは、世界中から、村上春樹の本の訳者20人以上が一堂に会して開かれたシンポジウムの記録です。一人一人の翻訳者がその国の読者の代表だということを考えると、とんでもない規模のシンポジウムだと思いました。一人の作家が、その物語の力で、世界中の様々な文化にいるひとたちを魅了するということがありありと分かる会議で、なんだかとても素晴らしいなあと思いました。
その中でも特に良かったのが、アメリカの作家リチャード・パワーズの基調講演でした。リチャード・パワーズは以前『ナイン・インタビューズ』という翻訳家柴田元幸さんが英米の作家たちにインタビューした本で知り、いつか読みたいと思っていた作家でした。
そのパワーズの基調講演。
わずか27ページの文章に、2時間ぐらいかけて読んでいました。
カフェで読んでいたのですが、息をするのも忘れるぐらい文字の奥へ奥へと入っていくような体験で、ちょっとあたりを見回したりして本から眼を離さないと怖くなるぐらい集中していました。
パワーズは、脳科学の見地から、「ミラー・ニューロン」を手がかりにて村上文学を読み解くように語っていました。
村上作品を読んだことのある方はよく知っていると思うのですが、彼の小説のなかには、「鏡」「影」「迷宮」「井戸」などの、「あっち側とこっち側」やその境界に関するモチーフが頻出します。僕は村上作品を読んで「ぜんぜん分からないけれど、なぜか深く共感している」という余韻をよく抱きます。その不思議さの秘密をパワーズはその博学で愛情に満ちた語り口で教えてくれて、ああ本当にそうだなあと思い、読みながら、脳の中の神経細胞がぐんぐん繋がっていくのを感じました。脳がオーバーフローしてしまうぐらい深く感じ入っていたので、すごくジーンとして読み終えました。
パワーズの講演は、作者への深い共感に満ちたものだったから、どんなに分析的な語り口であろうと、強く伝わるものがありました。
この本は、パワーズの基調講演はすごくよかったけれど、村上作品に魅了されていない学者が社会分析をするように解説する部分は、「けっ」と思って読み飛ばしました。翻訳者の話は作品に対する愛情に満ちていてとても面白かったのだけれど。
『若い読者のための短編小説案内』で村上さんは
「気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとっも大きな喜びのひとつである」
と書いてます。パワーズも翻訳者も、このシンポジウムで、きっとそういう喜びをひしひしと感じていたのだと思います。この本でそのおすそわけをしてもらった気がしました。
というわけで、リチャード・パワーズの本は「読みたい本リスト」の最前列まで移動しました。もっとも最前列は、中国の駅のキップ売り場のようにひしめき合っているので、いつ読めるかは分からないのですが。
投稿者 tsuyoshi : 01:42 | トラックバック
2006年10月27日
急坂はじまる
ひとつ前の文章に、なにか一般論のような書き方で初対面の方と話したあとのことを書いたけれど、あれは間違った書き方だった。あれは「その人」と話したあとに感じたこととして書くべきで、一般論のように書くべきではなかった。
なぜこんなことをいちいち書くかと言うと、あのあとから急坂が始まったからなのだ。
平坦な道をだらだら漕ぎながら惰眠をむさぼり、適当に本を読み飛ばし、生活のリズムもめちゃくちゃで、長い長い待機の時間の中で、手探りだけはずっと続けながら、焦燥と嫌悪にくたくたになっていたのだが、やっと手が何かに触れたのかもしれない。「気づき」があったことは確かだ。本当に追いつめられなければ重い腰は上がらないのだなあと、いま思っている。
具体的には、「本を、一冊ずつ、もっと丁寧に読んでいく」ということ。
趣味の域を越えて、言葉に深く関わる仕事をしていきたいと、思い定めているわりには、ぼくの読書経験は浅すぎるとずっと思っていた。
尊敬する作家たちはみな、10代のころの読書経験がとてつもない。でも僕は本を読むことが生きる糧になってきたのは20代の前半からで、しかもいろいろな作家に魅了されてはきたが、限定的な読書だった。10代はまったくと言っていいほど本を読んでいない。どちらかというといままでずっと、読書よりも山とか旅に深く心を奪われてきた。
20代の前半に開高健の『夏の闇』を読んでから本に(というより開高健に)魅了された。それからしばらくして宮沢賢治、星野道夫、村上春樹、梨木香歩、谷川俊太郎などに魅了され、それなしでは生きられないぐらい深くそれらの作家の言葉を必要としてきた。
でも、やはり浅いのだと思う。読んだ本の冊数などではなく、ただそう感じるだ。上記した作家の自伝やエッセイを読むと、その10代前半からの圧倒的な読書経験の深さと広さにたじろいでしまう。
いいものを書きたいと思うのなら、いい本をもっとちゃんと読む必要があると、本当に思ったのだ。もう15年ぐらい早く気づけたらよかったのだけど、それはまあ仕方がない。いまから一冊ずつ、気迫を込めて、読んでいる時間は自分の全部を没入させるように読むしかない。そのように、もう待ったなしの状況に追い込まれていると思ったのだ。(やっとそのように思い込めたのだ)
そういう具体的な急坂がはじまり、いまはせっせと登っているところ。
いままで時間は叩き売りしたいほど有り余っていたけど、いまは寝る間も惜しいと思うから不思議だ。
心に誓っているのは、数を読もうとしないということ。
読むべき一冊を、ゆっくり、丁寧に読む。
きっとそうやって読むことが、結果的には数にもつながっていくはず。
(でも、読み始めてみて浅い本だと気づいたら、ギヤを切り替えて一気に読んでしまおう。)
それから、人と会い、展覧会へ行き、映画をみて、山などに行くということも、「出会う」という本質は変わらないから続ける。ただ、時間は限られているから、全部を満遍なくはむりだ。
人と会うときも、できるのなら、全存在でそのひとの前にいれたらいいなと思う。でも、相手も自分も肩こったりしないでそういうふうにいられるのは、なかなかむつかしいことだ。
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2006年10月23日
伝わらなさをこそ
先日もそうだったのだが、ときおり初対面の方と話す機会がある。
そして、話しているうちに何か共振するものがあるとそれがどんどん増幅されていき、ひじょうに得難い時間を過ごせたなと思いながら別れる。
でも、それが得難いかけがえのない時間であればあるほど、なにか後で、ざらざらとした違和感のようなものが残るように思う。のどの奥に小骨が刺さって取れないような、擦りむいたひざがだんだん痛みを帯びてくるような、地団駄を踏みたくなるようなもどかしさが残ってしまう。
伝え切れていない、あるいは決定的な誤解を抱かせたまま伝わっているというような思い。そしてその誤解は、おそらくもう一度会って誤解だと説明しても訂正しきれない深い領域での、もはや誤解という言葉では回収しきれないものだと思う。
仕方がないと思いながらも、とても残念なことだと思っていた。
しかし今日、脳科学者茂木健一郎さんのクオリア日記にこのように書かれているのを読み、何か目が見開かれるように感じた。
この世界で生きていく上で最も
大切なことのひとつは、お互いに容易に
理解し合えない、しかしそれぞれが
固有の豊饒を抱いた世界の間で引き裂かれる
ことを体験することではないか。そのようにして、初めて世界の中に
並列する不可視で多様なものたちの豊かさに
感謝する気持ち、簡単には見ることのできない
他者を思いやる心が生じる。一つの世界の中での安住よりは、
引き裂かれてありたい。そのようにして、初めて魂の運動が始まり、
気付きの時も訪れる。
深く会話をするということは、もしかしたら引き裂かれてあるということを確認することなのかもしれない。もしかしたら伝わらなさをこそ確認しあうのかもしれない。
伝わらなさを想うときぼくはよく、
広い海の真ん中で、小舟に乗っているというイメージを抱く。
その小舟は一人乗りだから、もう一人乗り込むことはできない。
友人たちは波間から見え隠れしている。
ときおり、捕った魚と海草を交換できるぐらい近くに来れたりもするけれど、
潮流にながされて視界から消えてしまうこともある。
そして潮流の偶然の采配で、この広大な海のなかで、新しい人と出会ったりもする。
そんなイメージを、いつからか育てていたように思う。
それは言い換えれば、「個」であることを引き受けるレッスンをしているということだろう。そして、このようなことを直感的に共有できる人とは、縁あって出会えたときに得難い時間を過ごせるように思う。
投稿者 tsuyoshi : 19:54 | コメント (2) | トラックバック
2006年10月17日
単独行で目にする美しさについて
沢登りをしているとたまに、有史以来一度も人間が訪れていないだろうと思われるような場所にいることがある。
ナルミズ沢から山一つ隔てた東黒沢を遡行しているとき、源流部のツメで間違った沢に入り込んでしまった。間違いに気づいて薮漕ぎをしているときに、もしここで何かの拍子に死んでしまったらまず見つからないだろうなと思っていた。
単独行のとき僕は「いま死んだらどういうことになるのだろうか」と考えていることがある。特に、まずだれからも見つからないだろうという場所にいるときによく想像している。自転車旅をしているときも、たとえばチベットの荒野の道を外れた岩陰などに野宿しているときなどに、よく想っていた。単独行をしているときは、程度の差こそあれ常に自分の死を想っている。特別な心境にあってもなくても、想う人がいてもいなくても、危険度が高くても低くても、それほど関係はないと思う。死を想うということは僕にとって、単独行をするということの一部になっている。
僕は、友人と一緒に山に行くのも、一緒に旅をするのも好きだけれど、たぶん単独行が一番好きだと思う。そしてときどき、どうしても単独行をしなくてはいけないと思うときがある。
一人で、ヒトが誰もいない場所へ行くと、精神にこびりついていた贅肉が削ぎ落とされていくように感じることがある。そして、社会的文脈の中で見失いがちな本当に大切なことを思い出させてくれる。
もし僕が死んだら誰が悲しむだろうか、誰はそんなに悲しまないだろうか。死ぬ前に誰かに会えるとしたら、誰に会いたいだろうか。死ぬ前に何かできるとしたら、何をしたいだろうか。そんなことを考えることで、精神の贅肉を落としていくのだと思う。だから、死を想うことと、死にたいと想うことは、一見似ているようだがそのベクトルは逆方向だと思う。
沢登りをしていると、死はそれほど抽象概念ではない。
どんな簡単な沢でもスリップは絶対に許されないという場所はあるし、事故というものはだいたい技術的に難しい箇所ではなく、比較的簡単な場所で起こるものだから。
それが単独行だとさらに、骨折さえ場合によっては致命的になる。だから僕は単独行のときは、臆病なほど慎重に行動している。
しかし、そういう危険を自覚し、それを引き受けた上で目にすることができる光景もある。
単独行のときには、単純に天気の善し悪しだけではない光景の美しさを目にすることがある。物理的には同じであるはずの光景のなかに、単独行でしか目にすることのできない美しさが宿るときがある。そしてそういう光景を目にすると、大好きな女の子と目が合ったときのように胸が詰まり、息ができなくなり、とても嬉しくなる。
投稿者 tsuyoshi : 03:17 | コメント (5) | トラックバック
2006年09月16日
野良猫
ぼくは野良猫が大好きで、見かけるたびにいいなあとちょっと羨望の眼差しになってしまう。あのひょうひょうとした自由な生き方を見習いたい。でもきっと野良猫は野良猫なりの苦労があるんだろうなぁ。飼い猫の陰口に心を痛めたりして。
最近読んだ、河合隼雄さん(心理療法家)と吉本ばななさん(小説家)の対談の本の中に、非常に印象深い箇所があった。
河合 いま現代人は、みんな「社会」病にかかっているんです。なにも、社会の役になんて立たんでもええわけですよ。もっと傑作なのは、ただ外に出て働いているだけなのに社会に貢献していると思っている人がいる。貢献なんてしていないですよね、金儲けに行ってるだけでしょ。「そんなん、別に」とぼくは思ってます。社会へ出ていくとか、だいたい社会というものが、あるのか、ないのか。それから、なんで貢献せないかんのか、とか。全部、不明でしょ、ほんとのとこは。
吉本 いやなことなんだけど、やらなきゃいけないというこの感じは、いったい、どこから来てるんですか?
河合 流行り、いまの流行りですよ。
吉本 (笑)
河合 昔だったら、そんなに流行ってないと思いますよ。昔は天皇陛下のために死ぬことが流行ってたというように、時代によって流行りがあるんです。
吉本 なるほどねえ。
(『なるほどの対話』新潮文庫より)
こういう箇所に非常に共感するのは、僕が社会に居場所を感じられないからだろう。特に社会の役に立たないでも、野良猫のように卑屈になることなく生きたいと思うのだけれど、日本に住みながらそういう生き方をするのは、非常に大変だと思う。友人と話していて仕事の忙しさの話になったり、あるいは忙しそうなサラリーマンを見たりすると、なぜか自分が非難されているような気になるのだ。普通に社会に参加していないような生き方が。
なんでだろうと思っていたけれど、それが今の時代の「流行り」なのだと思うと、少し気が楽になる。天皇陛下万歳の時代に、その空気にどうしてもなじめない人が激しい疎外感を感じたであろうように、時代精神に合う生き方ができない人は、否応なく疎外感や罪悪感を感じるものなのだろう。今生きている時代に無縁でいられる人なんていないのだから。(もしいたとしたら、それは野良猫が化けているのだ)
僕もメッセンジャーの仕事をしているときは、忙しさの真っ只中にいた。大至急の荷物をいくつも持って、ビルからビルへと東京の中心部を右往左往していた。そしてときどき、忙しいということに快感を覚えていた。きっと「忙しい」ということが、いまの、特に東京の流行りなのだろう。流行りだから、流行に乗っていると快感なのだ。
そして、そういうときにはちょっと傲慢になっていた思う。「忙しい」ということが大義名分となって、あまり他を顧みれなかったように思う。そうでない価値観を見下すか非難するようになっていたかもしれない。「忙しい」ということが悪いことだとは決して思わないけれど。
『なるほどの対話』で吉本さんは河合さんに、作家として生きていく職業的位置が日本にはないということを相談していた。普通に生活をしている場面で職業名を聞かれたときに、作家だと名乗るのが非常に難しい空気があるのだという。
作家は、自分の名前を看板にして、個人として生きていく職業だけど、そういう職業を名乗ることが難しい世間の圧力のようなものを、私生活の場面場面で感じるのだという。異物を排除するような、腫れものに触るような空気を日本では感じてしまい、つい「主婦です」などと嘘をついてしまうのだという。そしてそういう圧力を振り切るためにエネルギーの75%ぐらいを使ってしまい、本当は創作にもっとたくさんエネルギーを使いたいのにとても辛いと、河合さんに相談していた。
日本は「世間」の圧力がとても強い国なのだろう。「個人」であることを表に出すことが非常に難しい社会なのだろう。
だから作家のような突出した「個」はすぐに「世間」とぶつかり、嫌われるか、極端に持ち上げられるかで、いずれにせよ排除の対象になってしまう。
そういう空気を、吉本さんのような社会に広く認められた作家でさえ感じるのだから、作家の、卵の、影の、予感ぐらいでしかない僕が強烈に感じてしまうのも無理ないだろう。
登校拒否も、ニートも、ひきこもりも、現代の日本社会の流行りに乗り遅れた人たちへの、世間からのレッテル張りだろう。レッテルを張って区別し、排除しようとする圧力なのだろう。そうして排除することで、「全体としての安定」を保つのだろう。
ぼくはこのごろ「個と組織」についてしつこく考えているけれど、「個」であることと、「群れ」の一員であることは、実は補完的なのだということを、よく感じている。
「補完的」という言葉はよく「地と図の関係」で説明される。陸地と海しか書かれていない白地図を思い浮かべて、陸地は海により規定される/海は陸地により規定されることを思えば理解しやすいと思う。海が増えると陸地は減る。陸地が増えると海は減る。でも、全部海、全部陸地になってしまうと、真っ白な紙があるだけで、それはもはや「陸地」「海」と名付けられなくなり、白地図ですらなくなる。
もし100%「個」であったら、発狂しているのだと思う。100%「群れ」であったら、ロボットのようなもので、もはや人間ですらないだろう。
だから、「個」と「群れ」の座標軸上のどこかに、ちょうどいい関係を保てる場所を見つけることが大切なのだろう。
海と陸に片足ずついれて、その境界から生まれるような言葉ってどんなものだろうと思う。
波打ち際や岬の突端、あるいは沼地のような場所が放つ魅力は、もしかしたら言葉が生まれる原初的な場所と関係しているのかもしれない。
「群れ」に決して両足を入れない。片足だけ入れて、もう片方は「個」に入れる。そして「個」に両足を入れてしまいたいという強い誘惑にも抗う。そんな立ち位置を、場合によっては相当な気合いを入れてでも見つけていかなければならないのだろう。
…
だいぶ前の話になるが、ある女の子に「野良猫みたい」と言われたことがある。ときどき気まぐれににゃーにゃー鳴いて近づいてくるけれど、可愛がろうとするとすぐどこかに行ってしまうような野良猫のようだ、と。彼女が僕を飼い猫のようにしようとするものだから、僕はたまらないと思ってその手をくぐり抜け続けていたのだ。そうしたら彼女はある日、半ば諦めたような口調で「野良猫みたい」と言ったのだ。あの発言は、かなり嬉しかったな…。
投稿者 tsuyoshi : 09:53 | コメント (11) | トラックバック
2006年07月06日
しばしのお休み
突然ですが、優先順位の関係で、しばしブログの更新を休止します。再開は7月下旬から8月上旬ぐらいになると思います。いままでだって平気でこれぐらいの間は開いていたけれど、今回は計画的にお休みします。梅雨の日々を楽しみながら再開を待っていただけたら嬉しいです。ではでは。
投稿者 tsuyoshi : 00:08 | コメント (4) | トラックバック
2006年06月24日
北穂高岳へアルバイト
6月25日から7月2日まで、北アルプスの北穂高岳に行ってきます。個人的な登山ではなくて、荷物運びのアルバイトです。7月1日の朝7:00〜8:15の間のNHK「おはよう日本」という番組で北穂高岳から中継をやるそうで、その荷物運びやアシスタントのお仕事です。
番組内で中継3分、ビデオ映像3分ぐらいだそうです。計6分のために25日から山に入るのだから、すごいことです。残雪期の登山経験があり、いきなり一週間の時間がとれ、30キロの荷物が背負える人はきっとあまりいないのでしょう。突然電話が掛かってきてアルバイトをすることになりました。執筆の方もきりがいいところなので、一週間ぐらい離れるのはちょうどいいなと思って依頼を受けることにしました。体力さえあればできる仕事だけれど、ちょっと楽しそうだし。
久しぶりに重登山靴やアイゼン、ピッケルを使います。でも梅雨の時期なので、連日雨でしょう。
30キロを背負うのは本当に久しぶりです。体力が心配だったのでちょっと前からジョギングをはじめました。最初はすごく疲れたけれど、数日経つとわりと楽に走れるようになり、走るのがとても楽しくなっています。だから体力的にはどうにかなるだろうと思ってます
こうやって映像をとって、こうやって中継するんだというのをしっかり見てこようと思います。僕にとっては取材してる人たちを取材するようなものです。それから暇な時間もありそうなので、一眼レフカメラをがんばって持って行こうと思います。いい写真が撮れたら嬉しいです。よろしければ7月1日の朝に番組をご覧になってください。それからメール、コメント等の返信やブログの更新はできなくなると思います。冷蔵庫の中をはやく整理しなくては。
投稿者 tsuyoshi : 01:20 | コメント (6) | トラックバック
2006年06月15日
矛盾につきあい続ける強さ
最近は、午前中は執筆、午後はクライミング、ジョギング、水泳、読書、映画、写真展、美術館鑑賞、人と会う、エッセイを書くなどにあてている。
しばしばリズムは崩れるのだけれど、おおむねこの通りになっている。
だけど、今日は散々だった。
ずうっと頭が痛く、吐いて、何が原因かもよく分からなかった。
だから、一日中何もできなかった。ずっと横になっていた。読んだり書いたりなど論外だった。今はようやく落ち着いている。
横になってひどい頭痛に苦しみながら、くり返し思い出されたのは、昨晩DVDで観たドキュメンタリー映画「Littlt Birds -イラク 戦火の家族たち-」のいくつかの場面だった。
クラスター爆弾の破片が少女の目に入り、それを取り除く手術をしたあと、ベッドで目がさめた少女が頭が痛いといっていた。父親は娘の手を握り、頭痛薬をもらってこよう、それで大丈夫だと少女をなぐさめていた。
普段は寡黙そうな老人が、病院のベッドで、爆撃で亡くなった子供を目にし、突如発狂するような声をあげて自分の頭を何度も叩き、祈るようにうずくまっていた。
小学生ぐらいの子供が、腹に流れ弾が当たり、病院で摘出手術を受けていた。「痛くしないで」と泣き叫んでいた。
そういう、無数にあった痛い場面がくり返し思い出されていた。
実はこの映画は、一年ほど前に映画館で観た。新宿のK'sシネマという映画館で見たのだが、映画館を出た後世界が一変して見えた。友人と一緒に見たのだが、観終わったあと一切なにも話せなくなってしまった。あらゆる感情が沸騰し、混乱し、文字通り言葉を失っていた。
今回もう一度見ようと思ったのは、先週の土曜日と日曜日に別のドキュメンタリー映画と写真を見たからだ。
土曜日に「ガーダ/パレスチナの詩」をみた。ガーダというパレスチナ人の女性を12年間に渡って撮り続けたドキュメンタリー映画だった。監督は古居みずえさんという女性の方なのだが、女性でしか撮れないような映像も多く、取材対象に本当に深く関わらないと撮れない映像ばかりだった。
映画を観た後、監督とフォトジャーナリストの広河隆一さんとのトークショーがあった。古居さんも広河さんも、いわゆる”ジャーナリスト”の独善的な押し付けがましさがまったくなく、むしろ話し方は静かでおだやかだった。リラックスし淡々と話すのだが、そのおだやかさは、矛盾する現場にずっと付き合い続けてきたことと無関係ではないのだろうなと思った。
日曜日には新宿のコニカミノルタプラザに行き、「地球の上に生きる2006 DAYS JAPANフォトジャーナリズム写真展」を見に行った。広河隆一さんが編集長をする雑誌『DAYS JAPAN』主催による写真展で、世界中のフォトジャーナリストからの報告を一同に会したものだった。
言うまでもなく、直視するのがつらいものばかりだった。まともに見てしまうと心がもたないものばかりだった。日本で安全に暮らしているものにとって、一番知りたくない現実、もっとも知らないふりをしたい写真ばかりだった。なぜなら、世界中からのどの報告も、直接、間接的に自分たちの生活と関わりがあるということを本当は僕たちは知っているからだ。ただ遠くの国の過酷な情況を伝えている写真ではないということ、遠因の一部を自分たちの生活が図らずも担ってしまっているということ。そういうことを知りたいわけがない。でも、「知らなかった」で済むわけもない。
ただ、いまでも不思議なのは、重たいテーマを扱ったものばかりなのだが、そこに美しさが感じられたことだ。悲惨な情況の写真に美しさを感じてしまうのはどこか後ろめたいのだが、やはり深い美しさを感じていた。
ジェイムズ・ナクトウェイ氏の、ベッドに横になるエイズ患者の上で、窓から風が入りカーテンがふくらんでいる写真。テル・クワヤマ氏の、パキスタン大地震の被災者の女性たちが不安そうに遠くを見ている写真など、ただ悲惨な瞬間を写しただけではない、優しさのような視点があり、それが美しく感じられたのかもしれない。重く、残酷な情況の中での優しさのようなもの。どこかラファエロやミケランジェロの宗教画のような美しさがあった。
写真展は三部構成になっているのだが、第三部は残酷な情況ではなく、すみずみまで安心して見れるものだった。アンドリュー・テスタ氏の「海の民モケン族」の写真が美しく、誇りを持って生きている姿にすくわれる気がした。
会場を出て、新宿の町を歩いていると、小さな会場で女性アイドルグループが鼻にかかった声で歌い、手を振っていて、それに合わせて男たちも手を振っていて、さっきまで見ていた情況とのコントラストに目眩がした。その後、ニコンプラザ、ペンタックスフォーラム、エプサイトといつもの写真展めぐりをし、いくつかとても素敵なものもあったのだが、なんとなく「アート」なものや「旅日記」のようなものをみると、「だからなんなんだ」と思ってしまい、素直に見れなかった。そのように一時的にだけ”ジャーナリスティック”になっていることは恥ずべきことだと思ったが、怒りや悲しさや無力感で頭が真っ白になっていた。
二日続けて重たい作品ばかりで、相当参っていたが、せっかく集中的にドキュメンタリーに接しているのだからどうせならとことんと思い、やはり「Little Birds」をもう一度見ようと思い、写真展を観た帰りにDVDをレンタルした。でもすぐには見れずに、昨晩見た。
もう今は頭痛も吐き気もまったくない。ただの風邪だったのかもしれない。
でも、久しぶりに「痛さ」というものを味わったのは事実だった。
痛くないときは痛さがどういうものか、ほんとうに忘れてしまう。
ましてや他人の痛みなど、すぐに忘れてしまう。
どこかで鈍感にならないと心が保たない現実に生きているのは事実で、でも鈍感になってしまうと間違いなく、下品で、偉そうで、嫌な奴になるのだろう。鈍感になることなく矛盾につきあい続けられるような強さが欲しいと思った。
投稿者 tsuyoshi : 17:58 | コメント (8) | トラックバック
2006年06月10日
情熱大陸、山野井泰史
今週末、情熱大陸に山野井さんが登場する。
普段はまったくといっていいほどテレビを見ないけれど、これは見なくては。
彼は、きっと最も正直な生き方をしている人。雑音を排し、自分の心に耳を澄ませられる人。
アウトドアブランドのパタゴニアの理念に「Committed to the core(本質への忠誠)」という言葉があるが、この言葉を思うとき、同時に彼の生き方が思い出される。
彼の、クライミングに対するモチベーションの高さ、理想の高さを、映像や言葉の節々から感じられたらと思う。
投稿者 tsuyoshi : 02:29 | コメント (8)
2006年06月07日
心の中にある森
前の日記に、いくつか映画や展覧会や本の感想を書いた。
書いてから、心に浮かんできたイメージがある。それは、森の中の明るい場所から、小さな芽が出るというイメージだ。
いくつかの感想をメモ程度に書き、それからあれこれ反芻し、どうしてこのようなメモを残そうとするのかを考えているうちに、発芽した場所をマーキングしておきたかったのかもしれないな、と思った。
心の中に森があり、そこから次々と発芽していくイメージ。
発芽したことに気がつかないことが多いから、一度言葉にすることでマーキングし、そしてそこから成長していく様子をじっと見守りたいと思うのだ。時間をかけて大木に成長するかもしれないし、すぐに枯れてしまうかもしれない。でも、きっと成長するだろうなという予感があるから、マーキングしてしっかり見守るのだ。
見守るということは、考え続けるということでもある。
本当にすばらしい作品は、観終わった、読み終わったときから成長していくものだと思う。
「すごくよかった」という確かな余韻はあるのだが、うまく言葉にならないし、強引に言葉にしてしまってもこぼれ落ちるものが多すぎるなと感じるような作品。そういう作品は、心にとどめ、くりかえし反芻する。重層的なメッセージに耳をすまし続ける。そうすることで、発芽したものを育てていく。いいものだったと思うから、もっと成長させたいと思うから、いつも心のどこかにとどめておく。そうして時間をかけて、そのような芽が成長してくれたら、森も豊かになるのではないかと思うのだ。
「これは発芽したな」と気づくことも大切だし、発芽したものをいつもこころにとどめ、くり返し考えることで成長させることも大切なのだろう。そしてそれ以前に、発芽できる土壌にすることが大切だろう。
また、植林よりも、やはり芽から育てた方が自然で豊かな森になるだろうなとも思う。自分の中の森が、誰かに植えられた木々だけだったら悲しいし、つまらないと思う。
やはり、多様な植生が混在するような森がいい。発芽したものが互いに影響を与え合うような森がいい。できたら、木登りが楽しめるようなでっかい樹があるといい。樹々はしっかり根を張っていたい。でも、常に新しい芽が出るように、地表まで日が射すような余裕が欲しい。そのためには、ちょっとした手入れは必要かと思う。
そういう、心の中に豊かな森をもつというイメージ。
あるいは、自分の中にどのような森があるのか観察するということ。
これは明らかにフィクションなのだけど、僕にとってはある種の現実的な力を持っている。
物語や芸術の持つ力とは、このような、形はないけれど確かに存在する力のことかもしれない。
投稿者 tsuyoshi : 14:25 | トラックバック
2006年06月02日
五月のすごくよかったメモ
五月にみた展覧会や映画などの感想。
すごく良かったものだけ、メモ代わりに。
・展覧会「フンベルトヴァッサー展」 京都国立近代美術館にて。
雨や曇りの日の方が、色自体がよくみえるから好きだと、ビデオの中で言っていたのが印象に残る。確かに晴れの日はコントラストが強く鮮やかな色彩になるけれど、色自体の微妙に変化する階調は見えにくい。これから梅雨になるけれど、雨や曇りの日は色の豊かな階調が楽しめるのだと思うと、もう一つ楽しみが増えた気がした。彼の建築の模型も、版画も、すごく良かった。
・映画『かもめ食堂』
こんな言葉が「村上朝日堂」という村上春樹さんのホームページにあった。
40歳を過ぎてなおかつ素敵な女性は、ほんとうに素敵な女性だと僕は思っています。それより若い時に素敵なのは、多くの場合若さの助けを借りているからです。そういう助けなしで、素敵な女性になるというのは、ほんとうに価値のある達成ですよね。
『かもめ食堂』の主人公のサチエさんが、まさにそんな女性だった。これはもうほんとうに「価値のある達成」だと思った。映画の中だけれど、ほんとうに素敵な女性に出会えたことは、ほんとうに素敵な出来事だった。サチエさんがいくつなのかは実際のところよくわからないのだけれど。
・映画『ビフォア・サンライズ(邦題:恋人までの距離)』/『ビフォア・サンセット』
全編、二人の会話しかない、きわめてストレートな恋愛映画。会話することの喜びに満ちた映画。ふたりとも話したいことが山ほどあり、時間は圧倒的に足りなく、たたみかけるように話している姿が、とても良かった。「話す」ということはどんな遊びよりも楽しいことなんだと思った。そして、どれだけ話しても伝え切れない、言葉の苦しさ、もどかしさも伝わってきた。二人の会話があまりにも自然なので、これが演技だということが不思議だった。『ビフォア・サンセット』は、『ビフォア・サンライズ』の続編。
・映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
キューバの老ミュージシャンたちへのインタビューとライブ演奏のドキュメンタリー映画。
とにかく素晴らしかった。キューバ音楽のことは全然知らなかったけれど、心から楽しんで演奏しているということが、シンプルに伝わってきた。こういう素敵な年の取り方は、ほんとうに偉大な達成だと思った。
ひとつひとつとても素晴らしく、感じるものも多く、書きたいこともたくさんなのだけど、やはり見てすぐに書かないと機を逃してしまう。だから今回はメモ程度の感想になってしまった。
それにしても、世の中にはすばらしい作品がほんとうにたくさんある。まだまだ出会っていない作品が山ほどあるのだろう。それは、ほんとうにすばらしいことだけれど、全部見ることなんて絶対にできないから、ちょっと悲しくもある。
投稿者 tsuyoshi : 00:49 | コメント (2) | トラックバック
2006年06月01日
ガードを下げる
大阪、京都での写真展を終え、東京に戻ってきて二週間ちかくが経ちました。その間に僕はゆっくりと舵を切り、紀行文を推敲する心の姿勢に切り替えていました。もう、他のことはしないようにします。推敲することに没頭します。
体を動かすことは書くことのいいペースメーカーになるので、ジムでのボルダリングはやるけれど、限界を押し上げるようなクライミングはやらないように気をつけます。いままでに登れた課題を、もっと合理的なムーブで、もっと力を使わないで登ることを主たる目的として登ろうと思います。没頭しないと限界を押し上げるクライミングなどできないけれど、二つ同時に没頭などできるわけがないから、この場合優先順位の関係で書くことを選びます。
書くことに没頭するということは、ガードを下げ、無防備な状態になるということでもあります。
感度を最大限上げるので、些細なことに神経質になり、ぐさりと感じてしまったりする状態になるのだと思います。でもそれは仕方のないこと。多少の傷は受けるしかありません。その分、驚いたり嬉しかったりすることも多く感じられるのだから。でも、いま自分はガードを下げているのだということを自覚することは必要だと思います。自覚していれば、自衛手段も講じられます。
そして願わくば、いつだってこういう状態にいたいものです。堅く殻を閉じても閉じきれるものではないし、せっかくのすばらしいものごとを見逃してしまうのは、やはり残念だから。でも、そうやって生きるには、やっぱりタフにならないと。がんばろっと。
投稿者 tsuyoshi : 19:05 | トラックバック
2006年05月28日
グレーディングのアナロジー
久しぶりに友人を誘い、クライミングジムへ行った。
ブランクがあったのですぐに腕が張ってしまった。でもぎゅっとホールドを掴み、体を持ち上げることは、やはりそれだけで純粋に楽しい。
ひとくちにクライミングといってもいろいろあり、今回ぼくがやったのは、クライミングというジャンルのなかの「ボルダリング」というもの。ボルダリングは高さ3、4mぐらいの壁、ボルダー(岩、大石)を、ロープを付けないで登ること。ロープを付けない非常にシンプルなクライミングだ。
ボルダリングには課題ごとに10級から六段まで、難易度が付けられている。
10級から5級 : 初級者
4級から1級 : 中級者
初段以上 : 上級者
ぐらいではないかと僕は思っているだが、こういうのは感覚的なものなので個人差があると思う。1級から上級者かもしれないし、4級でも初級者かもしれない。
僕は調子がいいときは3級の課題が登れるけれど、いまだに2級がのぼれたことはない。4級/3級あたりをうろうろとしているので、中級ボルダラーなのだと思う。初心者ではないと思うが、決して上級者ではない。初心者にあれこれアドバイスはできるけれど、ぼくより上手い人はいくらでもいる。
で、今回はボルダリングをしながら、グレーディングについてあれこれ考えさせられたのだった。
たぶん、中級レベルまでは、好きであれば誰だって到達できると思う。ときどき夢中になり、ときどきブランクが空いたりしながらも、続けてさえいれば、才能などまったく関係なく到達できるレベルだと思う。
でも、初段はそういう態度では登れないと思う。よっぽどセンスのある人は別だが、凡人が初段を登ろうと思うのなら、人生のある時期において全面投資をすることを要求されると思う。夢中になり、没頭し、それがすべてだという生活を送ることを要求されるのだと思う。そして、二段、三段、四段…となっていくと、“人生のある時期”では済まされなくなっていくのだと思う。
ボルダリングについてこのようにあれこれ考えながら、これは他のどのようなことにも当てはまるなと思っていた。そして僕には、中級レベルでうろうろしている事柄がたくさんあるなと思った。
今月は写真展を二度もやったけれど、僕にとって写真はいまだに3級だ。最近は全然撮っていないので4級かもしれない。
沢登りは、去年に10回も行き、ようやく2/3級ぐらいになったなという感触があった。でも初段レベルにはまだほど遠い。
メッセンジャーはぎりぎり4級だろうか。もう辞めてから時間が経っているので5級かもしれない。
料理は好きだし、美味しいと言ってくれる人もいるので、4級ということにする。
読書は、わりと深く、真剣に読んでいるので、1/2級ぐらいかもしれない。
中学のころに卓球部でがんばっていたので、卓球はいまだって3級だという自負がある。
英語は、日常英会話程度なので、4級かな?
水泳は、このまえ有段者のごうくんにクロールを教えてもらったので、7級。いままではちゃんとクロールができなかったのだ。
このようにグレーディングするときのポイントは、あくまでも自己採点だということだ。他人と比べてどうこうというより、自分を客観視することの方が大切だ。
そして、ぼくの今までの人生のなかで、初段以上だと胸を張れる事柄は何なのだろうと考え、やはり「自転車旅」だと思った。人生のある時期に、全面展開し、全面投資し、魅了され、没頭したのだから、初段でもいいと思う。もしかしたら二段でもいいかもしれない。
それから「書くこと」。これは、本当は初段や二段だと言いたいのだが、まだ一つも「作品」と言えるものを完成させていないので、ちょっときついかな?
それから、恋愛。これは、えーと、全面展開全面投資の時期があったから、世界最難の六段と言いたいけれど、それはたぶん気のせいで、せいぜい6級でしょう。まだ初心者です。なかなか上達できません。でも、恋愛における「上達」ってなんなのだろう?
ボルダリングのグレーディングからのアナロジーで、あれこれと考えていたら、思いの外考えさせられました。
ものすごく好きで、かつ、全面投資し、理性的な計算を無視して取り組まないと初段にはなれない、ということ。そして初段以上を目指すのなら、さらに人生をどんどん投資していくことになる、ということ。でもやはり、初段以上の事柄が人生に深みをもたらすのではないか、ということ。“愛は惜しみなく奪う”なんてことばがあるけれど、そのとおりだなぁと思ったりしました。でも、中級レベルの事柄がたくさんあると、人生に広がりがうまれるなとも思いました。いろいろと、考えさせられます。
(3級の課題を登る僕。結局登れなかった。3級だって大変なんです)
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2006年05月22日
「喜望峰からの回帰録」 展示の様子
投稿者 tsuyoshi : 01:11 | コメント (4) | トラックバック
「THE EXPOSED」 展示の様子
投稿者 tsuyoshi : 00:35 | トラックバック
2006年05月12日
喜望峰からの回帰録
京都に来ています。
京都造形芸術大学で、15日から始まる小さな展示の設営をしています。
大学のカフェテリアの一画にある「地球回廊」というブースで、旅の写真を展示します。
CASOで展示されているものは、自分が写っていないものがほとんどなのですが、こちらはぼくが旅している写真ばかりです。
「地球回廊」のブースにはむちゃくちゃハイテクな「触れる地球」という地球儀があり、そこに旅のルートが書かれ、ルート上のいくつかのポイントにポインターを当てると、プロジェクターでそこの場所の写真が壁に写し出されることになる、ハズ。まだちゃんと機能するかは、分からない。
そしてそれとは別に、紙にプリントした写真をブースの壁に展示します。小さめの写真をちりばめて、カジュアルな展示にするつもりです。
投稿者 tsuyoshi : 03:10 | コメント (6) | トラックバック
偶然という触媒
今日はほんとうにいいことがありました。とある人にお会いしたのです。
同じ大学だという縁で、新宿で待ち合わせて会い、カフェで話していたら、なんと高校も同じであることが判明しました。しかも、学年も一緒。
彼の名前にまったく憶えがなく、彼も僕の名前に全然憶えがなかったけれど、片っ端から高校時代の友達の名前を挙げていったら、何人かヒットしました。それで裏が取れて、ものすごく不思議な気がしました。
なぜ不思議かというと、話していると彼の言葉にとても共感できるからです。
いままでずっと同じ学年の同じ高校、大学で、これほど微妙なニュアンスに共感できるにも関わらず、よく今まで会わなかったなと、それが不思議でした。きっと高校や大学の学食とか、廊下とかで、すぐとなりにいたことも何度もあったはずです。でもたぶんそのときはまだ会う時期ではなかったのでしょう。高校を卒業してから10年ぐらい経ち、僕も彼も、それぞれにぜんぜん違うことをあれこれと経験し、その中で自分の中にある種の軸を形成していったからこそ、このタイミングで会え、共感するものがあったのだと思いました。「このタイミングで」ということが、一番不思議で、かつ重要だと思いました。
もし彼と違う高校、違う大学だったとしても、共感することにはまったく変わらないと思います。でも、こういう偶然の一致は、その触媒のようになると思いました。先日新宿を歩いていて、これだけ人がいるのに出会えるひとはごくわずかだと思っていたことが、見事な伏線になりました。僕はたくさんの人と出会いたいとはそれほど思いません。そんなにたくさんでなくていいから、共感できる人と出会いたいと思っているのです。
黙々と深い森の登山道を上っていたら、尾根の中腹で突如視界が開けたような、思いがけない出来事でした。これから彼と何度も会い、そこから様々に広がっていくものもあるだろうなという予感がひしひしと感じられました。不安になりながらも黙々と歩き続けていて、ほんとうに良かったなと思いました。
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2006年05月07日
自分を開いていく、訓練
自分にとって「次」とはなにか、しきりに考え続けている。
たぶんもう考えすぎるぐらいだと思う。
なにか、祈りに似たとても強くもどかしい想いがあり、それになかなか形を与えられず、とても歯がゆい。
何でもいい、とにかく実際にアウトプットしてみること。
そうもおもい、いろいろやってみても、なにか今一つ満足しない。きっと自分の実力が決定的に不足しているのだと思う。そのことが分かっただけでもよしとしなければ。そう言い聞かせても、やはり心はざわつく。ただ恥をかいただけなのではないか、と。そう思ってしまうと、とても苦しい。
このようなざわつきは、「次」へと向かわせる力になる。もう一山も二山も、体験の山を越えなければならないと痛感する。自分の無力さが、なにかとても悔しいのだ。
自分のなかの、とても強いもどかしさを持て余し、「自分」などというものを表現しようとすることにうんざりしている。でも、世界は自分のフィルターを通してしか見渡せない。
いま読んでいるエッセイに、こんな言葉があった。
不思議な静けさに満ちていて、それでいて開かれている。
向こう側に、自分を開いていく、訓練。
(『ぐるりのこと』梨木香歩)
著者がイギリスの断崖近くをトレッキングしているときに、すれちがった人が言ったことばと、断崖の近くで瞑想していた人が、瞑想を終えて著者と話したときに言ったことば。
「自分」の域から出ることは、死ぬまで叶わないのだから、この自分のままやっていくしかない。しかしそれでも、向こう側に、自分を開いていくことは、意識すればできるのではないか、そういう行為からなにか自分が成長していくきっかけをつかめるのではないか。それは村上春樹さんの言葉でいえば、自分の井戸を掘り続け、普遍の水脈にたどり着く、ということなのかもしれない。
「自分」の域内で共感を求める言葉ではなく、向こう側へと、自分を開いていくような言葉、そういう流動する言葉が、言葉のつらなりを作品にするのではないか。
焦るのがいちばんいけないのだろう。焦ると、安易な結果を求めてしまう。そしてそういう結果には、とうてい満足できない。だれが、どれだけ評価しても、しなくても。
深く、考え続けること。そして、自分を体験へと駆り立てること。
忘れかけていた少年の夢のような心躍る体験をひたすら求め、一方で、静かに自分を開いていくこと。
そういう地点に立つことからしか、言葉はつむげないのではないか。
投稿者 tsuyoshi : 01:59 | トラックバック
2006年05月06日
ナトリウムランプ
ナトリウムランプで照らされた写真は、カラーがすべて白黒になっていた。
そうなることは知っていたが、苦労して一枚一枚プリントしたので、やはり軽いショックを受けた。
たとえて言うならば、大好きな女の子とのデートの前に、せっかくいろいろな店をさがして服を用意したり髪を切ったりしたのに、当日いきなり裸にされ、丸坊主にされたようなものだ。かなり乱暴な展覧会ではある。教訓は、服を探す時間を、腹筋を鍛える時間にあてるべきだったということか??
作品には題名もなく、キャプションもない。作者名は床に石灰で書かれており、時間が経つと踏まれて消えてしまう。そしてナトリウムランプにより色もない。こんなに悪条件の展覧会はちょっとない。この悪条件に作品が持ちこたえられるか、というのが一つの意図なのだろう。
展覧会の意図は「生々しさ」「ラディカル」「はじまりの芸術」「暴露」などというあたりにあるのだろうが、現代アートが、「アートであるとはどういうことか」を問うたり、「ラディカル」を宣言したりすることは、考えてみれば、かなり当たり前のことだと思った。
それはある新聞が「ジャーナリスト宣言!」などという広告をするのと同じようなもので、新聞はそもそもジャーナリズムであり、現代アートはそもそもラディカルなものである。
だから、出展しておきながら言うのもなんだけれど、いま僕は軽く違和感も覚えている。
たぶん、「ラディカル」という言葉が「過激」と「根源的」との二方向にあるあたりで、違和感を感じるのだと思う。
うるさいもの、刺激が強いものは、僕にはノイズが多すぎて耳を澄ませられない。
僕は、静かで、力強いものがラディカルであり根源的だと感じる。ほんとうのことは耳をすまして、ごくささやかな声を敏感に察知するような姿勢で聞き取れるのだと思う。そして、そのような根源的な言葉は、一見とても些細でこわれやすいけれど、ほんとうはとても過激なのだ。
展覧会の意図には、共感できるところも多々あるけれど、当然批判したい部分も多々ある。でも、そういうストレスや違和感を感じさせることが、そもそもの展覧会の意図なのだろう。出展する側にとっても、見る側にとっても、けっこうキツい展覧会ではある。
投稿者 tsuyoshi : 04:16 | トラックバック
2006年05月02日
展覧会がはじまる
CASOでの展覧会の設営が終わりました。明日から21日まで開催です。
参加することが決まってからずーっと不安だったので、やっと形になり、すごくほっとしているというのが正直な感想です。参加者の方々ともあれこれ話せて刺激を受けました。
とくにこの展覧会に誘っていただいた、椿昇さんと表現や芸術について議論するように話せたのが今回の最大の収穫でした。これから僕がどのように表現するということに向き合っていくか、いろいろといい刺激を受けました。
椿さんは、横浜トリエンナーレでビルに張り付く巨大なバッタを出現させた方で、今回はキュレーターであると同時に、ずーっとロウソクの炎を撮っただけという映像などを出品されていて、ロウソク好きの僕としてはかなり興奮する作品でした。
会場は、ナトリウムランプ(トンネルの中のオレンジ色の光)で照らされ、かなりストレスのある空間になるはずです。僕は会場にナトリウムランプが灯る前に帰ったので、作品がどのように見えるのかはまだ知りません。明日昼頃に会場にいって、どうなっているか見てから東京に帰ろうと思います。15日から20日まで京都造形芸術大学でちいさな展示をするので、あと一週間ぐらいまたせっせとプリント作業に没頭です。

投稿者 tsuyoshi : 23:49 | トラックバック
2006年04月25日
THE EXPOSED of the art
今月の上旬から、ずっと展覧会に出品するための準備をしていたのですが、ようやく完成のメドがたちそうなぐらいに準備できてきました。まだやるべきことはたくさんあるのですが。
展覧会は大阪の、海岸通ギャラリーCASOという場所で開催されます。
先ほどCASOのホームページを見てみたら、詳しい企画の内容がアップされていました。NEWSのところの下の方にあります。概要だけこちらにも書いておきます。お近くの方はぜひ来て下さい。
THE EXPOSED of the art vol.1 PHOTOGRAPHS
curated by NOBORU TSUBAKI × SHIGEO GOTO
ジ・エクスポーズド・オブ・ジ・アート vol.1「写真」
キュレイテッド バイ 椿昇×後藤繁雄・会期 5月3日(水・祝)〜5月21日(日) 会期中無休
・時間 11:00〜19:00 (最終日〜17:00)
・会場 海岸通ギャラリーCASO C・D室
・主催 京都造形芸術大学
他の人たちが、どんな写真をどれぐらい展示するのかは全然知らないですが、僕は、A3ノビサイズの写真を40枚弱展示します。壁から離れると、全部が見渡せるように展示する予定です。
このような展示は、実は一年前に大学の卒業制作展でやりました。あのときの展示を踏まえ、テーマをもっと発展させるようなものにするつもりです。
今回は、「連結された光景たち」という基準で新たに選び直しました。旅で撮った写真を全部見直して、以前のセレクトに何枚か加え、何枚か落としました。
全部の写真を見渡す位置に立つと、かなりのバリエーションのある写真になるはずです。アフリカとユーラシアの、様々な光景たちです。しかしそれらはすべて、一人の人間の、具体的な身体行為でつなげられた光景たちです。自転車により連結された光景だということが、すべての写真の通奏低音になっています。
一つの写真は、その時々の自分の立ち位置や旅した時の視点であり、そして背後にはプライベートな物語があります。しかしすべてを見渡す位置に立つと、個々の光景の中にあるプライベートな物語は遠ざかり、旅を全体で一つとして俯瞰するような、言わば“身体化された世界地図”を見るような経験になると思います。だから、できることなら、もちろん一つ一つの写真も見て欲しいですが、一気に全てを見渡すようにも見てほしいなと思っています。旅の途上で目にした、様々な光景と視線と物語のオーケストレーションのようになったらいいなと思っています。すべての写真を連結させるために、言わば指揮者の役割を担ってもらうために、旅で使った自転車のフレームも展示する予定です。
個展ではないので、残念だけれど僕はあまり会場にはいないと思います。初日である3日(水)は他の作品も見たいので会場やラウンジなどにいると思いますが。
そのかわりというわけではないのですが、実は15日から20日に、縁あってもう一つの展示を京都でやることになりました。京都造形芸術大学のカフェテリアにあるブースのような場所で、ちいさな展示をします。これは旅のスナップ写真を展示する予定です。セルフタイマーで撮った「青年荒野を目指すの図」のような、はずかしいくらいベタベタなチャリ旅写真を展示する予定です。
こちらはなるべく会場にいるようにするつもりです。まだ企画段階ですが、とにかく15日から20日にやることは決定しています。詳しく決まったらまたお知らせします。
というわけでこのところ、わりとてんてこ舞いなすばらしい日々になっています。わくわくそわそわしています。
投稿者 tsuyoshi : 01:07 | トラックバック
2006年04月20日
写真展めぐりふたたび
新宿に用があったついでに、またいくつか写真展めぐりをしてきました。写真展は無料のところがほとんどなので、気楽に見に行けます。
その中で、いいなと思ったのがふたつありました。
新宿ニコンサロンの春日広隆展「存在と時間」
草むらとか、砂漠の部分とか、岩山とか、木とか、そういう自然物を切り取っているだけなのだが、すごい存在感だった。おそらく中判か大判カメラで撮ったものをスキャンし、デジタル出力しているのだろうが、もう、草の一本まで、砂の一粒までも分かるぐらいに高詳細にプリントされていた。この「高詳細」というのがこの作品の核心だった。ひとつひとつの作品に、息を止め顔をぎりぎりまで近づけて見入ってしまう作品だった。ミクロの、細部の、極小単位が集まって、一つの木や草や岩山になっていることがありありと感じられ、じーっと見ていたら頭がくらくらした。細部へ細部へという方向から立ち現れる質感が圧倒的だった。このくらくら感は、オリジナルプリントでないと十分には感じられないと思った。苦しくなるぐらい見るものに緊張を与える作品だった。撮った後、膨大な手間と暇をかけて、ものすごいこだわりを持ってプリントしたのだろうということがありありと感じられた。かなり好きな写真だった。
コニカミノルタプラザの森弓月写真展 「花天」
夕暮れにフラッシュで空を背景に花を撮った作品。フラッシュをたいてスローシャッターにしているのだと思う。なんだか、本当の花でできた花火のようで不思議だった。上記の写真が大人の本気の作品だったのに対して、こちらは若く溌剌とした印象で、見ていて緊張はしない。むしろ、きっと楽しんであれこれと花を空を組み合わせたんだろうなということが想像できて、見る側も楽しくなる。こういう写真も好きだ。
ところで、今日新宿の雑踏を歩いていたら、たくさんの人がいて、それでつくづく、こんなにたくさんの人の中でも、出会えるのはごくわずかな人たちに過ぎないのだなと思った。みんな色々なことを想っていて、きっと話したら楽しそうなひともたくさんいるだろうに。こういうことは程度の差こそあれいつも感じることなのだけど、今日は特に強く感じた。たぶん、写真展を見て、みんないろんな情熱と労力を、いろいろな方法で費やしているんだなと思ったからだと思う。
投稿者 tsuyoshi : 02:59 | トラックバック
2006年04月13日
写真展を見て回る
昨日は、いろいろと写真展を見て回りました。展示方法の参考にしようと思ったのです。
オリンパスギャラリー、フォトグラファーズギャラリー、コニカミノルタプラザ、新宿ニコンサロン、ペンタックスフォーラム、エプサイト、と見て回り、くたくたになりました。東京ってほんとうにたくさんの展覧会が開かれているんですね。(東京の展覧会情報は東京アートビートなどで調べると便利です。)
見て回った中で印象に残ったものが三つありました。
・オリンパスギャラリーの「中村征夫・卓哉親子水中写真」
中村征夫さんの水中写真は、いろいろな雑誌でみたことがあるけれど、やはりプリントしたものでみるととても迫力があった。熱帯魚の強い原色の発色は、生のプリントならではだった。
・新宿ニコンサロンの権徹写真展「ブルーオーシャン」
白黒の歌舞伎町のスナップ写真。いろんな人が、いろんな姿態を繰り広げている。ひとつひとつじっくり見た。見終わってから「ブルーオーシャン」という題名についてもう一度考えてみて、いいものを見させてもらったなと思った。
・エプサイトの上田義彦写真展「at Home」
家族を撮ったスナップ。妻のお腹が大きくなり、女の子の赤ちゃんがうまれて、成長して、また妻のお腹が大きくなって、また女の子が生まれて…、という写真が、150枚ぐらい淡々と並べられているのだけど、すごくよかった。一枚一枚のうしろにあるたくさんの物語を想像するのが楽しかった。赤ちゃんが生まれる度に、また女の子だというのが楽しかった。広くて、古そうな家と、どんどん成長していく子供と、夫の妻を撮る視線。美しくて、とても私的な物語だった。家族を持つってこういう感じなのかなと、普段思いもしないことをちらと思った。
白黒写真が、ファインアート紙(きめの細かい画用紙のようなもの)にプリントされているのが、とても良かった。ファインアート紙にプリントすると、写真というより、なんだか版画のような質感なのだ。インクジェットならではの質感だった。
やはり、実際に足を運ぶと、いろいろと発見があります。
いまいちかなと思いつつ一応見てみたのが、ものすごく良かったりします。
面倒がらずに、これからもいろいろとアンテナを広げようと思いました。
投稿者 tsuyoshi : 00:38 | トラックバック
2006年04月10日
出展の準備
最近は、来月の3日から大阪の海岸通ギャラリーCASOで開催される展覧会に出展することになったので、その準備に没頭しています。
数年前、大学の卒業制作展に出展したのですが、そのときにアーティストの方が来ていて、すこしお話をして、そのときはそれだけだったのですが、すこしまえに突然展覧会の出展のお誘いが来て、出展することになったのです。
今回の展覧会は、写真展です。若手の写真家、アーティストなどが十数人出展するそうです。写真家でもアーティストでもない僕が呼ばれたのは、展覧会のテーマが「The Exposed」というもので、「暴露」「むき出しにされたもの」という意味で、つまりは写真表現として、アートであるとはどういうことかを問う展覧会だからです。旅の写真を数十枚展示する予定です。
いわゆる白い壁に、ライトアップされた作品が展示されるような展覧会ではなく、キュレーターがアーティストの方だから、もっと過剰な、展覧会自体が一つの作品になるような演出がされるようです。そして出展者はその過剰な演出により「Expose」されるようです。詳しくはまだ僕もよく分からないのですが。
写真でも小説でも現代芸術でも、どんな表現分野でも、写真家や小説家やアーティストになりたくてなるものではなくて、ただ、自分にとって自然であり、かつ切実であることを、しぶとくやり続けていたら、いつのまにか社会から「写真家」だとか「アーティスト」だとか「小説家」だとか言われているものではないか、と思います。そしてそういう社会のカテゴライズを引き受けつつ、さらに壊し、再構築していく行為を、名付けられた人は背負っていくのかもしれません。
僕は少なくともそういう筋道を辿っている表現者たちが好きです。なんというか、ほんものだなって思うのです。狭くカテゴライズされた領域に自分を押し込めるのが目的な表現者ではなく、裸の衝動を中心に据える誠実さと潔さを感じます。そしてそういう何とも名付けられない、カテゴライズし切れない行為の中から、何か新しいものが生まれてくるのではないかとも思います。大切なことは、批判精神を持ちつつ、自分にとって自然であり切実であることを、しぶとく、かつ、しなやかに続けることではないかと思います。こうやって言葉で言うのは簡単なのですが。
ちゃんとした展覧会に出展するのは(卒業制作展を別にすれば)はじめての経験で、不安なのですが、結局僕にできることは、あと20日間あまり最善を尽くすだけです。こういう機会があると、いろいろと考えるきっかけになり、とても嬉しいです。もう少し詳しく展覧会の内容が分かってきたらまたお知らせします。
投稿者 tsuyoshi : 18:56 | トラックバック
2006年03月03日
はじめさん
はじめさんが日本に帰ってきた。
昨日、6年ぶりに再会した。
はじめさんと会ったのはイランのエスファハーン。僕は東に向かっていて、彼は西に向かっていた。彼は、日本とユーラシア大陸を4年かけて自転車で旅し、一時帰国し、今度は中南米を3年旅して、そして帰ってきた。でも、今回も一時帰国のつもりだそうだ。
昨日はとても楽しかった。
はじめさん(7年)、ゆーさん(7年半)、ヤスダさん(5年)、アキさん(5年)というとんでもなく長期間旅行した4人と僕とで会ったからだ。ヤスダさんはバイク、他四人は自転車で旅した。こういう人たちと話していると、僕の旅した3年半という期間は、短いなー と思えてしまう。長期間旅した人たちが発する独特の雰囲気がぷんぷんしていた。
僕は、はじめさんのことをとても尊敬していて、その思いはきのう会って再確認され、そのことをいろいろと書きたいのだが、いまこのブログにはとても書けない。書くとしたら、もうかかりっきりで何時間も何日間もずっと書くことになり、ちょっと大変すぎるのだ。だからいまは書かない。こんなに尊敬できるひとってちょっといない。本当に「旅人」だなって思える人。僕にとってヒーローのような人です。
はじめさんのホームページ:「はじめの長い旅」
ps.文筆のほうは順調です。まったく書けないという時間も、「順調」という言葉の範囲内です。もともとあまり更新されないブログだけれど、さらに更新頻度は落ちると思います。これからも気が向いた時だけ、思い出したように更新することになると思います。
投稿者 tsuyoshi : 10:01 | コメント (2)
2006年02月08日
朝型
ここ数日、生活のリズムが完全に朝型になっています。
朝、7時前後に起き、朝食をしっかり食べ、ファミレスやカフェに行き、昼までの3、4時間集中して書いています。午前中がいちばん集中できます。
こんなことって、ありえないことでした。
僕は今まで完全に夜型でした。ひどいときには朝8時や9時まで起きていて、それから寝て、夕方起きるものだから、太陽を見ずに一日が終わることもしばしばでした。
それではかどっていたならいいのですが、だらだらと時間が過ぎるばかりで、手当たり次第に本ばかり読んでしまい、全然集中して書けていませんでした。試験前になぜか部屋を片付けたくなる心理と同じで、書かねばならない状況であればあるほど、本を読みたい欲求に屈し続け、ほとんど一日中本を読んでいたりしました。本を読むことも書くことの一種だといういい訳があるからなおさらです。
完全に昼夜逆転しながら一日中本を読むということを何日か続けて、どう考えてもこれは書くことを先送りにしているだけだと痛感し、そういうことがつくづく嫌になり、ある朝9時に、これから眠ることに嫌気がさし、思い切って「今、目覚めたということにする」と仮定し、顔を洗い、朝食をとり、バッグに原稿とパソコンを入れてカフェへ行ったら、思いの外はかどりました。
驚いたのは次の日です。目覚ましをセットしたのに、なんとその時間よりも前に、自然と目が醒めたのです。こんなこと、以前いつあったか分からないぐらい久しぶりの出来事でした。事件と言ってもいいほどの出来事でした。そして、ちゃんと朝食を摂り、朝の散歩もし、それからファミレスへいき書いたら、はかどりました。それ以後は味をしめ、朝はちゃんと目覚めています。しかも、日に日に目覚める時間が早くなっています。理想は日の出と共に起きることで、もう少ししたらそうなるのではないかと思います。
まだ、試行錯誤を続けながら生活のリズムを探っている状態です。全ての時間を使える状態になってつくづく思うのは、自己管理の難しさです。放っておいたら僕は底なしに自堕落になってしまいます。たぶん、一昔前の作家がそうであった影響で、そういうめちゃくちゃな生活から言葉を紡ぐのではないかという思い込みがあり、昼夜逆転でないと書けるわけがないと思っていました。でも、いろいろと試したけれど、そうではありませんでした。少なくとも、いま書いているものは、朝はかどります。
いろいろな生活の細部を自分で律しないと机に集中して向かえません。例えば寝る時は寝巻きに着替えるとか、起きたらすぐに着替えてちゃんと布団をたたむとか、朝食はちゃんと食べるとか、部屋はこまめに片付けるとか、そういう生活の細かい決まり事を、自分で見つけ、自分で決めて、そのルールを守らないと、生活がすぐにめちゃくちゃになってしまいます。
ともあれ、朝型になるということは、僕にとって革命的な出来事でした。明日の朝ご飯は何を作ろうかと考えながら早々に布団にもぐり込む楽しみは、なかなかのものです。生活を自らの意志で律する楽しさを見つけ、喜んでいます。まだまだ試行錯誤の状態ですが「自らに不自由を課すという自由」の素晴らしさを見つけた思いです。
投稿者 tsuyoshi : 13:14
2006年01月24日
メッセンジャーを終える
そうとう気を張っていたらしく、アパートに着いたらバタンと倒れる様に寝てしまいました。そして真夜中に起きました。その間見た夢がメッセンジャーバッグの中に配り忘れた書類が入ったままなのを発見して青ざめるという、嬉しくないものでした。起きてから思わずバッグの中を確認してしまいました。
仕方のないことなのだと思います。何か慣れ親しんだ環境から離れるときは、どうしても「何か忘れ物をしている」という感覚が拭い切れないものです。旅をしていたときの、仲良くなった人と別れるとき、長居した町を離れるとき、国境を越えるときのあの感覚を思い出しました。拭い切れないわだかまりも丸ごと抱えたままもう次へと進むしかありません。
今日は最後の日でした。そしてなぜかかなりスムーズに走れました。やればできるじゃないかと思いました。これぐらいの走りを毎日コンスタントにできていればもう少し優秀なメッセンジャーになれたのだと思いました。業務中はものすごく集中しているので「今日が最後」という意識がどれほどあったかは分かりません。でもやはり今日はきっと、特別集中していたのだと思います。そして、「一日一日、最善を尽くす」ということの難しさを知りました。これが最後の日に学んだことです。かなり強く意識していなければできないことなのだと思いました。
一年間、得難い経験をしました。
東京の中心部の地図ができました。例えば事務所のある西麻布から大手町まで走ったときに、どんな光景でどんな起伏なのか、左右に何というビルがあり何という会社がありどんな表情の人たちが働いているのか、生々しいまでにありありと分かります。濃密な体験が染み込んだ東京の地図ができました。その地図を得た状態で、日本から喜望峰までの距離を思い描き、途中にある山脈や砂漠や都市や人々を思い出し、二つの地図を重ね合わせると、世界の広がりの途方もなさを感じられます。
東京に流れている時間を知ることができました。ピックアップしたときに深々と頭を下げられ「どうか○○時までにお願いします!」と懇願するように言われたり、届けたときに走って出てきてひったくる様に荷物を受け取っていったりしたことがありました。東京のビジネスの最前線に流れている時間を知ることができました。この分秒を争う時間の流れている社会を知ったことは、自分にとってかなり強い異文化体験でした。東京が、何もかもを飲み込んでいく、旧約聖書にでてくる多頭竜の怪物リヴァイアサンに思えることもしばしばでした。そして僕は怪物の一滴の血になり、怪物の体内を巡っていました。
そんな想像がつらく感じられるとき、ぼくはよくチベットで見たヤクを追うおばさんの光景を思い出してバランスをとっていました。チベットの見渡す限り荒野また荒野を走っていたとき、谷を挟んで反対側に点のように小さく見えた光景です。百頭あまりのヤクとヤクを追っているおばさんのゆっくりとした様と背後にひろがる空間の広大さを、そのとき僕は惚けたように見続けたのですが、これは本当に「使い道のある風景」でした。
ただ殺人的に忙しいだけだったら、それは心を亡くした最悪な社会だと思うだけです。しかし、殺人的な忙しさのなかには、カーニバルのような活気がありました。他の会社はよく分からないけれど、少なくとも僕が働いていた会社の心臓部、メッセンジャーに無線で指示を出す部屋(ディスパッチャールーム)は、まるでバブル期の東京証券取引所のような活気です。あるいは朝の市場のセリのようでもあります。感動的なまでの活気で、最前線の趣きがあり、生き生きと働いているさまを見るたびにかっこいいなーと思っていました。心を亡くしていないどころか、その活気に圧倒されるような忙しさがそこにはありました。
僕には「忙しいのはよくない」という図式がありました。でも、現場に接することでそのような思い込みはあっさりと崩れていきました。そんな単純であるわけがありません。
体験しないと分からないことが多いけれど、体験するとますます分からなくなることがあります。しかし、分かりやすく白黒をつけることは実は大切ではないのだと思います。大切なのは、グレーゾーンの無限段階のグラデーションを知り、混乱し、その混乱に思考停止することなくつきあい続けることなのだと思います。それが僕の仕事なのだと思います。もとより僕がジャッジなどできるわけがありません。ぼくにできることは見ること、体験することです。そしてそれを嘘なく言葉にすることです。
一年前に思い悩んだ末にメッセンジャーを選んだことは大成功でした。
それは地図ができた、時間を知れたからだけではありません。多くのメッセンジャーと一緒に走れたからです。天候が過酷であればあるほど、異常なまでに高いテンションの無線が入り、それにつられてどうにか走っていました。ベテランメッセンジャーの、洗練され尽くした動きで「メッセンジャー」というアイデンティティに誇りを持って走っている様に惚れ惚れしていました。そして得難い友人にも出会えました。
だけどもう次の一手は決まっています。次も状況に応じた最善と思われる一手です。だからメッセンジャーはおしまいです。若干見切り発車ですが、もうサイは投げられました。
投稿者 tsuyoshi : 03:39 | コメント (10) | トラックバック
2006年01月22日
最終稿にとりかかる
明日はメッセンジャーとして東京を走る最後の日です。
12月上旬に決めたことなのですが、明日でメッセンジャーを辞めます。ちょうど一年間メッセンジャーをしたことになります。当初は半年はやろうと思っていたのだから、倍の時間やったことになります。辞めた後、しばらくは執筆に専念します。
開高賞に応募するために書き上げた原稿があり、書き上げてからある程度時間が経ってから読み返すと、あまりにも推敲の余地がありすぎるように感じ、かねがねこのままでは出版したくないと思っており、書き直す機会を伺っていたのですが、そろそろいいだろうと思えてきたので、メッセンジャーを辞めて推敲に専念することにしました。
処女作の特徴は締め切りがないことです。だから、納得できるまで推敲ができます。あるいは、際限なく推敲ができてしまいます。
自分の体験を文章にする場合、その体験が生々しいうちに言葉にしてしまうことは大切です。だから帰国直後のまだ旅の余韻が残っているうちに第一稿(ホームページの載せている文章)を書きました。それから作品としてまとめるために冗長な部分を削ったのが第二稿(開高賞に応募した文章)です。第一稿は原稿用紙750枚ぐらい。第二稿は450枚ぐらい。そしてこれから第三稿、最終稿にとりかかります。分量は400枚弱ぐらいを予定しています。
もう旅をしていた時間よりも長い時間が帰国してから経っています。だから自分の体験も、ある程度客観的に見ることができます。そういう客観的な視点であのときの出来事を捉え直すと、もっと的確な言葉が見つけられるのではないかと思います。体験を寝かせたのちにもう一度客観視することは、体験をより深い次元で捉え直すことでもあります。あの時はまだ体験が熱を持ちすぎていて強引な言葉にせざるを得なかったような出来事も、いまなら的確に言葉にできるのではないかと思っています。
もちろんこのようなことが程度問題なのは承知しています。生々しい未熟なままの強い言葉から、客観的で醒めた的確な言葉までグラデーションするように色々な段階があります。しかし、いまなら生々しさを残しつつ的確な言葉にするということが可能なのではないかとも思えます。それは、第一稿、第二稿を書いているからであり、それ以前に旅の途中に詳細な日記を残しているからです。私が私や私が過去に書いた文章などを取材して書くような文章、そのような「私」の絶妙な立ち位置を見つけられれば、作品としての完成度も高まるのではないかと思います。
そして、そういう立ち位置に立つには、やはり時間が必要でした。自分の体験や自分の書いた言葉からもう一度距離を置くためには、それ相応の時間が必要でした。そしていま、ほんとうにそろそろだなと思えるので、最終稿にとりかかります。短期間で集中するのがいいと思うので、目標は二カ月間、春には脱稿する予定です。収入はゼロになるので、それほど長い期間書いているわけにもいきません。
投稿者 tsuyoshi : 22:31 | コメント (5) | トラックバック
2005年12月31日
腹をくくる感覚
先週の金曜日、今週の木曜日、金曜日と湯河原幕岩に行きました。
宿題だった「シャックシャイン10d」がようやく登れほっとしたのも束の間、次は「ダイヤモンドヒップ11a」に目標を定め、四苦八苦しています。
クライミングはきりがありません。常にもっとうまくなりたい、もっと高難易度のルートを登りたいと思うので、ようやく目標だったルートをレッドポイントすると、すぐに次の目標を定め取り組んでしまいます。次の目標は当然限界を押し上げるものを設定するので、またとても苦労します。もっとすぐに上達できたらいいのに、上達はちょっとずつです。ほんとうにカタツムリのように遅々たる前進です。これだけやりこんでいるのだからもっと飛躍的に上達してもいいじゃないかと思うのだけれど、何の成果も出せずにうなだれて帰ることがしばしばです。自分のへたくそさに敗北感でいっぱいになります。ようやく登れるとその瞬間は叫びたい程嬉しいけれど、喜びも束の間すぐに次の目標を定めてしまい、それがまた簡単には登れず、宿題になってしまい大変です。
はっきり言って登っているときも登る前も、ものすごいストレスです。できることなら登りたくないと思ったりもします。なぜなら登り始めると、高くて怖いし、難しいし、腕は張ってくるし、指は痛くなってくるし、落ちたくないしで辛いからです。自分の限界グレードなのだから中途半端な気持ちで取り付いても絶対に登れません。気持ちを戦闘態勢に切り替えて、集中しなければはね返されるだけなのだけれど、湯河原は暖かく、平和で、どうしてこんな平和な場所で全身全霊のうなり声を出しながら岩にへばりつかねばならないのだろう?と疑問を抱いてしまうのは当然で、そこからモチベーションを高めるのが大変です。
でも、おかしなことに楽しいのです。
核心部をイメージ通りに登っていくときの「これこれ」とテンションが上がってくる感じがたまりません。壁を見上げてこのルートを登り切ったらなんて素敵なのだろうとわくわくします。終了点直下で「慎重に慎重に」と言い聞かせつつ足を運び、あともう少しで登り切るというときの胸の高鳴りを想像して恍惚となります。
クライミングをしていたら何度か「腹をくくる瞬間」に出会います。簡単に登れる場所を離れ、際どい部分に差し掛かる直前に、息を大きくはき「よし」とつぶやいてつっこむ時です。別につっこんで落ちてもロープにぶら下がるだけなのだけど、落ちるのはやはり生理的に嫌だし怖いので、一度弱気な気持ちを捨てて、覚悟を決めないと安全地帯から離れられません。そして絶体絶命の限界ぎりぎりの場面があり、落ちたり登ったりするのです。あの「よし」と腹をくくる感覚がとても好きです。クライミングをしていると学んだり気づいたりすることがたくさんありますが、この腹をくくる感覚は最重要の一つだなと思っています。
投稿者 tsuyoshi : 00:45 | コメント (4) | トラックバック
2005年12月11日
久しぶりの湯河原幕岩
湯河原の幕岩に行ってきました。
写真は「コンケスタドール5.12a」のムーブ(登り方)を探るおうき氏。フィンガリーでテクニカルなルートだそうです。僕は同じ壁の二つばかり右側の「帰還兵5.10c」にトライしました。“レイバック”という独特な登り方を必要とするテクニカルなルートです。何度かロープにぶらさがりつつも、上まで抜けることができ、登り方は解決しました。あとは下から繋げるだけです。
久しぶりの湯河原でした。
そして久しぶりのロープを使ったクライミングでした。
小川山でボルダリングばかりしていたので、実は劇的なボルダリング力の上達を期待していたのですが、結果は「若干上達していた」に過ぎませんでした。以前登れなかった「帰還兵」が、何度かロープにぶら下がりつつも、どうにか上まで行けたというぐらいの変化です。すいすい登れるって訳にはいきませんでした。でも、登るに際して思い切りは良くなったようです。核心部で、臆することなく最大限の力を出すことは前よりできるようになりました。これは大きな変化です。
久しぶりの湯河原は暖かく、とても楽しかったです。
先週の小川山は不完全燃焼だったのですが、昨日の湯河原はいいクライミングができました。
クライミングの楽しさは、日常では決して出すことのない程の、最大限の、全身全霊の力を出す瞬間があることです。ものすごくがんばる瞬間があることです。
今回もそういう瞬間がありました。腹から意識せずに声が漏れ、頭が真っ白になる、いよいよスイッチが入った無我夢中の瞬間です。そういう瞬間は明らかに自分が変身しています。こんな自分がいたのかと後から驚く程です。その時の数秒間の自分はとてもいい奴です。強いなって思います。
100%の力を出し切ることって、日常ではなかなか難しいですが、クライミングでは、核心部でそういうがんばりを要求されるし、そういうがんばりがないクライミングは面白くありません。
だから、登れるかどうか分からないけど、100%の力を出せば登れる可能性のあるものを自分の取り組む課題にしてがんばるのです。目標設定が高すぎると手が出なくて楽しくありません。「ぎりぎりの目標」を設定することがポイントです。そしてこれってクライミング以外でも大切なことだなと思ったりします。
12月いっぱいまで、クライミング中心の生活をします。
最近はクライミングのことばかりの文章で、興味のない方は面白くないかもしれません。でも僕は読んで面白い文章を書きたいのではなく、自分が本当だと思える言葉を書きたいのです。クライミングにウツツをぬかし、脳まで筋肉にして思考停止をしている訳ではありません。
何も放棄していないし、何も諦めていません。それどころか、クライミングにのめり込むことで、よりいっそう諦めないぞという覚悟を育てている気がします。
投稿者 tsuyoshi : 00:11 | トラックバック
2005年12月01日
指が覚えるということ
「エイハブ船長 1級」の想像クライミング。
左手を縦のガバに、右足をのせ、右手のガバポケットを取る。左足をのせ、右足は外し、左手を一度縦カチを中継してから、非常に悪い縦カチを取る。がんばって左手の縦カチで耐えながら、右足を上げ、左足はスメア。右手のガバポケットは若干横向きに利かせる。その体勢でランジで右手のカチを取る。体が止まったら右足をガバポケットへいれ、右手でリップをとる。左足を縦カチに上げて、左手もスローパーぎみにリップをとる。右足をあげ立ちこみ、慎重にマントルを返す。右手でポケットをとり、体を上げ切り終了。核心は左手の悪い縦カチで耐えながらのランジと、左手がスローパーのマントル。
こう書いて意味が分かる人はクライミングをやっている人。専門用語だらけです。「ガバ」とか「カチ」とか「スローパー」とか「ポケット」とかは手がかりの形状です。「ランジ」とか「マントル」とかは特徴的な体の使い方のことです。
エイハブ船長は、僕の場合6、7手です。ボルダリングとは、2〜4メートルの岩(石ころ)を、ロープを付けずに登ることです。極端に難しい動きがあり、何度も何度も触り、何度も何度も落ち、ようやく動きを覚え、そして登るのです。ボルダリングは、ほとんどの場合落ちます。だから落下点にマットを敷くのが普通です(敷かない主義の人もいる)。何度も落ちつつ、一手また一手と最高到達点を伸ばしていくのです。何度も触るせいで、岩の形状を覚えてしまいます。どこに足を載せるか、手がかりをどう持つか、くっきりはっきり覚えます。
「エイハブ船長」は、小川山の廻り目平キャンプ場の林の中にある「くじら岩」という巨岩にあるクラシカルな名課題です。おそらく日本でもっとも有名な課題の一つです。20年ぐらい前に、とある人(中山氏という方)がクジラ岩の縦にあるしわを見て、登れる可能性を見いだし、挑戦し、登り、「エイハブ船長」と名付けた課題です。20年前に、よくもここを登ったなと、びっくりしてしまいます。ボルダリングの難しさの「1級」というグレードはこの「エイハブ船長」と、御岳の「忍者返し」に固定され、この課題を基準として他の課題の難しさを決めているそうです。
今では、ハイシーズンにはクジラ岩の周りには、たくさんのボルダラー(ボルダリングをする人のこと)がいます。特に若者の間でボルダリングはかなり人気です。
僕がはじめて小川山のボルダーエリアに行ったときは、ちょっと引きました。黙々とストイックに岩に張り付いている姿が、あまりにもマニアックに見えたのです。手がかりを歯ブラシで掃除し、何度も同じところを登っている姿は、やはり外岩でのボルダリング経験のあまりない感覚で見ると、とてもマニアックに見えます。でも、気がついたら僕も枝の先に歯ブラシをつけて、手が届かないホールドをごしごし掃除して掛かりを良くし、嬉々として登っていました。手にチョーク(炭酸マグネシウム)をつけて滑り止めにして登るのですが、チョークが手がかりにつきすぎると掛かりが悪くなるから歯ブラシでこするのです。
客観的にただ岩を見ているだけでは、どこにでもある岩でしかないのですが、体がその岩の、その課題の、手がかりや足がかりの位置を覚え、体の動きが染み込んでくると、ちょっと恋したような状態になってしまい、またその課題に触りたくて、うずうずしてしまいます。ボルダリングは何度もその課題に、執拗に執拗に触るせいか、いつの間にか岩との親密度がものすごく強くなるのです。川端康成の『雪国』の冒頭部分に、主人公が自分の左手の人差し指をしげしげ眺め「結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている」というくだりがあるのですが、とても似ています。クライマーもまた、指先が岩をなまなましく覚えています。
今でも、「穴社員3級」や「ライトスパイヤー3級」の手がかり足がかりの一つ一つを鮮明に覚えています。
「穴社員3級」はこんな具合でした。
左手をピンチでとり、左足は極小スタンスに立つ。右手でポケットをとり、右足をすこしハイステップぎみの大きめのスタンスに上げる。右手でさらに奥のポケットをとり、左足をきり、右足に重心を移動し、クロスで左手でガバポケットをとる。スタンスを入れ替え、右足をポケットに置き、そこに体重をのせ、右手でポケットを中継しつつ、体を伸ばし切り、思い切りよくカチをとる。カチでマッチして、左足をガバポケットに入れ、左手でリップをつかむ。右足は“手に足”で立ちこみ、右手でリップをつかみ、マントルを返し終了。核心は左足を切ってからのクロスムーブ。
こう書きながら、僕は手を交差させて左手を伸ばしたあの体の動きを、手に汗をかくぐらいありありと思い出しています。手がかりの形状や、岩の摩擦の具合は、確かに指がなまなましく覚えています。体を岩に乗せ切るときの緊張感や、登り切った時の安堵感もはっきり覚えています。
ほんとうに林のなかの、どこにでもあるような岩、石ころを登っているにすぎません。
でも、いちど課題に取り付いてしまい、その課題の虜になると、その岩のその課題がかけがえのない大切なものになります。その形状をした岩はそこにしかなく、世界でただ一つだからです。どこにでもあるただの岩が、世界にただ一つの「その岩」になるという過程がボルダリングの醍醐味かもしれません。
だから、その岩に触るために、わざわざ時間とお金をかけて行くのです。異性に恋する過程とすごく似ています。でも、登り切ってしまえばあっさりと次のより難しい課題に気が移る辺りは、ずいぶん違います。女の子相手にそんなことをするとややこしくなる場合が大半だけど、岩は黙っています。こちらが勝手に熱をあげ、勝手に気移りしているだけです。
今週も金、土曜日と小川山に行きます。
もう寒すぎるので小川山は今シーズン最後になります。
エイハブ船長、絶対に登ってきます。
いまはそのことで頭がいっぱいです。
ちょっと緊張してます。
(12月8日追記)
先週の小川山は日中でも零度前後と寒く、金曜日には雪も降り、体がうまく動かず、集中もいまいちで、全力を出せずに終わってしまいました。とても残念です。でも、雪は初日だけで二日目には融けたのだし、岩はよく乾いていたのだし、寒いことは予想していたので、結局は集中し切れなかった自分の力不足でした。
初日は、前回できなかったランジ(飛びつき)で取るこの課題の核心の動きができ、とても調子が良かったです。でも雪が積もりだしたので、マントル(岩に乗り上げる動き)は危険だと思いそれ以上はやりませんでした。次の日に、雪が融けてからやろうと思ったのです。
でも、二日目はなぜかランジが決まらなくなりました。そして何度もトライしている内に疲労してきて、ランジすることさえできなくなり、終わってしまいました。二日目は土曜日だったせいか、この寒いのに多くの人がボルダリングをしにきていました。僕は人が多いと気が散ってしまうようです。それで集中しきれず、力を出し切れませんでした。絶対登るぞと思って来ていたのに全力を出すことができず、なによりそれが残念で情けないです。「永遠の数秒間」は結局一度も味わえませんでした。寒いやら痛いやらで散々でした。本番において全力を出すことが、一番大切なことで、また難しいことでもあるということがよく分かりました。メンタルな部分のコントロールについてはいい勉強になりました。でも、それにしても残念でした。
次にいつ小川山に行けるのか、今の時点では全く分かりません。今月もう一回行けるかもしれないし、来年の4月以降かもしれないし、あるいはタイミングを逃したら何年も行けないかもしれません。12月は御岳でのボルダリングと湯河原でのリードクライミングの予定です。クライミングは相変わらず楽しいです。
投稿者 tsuyoshi : 07:07 | トラックバック
2005年11月23日
明日からまた小川山
明日からまた小川山に行ってきます。
今回は3日間の予定です。天気も良さそうです。
いままで小川山でこれといった成果を出せていないので、今回は絶対成果を出してきます。特に今回はボルダリングに焦点を合わせます。「ライト・スパイヤー 3級」を行くたびに触っていて、本当にあと少しなので、まずこれを絶対に落とす。それからクジラ岩の「穴社員 3級」を落とす。この二つを落としてから2級、1級のさらに難しい課題にトライしてきます。
もう今シーズン小川山に行けるのは今回とあともう一回あるかどうかです。それ以降になると雪が積もりそうです。だから、否が応でも本気モードになります。とっても楽しみです。
(11月26日追記)
小川山から戻ってきました。
前の日記に書いた通り、「ライト・スパイヤー」を初日に、「穴社員」を二日目に落としました。長い間触っていた課題なのでとても(絶対的かつプライスレスに)嬉しかったです。穴社員の後、二日目、三日目はいよいよ「エイハブ船長 1級」を触りました。核心のランジ(飛びつき)ムーブは、ホールドまで届いてはいるのですが掴めませんでした。でも十分可能性を感じました。今度行ったときに絶対落とします。それまでは想像クライミングをします。
今は、ため息をつきつつ、今度はいつエイハブ船長を触れるか考えてぼーっとしています。エイハブ船長の一つ一つの手順を想像して興奮したり苦しくなったりしています。はっきり言っていま僕は女の子の肌より岩に触りたいです。岩は、堅くて、痛くて、冷たいけれど、ややこしくなくていい。僕は才能に恵まれた優秀なクライマーではないかもしれないけれど、クライミングが好きです。いまはクライミングのことしか考えられません。クライミング以外のやらねばならないことが全部後回しになっています。でも、クライミングに夢中になってから、何かふつふつと力が湧いてくる気がして、日々が充実してきました。ともかく今年中に「エイハブ船長 1級」と御岳の「忍者返し 1級」を登るぞ。
投稿者 tsuyoshi : 00:23 | トラックバック
2005年11月22日
憧れ
とあるクライミング雑誌を読んでいたらこんな言葉を見つけました。
憧れは持ち続けなければならない。私は思い出よりもそれが好きだ。(G.レビュファ)
いい言葉だなぁ
投稿者 tsuyoshi : 01:22 | トラックバック
2005年11月19日
クライミングの楽しさについて
自分の掌や指の腹をしげしげと眺め、いいぞと思う。このところ自然の岩を登ってばかりなので、わずかだが指の皮が厚くなっている。だんだんとクライマーっぽい手になってきている。それがこの上なく嬉しいのだ。
先週は木金と小川山、土曜日は三ツ峠でクライミングをした。今週は今日(金曜日)に御岳でボルダリングをした。明日明後日も御岳に行けたら行きたい。
先々週はじめて小川山に行ったときは、指が痛くてたまらなかった。小川山の岩質は花崗岩なのだが、花崗岩は結晶が荒く、フリクションは抜群なのだが、その分結晶が指に食い込み、激痛なのである。皮が薄いものだからすぐに指から血が出て登れなくなってしまった。
でも二度目の小川山はだいぶ指の皮が厚くなっており、初回ほど痛くはなかった。そして今日行った御岳では、チャートというわりと指にやさしい岩質でもあるのだが、指の痛さはさほど問題にならなかった。
クライミングも上達していると思う。劇的な上達はないが、毎回ほんの少しだけ限界を押し上げるクライミングができている。
最近はボルダリングに専念している。リードクライミングをやっても難しい課題は核心部でボルダームーブが出てきて、それができないのである。全然ボルダリング力が足りないのである。だから、しばらくボルダリングに専念し、核心部をこなせるだけの力をつけたいのである。
クライミングをしているとき、核心部で「永遠の数秒間」を経験できることがある。頭は真っ白で知らぬ間に腹から声が漏れており、限界ぎりぎりでホールドをつかんで登る数秒間。それはちょっと考えられないぐらい濃密で、計量不可能な時間だ。そうして登り切り岩の上に立ったときは、これまたプライスレスで比較不可能なぐらい絶対的に嬉しい。
核心部につっこむ前はありったけの勇気が必要になる。何かをきっぱりと諦めるような種類の勇気だ。そうして自分の限界を出し、その結果限界を押し上げられたらもう至福としか言いようがない。
クライミングって不思議だと思う。
絶対にやってみないと分からない種類の楽しさだし、ある種の感受性がないとやっても分からない種類の楽しさだと思う。そしてやっている者は最大の喜びを全て独占しているので、社会的な見返りなど見向きもしない。ただ岩や石にかじりつくだけの他愛もない遊びなのだが、人生の舵取りを大幅にそちらに向けてもいいとすら感じられるからすごい。
投稿者 tsuyoshi : 03:13 | トラックバック
2005年11月05日
山密度
このところ、山密度の高い日々を送っています。
先週の金曜日はジムでボルダリング。土曜日の夜、牧野、ごうくんと東京を出発、所沢にて山野井さんの講演を聞いた後、巻機山・米子沢の出合いに一泊し、日曜日に米子沢の沢登り。月、火、水曜日はメッセンジャーのお仕事。木曜日の早朝に家を出て、木、金と小川山にておうき君とフリークライミング。そして土曜日は奥多摩の越沢バットレスにて牧野とマルチピッチのクライミング。さすがに疲れたので明日は休憩日とします。登山用品店に行きお買い物をします。 すばらしい日々を送っています。
投稿者 tsuyoshi : 21:06 | コメント (3) | トラックバック
2005年10月25日
回転するイメージ
先日、旅で出会った友人の個展に行ってきました。そこで僕はなかなか感慨深い想いにかられていました。
もし僕が彼女とカルカッタで出会っていなかったら、そして僕が彼女に恋をしなかったら、間違いなくこの個展は開かれていなかったのだなと思ったのです。さらに言うなら、カルカッタで出会ったあと韓国まで、長い距離を彼女に会いに走っていなかったら、この個展は開かれていなかったのです。あの時の夢中で走った距離と期間を少しだけ思い出して、あの走りがこのように形を変えたのだなと思い、恋自体はうまくいかなかったけれど、本当に予想もつかない形で縁は続いていくのだなと思いました。
旅の紀行文の第三章は全部このカルカッタ以後の出来事が書かれています。自分で言うのもなんだけれども、完成度はとても高いと思っています。この文章を書き終えれたからこそ、今回の彼女の個展に行けたし、特別気負うこともなく彼女と再会できました。いまはやっと、最もいい距離を見つけられたなと思っています。
彼女の個展を見てから、その日の夜眠る前の布団の中で、「回転」という言葉が脳裏を離れなくなりました。そして、あの旅を全体で包み込む言葉として「回転するイメージ」がぴったりだなと思いました。タイヤの回転。人の縁の回転。出発地点に戻るという回転。そして祈ることと同義の回転。
僕は無限に思えるような道のりを回転しつつ前進し、前進しつつ始まりの地点に戻りました。常に回転は僕と共にありました。黙々と繰り返すおそろしく地味な行為ですが、淡々とした繰り返しのリズムが好きでした。きっと、地球が常に回転し、季節がいつも巡っているから、ゆっくりと繰り返すリズムは無理がないかもしれません。回転することは祈ることと同じだとチベットで発見してからはもっと好きになりました。
「回転」という言葉は、時々「徒労」という言葉を連想させます。同じことを繰り返し、どこにも辿り着けず、成長できないイメージです。でも、繰り返すことは徒労かもしれないけれど、「美しい徒労」もあるということを、前にある人から教えていただいた言葉から知りました。それはとあるハンセン病患者が書いた本にあったという言葉で、正確な言葉は忘れてしまったのですが、春の満開の桜を見て、「どうせ散る花だけど、なんて美しい徒労なのだろう」と作者が思う場面です。花が咲いては散るような「美しい徒労」という言葉がとても印象に残っています。
僕は、回転をしつづけ、ずっと徒労に徒労を重ねるのだと思います。それが美しいかどうかは自分には分からないと思います。僕はずっと不安定で、回転していないと倒れてしまう独楽のような状態に身を置き続けるのだと思います。そしてそれは同時に「自由」ということでもあります。「旅」という状態でもあります。「不安定」「回転」「旅」「自由」そういう言葉をキーワードとして、僕はどんどん言葉を紡ぎたいのです。
きっと、僕はもっともっと旅をするべきなのです。
僕は長い旅をしたけれど、あれで満足なんかしてはいないのです。
それどころか、もっと長い旅、死ぬまでずっとの旅をしたいのです。
旅とは、もちろん航空券を買って外国に行くことだけを意味しません。
旅とはきっと、回転することなのです。回転数が減ると倒れてしまうから、もっともっと回転する。それはきっとぐらぐらする大変な日々なのですが、そういう状態に自分を突き放し、そういう状態からの言葉を僕は欲しているのです。そういう言葉をずっと書いていきたいのです。
ときどき、ノンフィクション作家になりたいのか、小説家になりたいのかと聞かれることがあります。それで僕はなんだかよく分からなくなります。ただ僕はちゃんとした言葉、嘘のない言葉を書きたいだけなのです。フィクションかノンフィクションかは、書き始めるときに予感として抱く程度でいいと思います。あるいは書き終えてから決めてもいい。
僕はいまクライミングに夢中なのですが、あれなんかまさにわざわざ不安定な岩壁に取り付いて、必死でバランスをとる行為で、ある意味濃密で瞬間的な旅です。僕はこれからゲレンデやジムでのフリークライミングをたくさんし、自分でプロテクション(中間支点)を設置するクラッククライミングもたくさんし、目指すはフリーもできるアルパインクライマーです。あらゆる想定外の厳しい状況でも生きられるアルパインクライマーになりたいです。
自転車で旅をするのも、沢登りをするのも、クライミングをするのも、ぜんぶ言葉探しです。言葉になり切らない、名前を与えられていない言葉以前の衝動/予感があり、だからこんなに必死であの手この手でのたうち回っているのです。僕は、27才になっても定職に就かず、就く気もなく、アルバイトをしつつ風呂なしのアパートに住み、言葉言葉と言っている、社会的に見れば眉をひそめられる存在かもしれません。「社会の役に立つこと」は何一つしていないし、「社会的に責任のある仕事」も全然していません。ただクライミングがしたくて、ただ沢に行き美しいものに接したく、ただそこから本当の言葉を見つけたいと思っているだけです。部分ではなく、感覚の全域で生きたいと思っているだけです。
僕はもしかしたらすごい遠回りをしているのかもしれません。でも、遅ければ遅い程贅沢なことだとも思えます。だからこのままがんばっていけると思います。僕はずっと回転しています。これまでも、これからも。
投稿者 tsuyoshi : 22:46 | コメント (3) | トラックバック
2005年10月23日
クライミング熱再発
沢の季節が終わったのと同時に、今度はフリークライミング熱が再発し、最近入れ込んでいます。今週は木、金、土と3日連続でクライミングジムに行きました。日曜日も行く予定です。週4日ぐらいコンスタントにやればきっとうまくなるはずと信じて、せっせとジムに通いたいです。そして友達と予定を合わせ、小川山や湯河原幕岩などの自然の岩場に早く行きたいです。
この頃は一人でジムに行くことが多いので、ボルダリングばかりしています。
ボルダリングは10級、9級、…1級、初段、二段…とルートによって難易度が付けられているのですが、僕はスラブ壁(90度以下の壁)ならば最高グレードは3級オンサイトできたこともあるけれど、140度ぐらいの壁だと5級もなかなか登れません。じわじわと体重を移動させるバランスクライミングが得意です。
最近吉祥寺の南にこじんまりとしたクライミングジムができ、3回ぐらい行きました。そこはボルダリング壁が3面しかないちっちゃなジムなのですが、雰囲気がいいので気に入っています。なにより自転車で行ける距離にあるのが嬉しいです。
そこでは僕は現在、
8、7、6級はすべてオンサイト(初見一発で登ること)
5級は前傾壁の一本を残して完登。オンサイトは半分ぐらい。
4級は二本完登。
という感じです。
次行くときは、5級をぜひとも終わらせ、4級をオンサイトを狙いつつもう一本か二本登り、3級も触ってみようと思います。
何か、常に指の腹の部分が落ち着きません。
なんでもかんでも指の腹で触り、フリクションや引っかかり具合を試してしまいます。クライミングをやっていると指の腹の部分の触覚が発達するのでしょう。赤ちゃんがなんでも口に入れてしまうように、僕はなんでも指の腹でなぞり、触覚をより敏感にしています。
クライミングは指の保持力も大切だけど、指の触覚も同じぐらい大切なのではないかと思っています。同じ力でも、触覚が敏感だと指がホールドに吸い付くような気がするのです。それになにより触覚が敏感だとホールドを触るのが気持ちいいのです。そして気持ちいいと感じられると登るのが楽しいし、結果上達もします。人工壁のホールドでも十分気持ちいいのだからこれが自然の岩だったらたまらないなと、トポ(ルート図)や写真を見ながらうっとりとしています。
クライミングは体験した人の8割はそのうち辞めてしまう遊びだけれど、あとの2割の人はものすごく好きになります。分かれ道は上手下手というより、岩を触ること自体が好きと思えるかどうかだと密かに思っています。へんな遊びです。
投稿者 tsuyoshi : 02:05 | トラックバック
2005年10月16日
個展
旅の途中で出会った韓国人のお友達が個展を開いています。
彼女は、僕の本が出版された暁には(いつになるんだ)この人かと誰もが思う最重要登場人物です。こんな機会滅多にないので、お近くの方は是非見てください。
湘南台と銀座の二カ所で同時開催しています。
僕は今日(日曜日)銀座の方のオープニングパーティに行きます
詳しくは以下のHPへ
www.choijihyun.com
投稿者 tsuyoshi : 09:34 | トラックバック
2005年10月12日
奥只見 恋ノ岐川
10月8〜10日に単独で行ってきました。
しっかりと本流を最後まで詰め平ガ岳に登りました。
雨でしたが美しさには変わりありませんでした。
紅葉と頂上にある池溏が素晴らしかったです。
ただ、ちょっと寒かったです。
単独で行くと、なんだか物悲しいからいいです。
きっと、寂しがりやだから単独行が大好きなんだと思います。
投稿者 tsuyoshi : 20:39 | コメント (3) | トラックバック
2005年10月10日
ドメイン
先週の金曜日、hanamote.comがまったく関係ないページになっていました。原因はドメイン名(hanamote.com)の契約期限が切れたからでした。レンタルサーバーの方はちゃんと更新したのですが、ドメインの方は忘れていました。更新の連絡が古いメールアドレスに送られたようで、届かなかったのです。
現在は元通りになっています。
ホームページが見られなくなったのはまだいいとして、困ったのはメールアドレスです。独自ドメインのアドレスを使っているので、これが元通りにならなかったらとても困るところでした。(現在はちゃんと受け取れています。金曜日あたりに僕宛にメールを送っていただいた方は、すみませんがもう一度お願いします。)
ちょっとしたことで急に困った事態になるあたりは、携帯電話をなくすのと似ています。便利だけれど、それに頼っていると失ったときのダメージが大きい。
僕はあせってドメイン名の契約更新をしつつ、復旧しなかった場面を想像し、ほんの少しだけ、それはそれでまあいいかとも思いました。すごくせいせいするだろうなと思いました。でもすぐに、かけるであろう迷惑や、失礼や、不便を思い、やはり元通りになってもらわないと困ると思いました。そして無事元通りになってほっとしています。
投稿者 tsuyoshi : 19:01 | トラックバック
2005年10月06日
やり残した宿題
今週末もまた沢に行こうと思う。
今度は単独行にしようと思う。
天気をずっと気にしているのだが、どうやら太平洋側は曇りか雨だが、日本海側はまずまずよさそうである。だから日本海側の山に行こうと思う。
今日は資料などを読み、ずっとどこへ行くか検討していたのだが、やはり、あれこれ検討するふりをしつつも、実は行く先は初めから決まっていた。大学二年の秋に一度単独で遡行した、奥只見の恋ノ岐川にまた行こうと思う。あの時は途中から雨になったので支流のエスケープルートをとって平ガ岳に登った。だから今度はできるだけ本流を詰めたい。やり残した宿題のようなものだ。2泊3日かかり山深いが、本流もそれほど困難ではないはずだ。
7年前は、ありったけの勇気を出して単独で行った。3級の沢がどのようなものか全く知らなかったからだ。行ってみたらそれほど困難を感じず、ただただ美しかった記憶がある。一泊目はブナの原生林の中で焚き火をし、二泊目は頂上付近にツェルトを張り雨の中寝たのだが、結構寒かったのを覚えている。そしてシュラフの中で苦しい体勢でとある女の子に手紙を書いたのも覚えている。内容は他愛の無いもので、特にその人に恋していた訳ではなかった筈だが、すごく心を込めてたった今遡行した沢の良さなどを書いた覚えがある。今読むとハズカシくて破り捨てたくなる内容なのは間違いない。
あの頃と今とで、一体どれだけ僕は変わったのだろう。きっと黙々と谷を歩きながらそんなこんなを想うのだろう。7年の間には旅をはさんでいる。いろいろあったのは確か。でも相変わらず山は好きだ。
最近読んだ本にこんな一節があった。
尊敬する登山家、志水哲也さんの本にあった一節。
人の情熱を色にしたようなナナカマドが、池の周囲をまばゆく彩っていた。水面に映る「逆さ剱」はもううっすらと新雪がかかっている。ナナカマドたちは、この時ばかりに生命を完全燃焼させる。人も一生に何度か、このように燃えるべき「時」というものがあるように思う。
(中略)
人は燃えるべきときにしっかりと燃えていなければいけないんだ。ひとつひとつ曖昧に終わらせてはいけない。季節の移ろいよりも、人の心はさらに気まぐれの情熱と失望に満ち満ちていて、それでいてぼんやりと忘却していくものだから。
(『黒部物語』志水哲也 みすず書房より)
今週末の奥只見は、紅葉の最盛期にはまだすこし早いかもしれない。でも山頂付近は色づいていると思う。ブナは紅葉しているだろうか。静かな山旅になれば嬉しい。
投稿者 tsuyoshi : 22:40 | トラックバック
2005年10月05日
谷川連峰 湯檜曽川本谷
夜に東京を出て、真夜中に谷川の一ノ倉沢出合の駐車場で寝ました。
朝起きると、一ノ倉を登るクライマーが続々と出発していきました。憧れの目で見送りました。
しばらくして、ガスっていた空が晴れ、一ノ倉の大岩壁が見えました。
想像を遥かに越える迫力です。興奮しました。あれが南稜か、あれが衝立岩か、あれがコップ状岩壁か、あれが滝沢第三スラブかと、登攀記などで名前だけは知っている岩壁を眺めました。そして近いうちに南稜で一ノ倉デビューをしようと思いました。
しかし、一ノ倉沢出合いあたりには、無数の慰霊碑がありました。ちょっとした岩に所狭しと名前と年齢が刻まれたプレートがあるのです。どれもだいたい30年ぐらい前のものです。そして20代ばかりでした。岩壁登攀が若者の間で熱かった時代の、悲しい記憶です。一ノ倉は世界で一番遭難者が多い所だとは知っていました。でも、名前と年齢を見たらそれがとてもリアルに感じられ、胸が詰まりました。とても他人事とは思えませんでした。しかし、それでもなお一ノ倉の岩壁は美しかったです。
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ぼくと牧野は沢の準備をして、湯檜曽川本谷へ向かいます。
ナメ、ナメ滝、瀞、など本当に美しいとしか言いようのない渓相です。釜を泳いだり、へつったりして進みました。水が冷たく、泳ぐとぶるぶる震えました。
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途中に現れた10メートル滝は、斜上バンドをたどりました。流水のど真ん中を横断するのはなかなか楽しかったです。しかし斜上を終え直上に移るあたりの一歩が細かく、少々緊張しました。
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夕方に二俣で泊まり、焚き火をして体を暖めました。
なんど見ても焚き火の美しさは比類のないものです。
翌日、源流部を詰め、わずかのヤブ漕ぎで朝日岳の頂上に突き上げました。
朝日岳から白毛門を経由し、土合駅まで縦走しました。稜線近くはもう紅葉が始まっていました。
![]()
憧れだった湯檜曽本谷はやはり美しい谷でした。
技術的には中級の沢なのだけれど、時期と天候が良かったおかげで思ったより簡単でした。
こうやって経験を積み、もっと難しい沢も遡行できるようになれば、どんな滝が現れても、どんな悪いゴルジュになっても通過できるという自信もおのずとつくでしょう。そうしたら未知の、遡行図のない沢でも、ただ地形図だけで入っていける自信もつくでしょう。そしてそうなれば、もうひとまわり自由になれると思うのです。
自由に、山や谷を歩ける。
それは、動物としての人間の強さでもあり、野性を取り戻すことでもあります。ぼくにとって、「強くなりたい」という願いは「自由になりたい」という想いと同じ響きがあります。何かに依存しないでも生きられるという自信が自由になることなのかもしれません。そういう意味では、理想としてはとてもシンプルな装備で、山や谷に入っていきたいです。きっと、経験を積めば積む程、装備はシンプルになっていくだろうし、そうありたいです。
自由を求めれば、足場が不安定になるのは必然です。そして、不安定であれば、否が応でも真剣になります。真剣になると、研ぎ澄まされます。文字通りの自分の生死がかかっている状況では、誰だって真剣にならざるを得ません。そうやって得た経験は、自身の中に確実に積もり、知恵になります。僕はそれが強くなることでもあり、自由になることでもあると思います。
何かに依存することなく、不安定な足場を悠々と歩けるような自由。そんな状態は、「いまここ」に生きているという充実感にあふれているし、とっても楽しい。だから、僕はもっと自由になりたくて山に行き続けています。僕は自由になることを諦めない。必要なのは、たくさんの勇気と、バランス感覚。
山は、それを学ぼうとする者にはどこまでも教えてくれる学校です。僕は、学習速度は遅いけれどなかなか勤勉な学生です。勉強はとても楽しいです。
投稿者 tsuyoshi : 18:18 | コメント (2) | トラックバック
2005年09月30日
これから
これから今年8本目の沢登りに行ってきます。
今度は谷川の湯檜曽川本谷。牧野と二人で。
今年行く沢の中では最もスケールがある、難しくも楽しそうな一本です。今年の一つの目標としていた沢です。
これが無難に遡行できれば中級者の仲間入りかなという沢です。
こうやって、友人と試行錯誤しながら徐々にレベルを上げるのは、時間がかかるけれどとても楽しいです。
若いうちはもっと困難を追求したほうがいいのではないかと、このごろ思います。
フリークライミングの技術を基礎にして、アルパインクライミングや沢や冬山など不確定要素の強いバリエーションを目指す。僕はそういう山を志向しています。そうすることにより、厳しい状況でも冷静に行動できる生命力の強さを獲得できるのではないかと思うのです。部分的に強くなるのではなくて、全体的に強くなりたい。あらゆる状況でも対応できるようになりたいです。
沢登りは総合力が必要です。登攀能力だけではなく、あらゆる不確定要素に対応できる能力が必要です。僕は都会にいると冴えないですが、山の中にいると、自分の能力が十全に発揮できる気がします。生命力がふつふつと湧いてくる感じがします。山では強い、厳しい状況であればあるほど強い、そういう自負を抱けるように、慎重かつ情熱的に、山に行き続けたいです。
土日と、天気も悪くなさそうなので楽しみです。
投稿者 tsuyoshi : 17:42 | トラックバック
2005年09月25日
山のような目標
数ヶ月〜1,2年以内に達成したいこと。
・リードクライミング
湯河原・幕岩の「シャクシャイン10d」「ダイヤモンドヒップ11a」
小川山「小川山レイバック」「クレイジージャム」などのクラッククライミング
マルチピッチのクライミング
・ボルダリング
一級
・沢登り
黒部川上ノ廊下
飯豊胎内川
利根川本流
・冬山
黒部横断
南アルプス単独全山縦走
・アルパインクライミング
北岳バットレス、前穂北尾根、谷川衝立岩…他たくさん。
単独登攀
いつか(なるべく早いうちに)ぜひ
・ヨセミテのビッグウォール
・アルパインスタイルでK2
・フィッツロイ、デナリ、アルパマヨ
投稿者 tsuyoshi : 13:47 | コメント (2) | トラックバック
2005年09月22日
お知らせ
いま書店にならんでいる『青春と読書』と『小説すばる』の10月号に、第三回開高健ノンフィクション賞の選評が載っています。僕の作品についても触れられています。選考委員5名がどのように僕の文章を読んだのか、良かったら読んでみて下さい。
投稿者 tsuyoshi : 03:18 | トラックバック
会津 檜枝岐川下ノ沢
9月16〜17日に友人と檜枝岐(ひのえまた)川・下ノ沢に行ってきました。
焚き火、満月、滝また滝、ヤブ漕ぎ、木いちご、草原、会津駒ヶ岳、ブナ林、温泉…、濃密な二日間でした。
投稿者 tsuyoshi : 01:56 | コメント (4) | トラックバック
2005年09月13日
奥秩父 大常木谷
先週は、木曜日に水無川本谷、土日に奥秩父の大常木谷と、二度も沢登りに行く濃密な週だった。でも、行けば行く程もっと行きたくなってしまう。
僕の中では、沢登りにも三種類ある。
一つめは初心者を連れて行く沢。これは簡単な沢を選ぶ。僕がいっぱいいっぱいになってしまったら連れて行けないからだ。
二つめは単独で行く沢。これは長くてもいいが登攀要素の少ない沢を選ぶ。川や森を独り占めし、恋しているような苦しみを味わいながら、ずっと自分と話してる。
三つめは足並みが揃った友人と行く沢。これは難易度の高い沢やスケールの大きい沢を選ぶ。信頼できる友人と知恵を絞りながら沢を突破する。いつか利根川本流や黒部上の廊下や飯豊胎内川や屋久島宮浦川などの憧れの谷に行きたい。
初心者を連れて簡単な沢ばかり行っていると、もっと難しいスケールの大きな沢に行きたくなる。そして複数でばかり行っていると、単独で沢に行きたくなる。単独でばかり行っていると、たまには誰かと楽しく気楽に行きたくもなる。けっこう繊細なのだ。
今回の奥秩父、大常木谷は、ずっと行きたかった沢。
難易度を追求した挑戦的な一本ではないけれど、決して簡単ではない。信頼できる友人と行きたい沢だ。牧野とごうくんと日程が合ったので三人で行くことにした。
ナメ(一枚岩の上を水が流れているところ)、ナメ滝、ゴルジュ(両岸の岩壁が狭まったところ)、小滝、釜などが連続する、非常に美しい沢だった。大滝25メートルはすごい迫力だった。焚き火は相変わらず美しかった。下山後の温泉もよかった。いままで奥秩父にはあまり行っていなかったが、丹沢と奥多摩のいい所を足したような渓相で、これからもっといろいろ行きたいと思った。
帰りの車の中で、来年は黒部上の廊下に行こうと話し合った。その前に奥秩父の丹波川本流や一ノ瀬川本流で水量の多い沢の練習をしようとも話し合った。今から楽しみである。
投稿者 tsuyoshi : 21:32 | コメント (2) | トラックバック
2005年09月10日
丹沢 水無川本谷
おうきくん、ねぎ氏と日帰りで丹沢の水無川本谷に行ってきました。
人気のあるルートなのもうなずける、明るい楽しい谷でした。
投稿者 tsuyoshi : 01:25 | コメント (3) | トラックバック
2005年09月04日
奥多摩 大雲取谷
昨日の早朝アパートを出て、電車とバスを乗り継ぎ、昼頃から歩き始めた時は、なんでまた休みの日だっていうのにこんな重い荷物を背負って歩かねばならないのかと、かなり頭に来ていた。それなのに一泊して谷を遡行しアパートに戻ってくると、すぐ資料を広げ、次にどこに行こうかあれこれ頭を悩ませている。
奥多摩、大雲取谷を遡行し、谷の真ん中で焚き火をし一泊し、翌日谷を詰め、登山道を歩き、雲取山に登ってきた。久しぶりの単独行。上出来すぎるできばえだった。
ハイライトは初日の、谷を遡行しはじめて二時間ぐらいの時。
いつ起こったのかは知らないが、山の斜面が大崩壊しており、谷が巨岩と土砂と倒木で埋め尽くされていた。苦労して登り、崩壊地帯を越すと、その先にはせき止められた沢の水が溜まり、大きな自然湖ができていた。谷が水没していたのだ。もちろん事前に調べた資料にはこんなこと全く書いてなかった。自然の、谷の、なんと変化の激しいことか。
今までも地図にあるはずの滝が土砂に埋まっていたりしたことはあったが、谷全体が土砂に埋まり、その先に湖が立ちはだかっていたのは初めてだ。
通過するには泳ぐしかない。ザックを浮き輪代わりにして、覚悟を決め泳ぐ。水は冷たく、驚くほど透明だった。しかし底は深く、真っ暗でなにも見えなかった。100mぐらい泳いでやっと通過した。湖に住む竜のような神様が出てきそうで、正直怖かった。
夜は絶好のビバークサイトを見つけ、テントを張り、嬉々として焚き火をおこす。焚き火はいつだって美しい。森の中なので、日が落ちたら真っ暗になった。久しぶりの単独行で、久しぶりの漆黒の野宿だった。
夜中にテントを離れたとき、真っ暗闇のなかに、ロウソクの光に照らされたテントだけが浮かび上がり、あとはモノノケの匂いがぷんぷんしていた。闇は想像力をたくましくしすぎる。そうだった、闇とはこういうものだったと、怖くも感じ、懐かしくも感じた。
大雲取谷は原生林の中を流れる、苔の美しい谷だった。
美しい小滝を丁寧に越えていき、源流部で登山道に合流し、雲取山に登り、鴨沢へ下山した。天気が良かったお陰で、登山道を歩くのも実に気持ちがよかった。
遡行中、次々と現れる小滝を越えながら、沢登りの面白さの一つは、この「自由さ」だと思っていた。
沢には登山道のような道がない。だから次々と変化する渓相に、知恵を振り絞って対処する。沢は管理されていないので、不確定要素がおおく、危険もある。でも、経験を積めばなんとかなる。なんとかしてしまえるような知恵と自信がつく。
僕にとって「自由」とは、リスクを受け入れ、自分自身をたのみにし、知恵を振り絞り、困難を克服するということだ。自立なき自由は、単なる我がままだろう。
「自由」の反対は「管理」だろう。
そして、いまぼくたちが住んでいる社会はどんどん管理社会になっている。たぶん9.11以後に急速に管理社会化が進んだ。そうすることで「安心」を得ている。不安を煽られ、ヒステリックなほど「安心」を求め、進んで管理されたがる社会だ。なにか、びくびくばかりして、いのちが小さく萎縮してしまうような社会だ。
そんな社会が窮屈だから沢登りに行くのだというのは、たぶん一つの理由なのだろう。
沢登りには「自由」がある。沢にはまだ人間の管理は行き届いていない。それはあの大崩壊とその後ろの湖が物語っている。
沢登りは、管理されることから自由になることで垣間見える、世界の豊穣さを知らせてくれる。闇の深さや、火のゆらめきや、滝や釜の水の色を通して知る、いのちが本来持っている、どこまでも奥深い豊穣さだ。そしてそれは「自由」でなければ知ることのできない豊穣さだ。
僕の沢の技術レベルは、まだ中の下ぐらいだ。
だから、まだ沢を自由自在に歩けるわけではない。
でも、これからたくさん経験を積み、何年か後にはどこへでも行けるようになりたい。
経験を積むことでより自由になる。それが僕にとっての「自由」だ。
経験は決して「自由」を妨げない。
経験は、「自由」になるための道具だ。
投稿者 tsuyoshi : 01:46 | コメント (4) | トラックバック
2005年09月02日
これから沢に。
いまは真夜中で、これから何時間後かの電車に乗り、奥多摩へ沢登りに行きます。一泊の予定で、単独で。
さっきまでああでもないこうでもないと荷物を用意していました。今回は車ではないので余分なものは持っていけません。がんばって軽量化に努めたはずなのに、出来上がったザックを持ち上げてみると結構重い。でも仕方がない。まあこれぐらいなら許容範囲内だ。背負って一日中歩けるでしょう。
荷物を用意しながら、「背負って歩けるだけの荷物」というのは、なかなか素晴らしいなとおもいました。そして「背負えるだけの気持ち」なんてことを考えました。誰かの気持ちかもしれないし、自分の気持ちかもしれない。あれもこれもでは重すぎる。背負って一日中歩けるだけの重さがいいな、と。
余分なものは持たない。でも必要なものはちゃんと持つ。そして少しの遊び心を加える。それぐらいがちょうどいい。
天気は良さそうです。いい沢と焚き火が期待できそうです。
何か、大好きな恋人に会いに行くかのような喜びです。
単独で沢に行くと、それはデートになるのだということに気がつきました。
いまは、ちょっと緊張しつつ身だしなみを整えているような状態でしょうか。
それでは行ってきます。
投稿者 tsuyoshi : 02:46 | コメント (3) | トラックバック
2005年08月28日
仕事/遊び/勉強
一日中部屋から一歩も出ず、布団の上で浅い眠りのまま自己嫌悪に苛まされつつごろごろしていても、早朝から起き、沢登りに行き、全力で滝を攀じ、焚き火に見とれていても、東京のビルの中を右往左往し、あるビルの一室から別のあるビルの一室へ荷物を運んでいても、何かの飲み会でたまたま隣に座った人の悩みを真剣に聞いていても、真夜中に夢中で本を読んでいても、別れ話がこじれある人が目の前で涙を流していても、あるいは最も深い眠りの中でさえ、24時間、絶え間なく、一秒も休むことなく、僕は書いている。言葉を探している。そしてほとんどいつも、探しあぐねて途方に暮れている。ただの一言さえも見つけられずに、その周辺を迷子になったようにあてずっぽうに歩き回っている。
そういう行為に僕は、いつからか、「仕事」という言葉を当てはめることを覚えた。そして試しに「遊び」という言葉と「勉強」という言葉を重ね合わせてみた。
言葉を探すという行為は、作家になりたい者にとっては「仕事」と言ってもそう違和感はないだろう。直接は作品にもならずお金にもならないけれど、「仕事」という言葉は「賃労働」という言葉とはイコールではないので、構わない。
言葉を探すことは、夢中に、ほとんど無意識に行っている。子供が積み木で遊びながら空想を膨らませることと似ている。だから「遊び」という言葉を当てはめても違和感を感じなかった。無償の行為だし、目的もない。ただ何か言うに言われぬようなものを突き止めたい一心で真剣に夢中になる「遊び」だ。
「勉強」もまた、言葉を探すという行為に与える言葉として、とてもしっくりくる。「勉強」という言葉を僕はただ暗記したり試験を通過する為だけの言葉として使わない。わくわくする好奇心とスリリングな知的探究心に満ちた言葉だ。
「仕事」と「遊び」と「勉強」とは、同じものの別名ではないだろうか。そういう疑問を、このごろ強く抱く。そして、たとえ無理をしてでも、強引に同じものの別名にしてやろうと思ったりする。
24時間、絶え間なく、一秒も休むことなく、「仕事/遊び/勉強」をしているという状態が理想としてあり、そういう環境を場合によっては無理をしてでも手に入れてやろうと思っている。
投稿者 tsuyoshi : 01:41 | コメント (4) | トラックバック
2005年08月22日
谷川連峰、西ゼン
「遊び」という言葉は「真剣」という言葉の反対の意味として使われることが多い。
あるいは、「仕事」という言葉の反対だったりもする。
例えば偉い人に「遊びでやってるんじゃないんだ、これは仕事なんだ。もっと真剣にやれ」なんて言われたりして。
確かにそういう用法で「遊び」という言葉を使う時もある。
でも、「遊び」という言葉をそういう用法でしか使えない人とは、僕は一緒に遊びたくない。
なぜなら僕は「遊び」こそもっとも真剣にやるべきであると思っているからである。
というわけで、僕は先日、ものすごく真剣に遊んできた。
牧野くんと二人で、谷川連峰の平標山に突き上げる西ゼンという名の沢を登ってきた。
雨がパラついていたけれど、しっかり焚き火をし、真剣に焚き火に見入る。
翌朝はいい天気。真剣にナメ滝ではしゃぎ、真剣にスラブ帯を攀じる。難しくはないけれどスリップは絶対に許されない。
源流部を詰め、猛烈なヤブ漕ぎをし、平標山の頂上で昼寝をし、長い尾根を下る。
下山途中で雷雨になり、土砂降りの中をずぶぬれになりながら歩く。
無事に下山し、温泉に入り、東京へ戻る。
結局この日は12時間ほど歩いた。
沢に行くといつもそうなのだが、徹底的にくたくたになり、そして妙に精神が昂る。
今回の西ゼンでは、前日の焚き火や、緊張感のあるスラブ登攀や、ツメの部分での野獣になったようなヤブ漕ぎや、下山途中の土砂降りで、なにか人の中に眠っている野性とでも呼ばれるような部分を刺激されたのかもしれない。こういう経験は、自然と切り離されている都市での生活では感じづらいことだ。そしてとても大切なことだと思う。「自然」と「人間」との間にある距離の認識。
大切な事はしばしば、ものすごく真剣に遊ぶことによって分かる。
「遊び」は「真剣」の反対などではない。
その人の個人的辞書における「遊び」という言葉が表す範囲、言い換えれば「遊び」という言葉をどういう意味合いで使っているかは、如実にその人の価値観を表す。これは「仕事」や「勉強」などという言葉についても同様だ。
投稿者 tsuyoshi : 01:27 | コメント (9) | トラックバック
2005年08月13日
沢に行きたい
昨日図書館へ行き、『我々はいかに「石」にかじりついてきたか』(菊池敏之著)というフリークライミングに関する本と『渓をわたる風』(高桑信一著)という沢登りに関する本を借りてきた。そして、すぐに二冊とも読み終えてしまった。
またこのところ日がな一日、『東京付近の沢』や『関東周辺の沢』や『沢登り 入門とガイド』などの沢登りルート図集をめくり、山の地図を広げてああでもないこうでもないと想いを巡らし、ため息ばかりである。
一体どうしちゃったんだろうと思う。
なにか、ものすごく沢に行きたくなっている。
クライミングをしたくなっている。
このようなとても強い感情は久しぶりだ。
先週はジムでクライミングをした。先々週は奥多摩で沢登りだった。楽しくてたまらなかった。
今日はこれから寝て、起きたらすぐにジムへ行きクライミング。先週登れなかった課題を絶対落としてやる。そして明日は丹沢に沢登りだ。
来週は牧野くんと谷川の方に一泊で沢登りに行く予定。
再来週はどこに行こうか考え中。でもきっと行く。行きたい所リストはすごく長くなっている。
ほとんど中毒患者のように、ぼくは今クライミングを欲しており、沢登りを必要としている。
苦しくて眠れない程だ。このような強い気持ちを抱くのは、本当に久しぶりだ。いったいぜんたい、ホントどうしちゃったんだろう。
とても嬉しい変化なのだけれど、戸惑っているのも確か。なぜならとても苦しいからだ。そして他のやらなければならない事がまったく手に付かないからだ。ぼーっとしてしまい、気がついたら何時間もぶっ続けで沢登りのルート図集を眺めていたりする。
恋は、ある特定の異性にのみ抱くものだけではない。
渓谷は山のなかでどこよりも女性的だと思われる。
そのような、自然の女性性に恋しているのだろうか。
…あまり分かったような理由を探らないほうがいいのかもしれない。
ぼくには沢登りをすることは「とても正しいこと」だという認識がある。
そこには自らを強引に納得させるような意味付けを必要としない。
無理なく諒解できる正しさだ。そしてこういうことってまれだと思う。
沢登りという形態で接する濃密な自然との関わり方が好きだ。
沢登りで得られる経験は、確かな言葉を生む母体になるという予感がする。
いまはどんな言葉も窮屈。
恋は、盲目であるから恋なのだ。
好きだ好きだと、そんな埒もない言葉しか見当たらない。
ともかく沢に行きたい。
投稿者 tsuyoshi : 01:52 | コメント (4) | トラックバック
2005年08月05日
沢登りの楽しさ
先週の日曜日に奥多摩の逆川へ沢登りに行ってきた。
今シーズンの一本目の沢。そして、あらためて沢登りはとてもいいと思った。今シーズンはこれから沢にたくさん行きたい。
僕は登山の分野に関して、オールラウンドに好きだ。何かに特別偏るということがない。フリークライミングも好きだし、アルパインクライミングも好きだ。ハイキングも好きだし、トレッキングや高峰登山も好きだ。冬山も好きだし、夏山縦走も好きだ。そして沢登りも好きだ。単独で登るのも好きだし、誰かと行くのも好きだ。
まだアイスクライミングとスキー登山とビッグウォールと6千M以上の高峰登山はやったことがない。いつかやってみたい。
ひとことに「フリークライミング」と言っても、じつはいろいろある。ボルダリング/リードクライミング/トップロープ/フリーソロ/マルチピッチなど。あるいは人工壁/自然壁という違いもある。だから、フリークライミングをやる人でも「人工壁のボルダリングしかやらない」とか「自然壁のリードしかやらない」という人もいる。けっこういる。
同様にして、アルパインクライミングにもいろいろあり、沢登りにもいろいろある。高峰登山にもいろいろあり、冬山にだっていろいろある。それぞれがある部分で重なっている。
僕は、とりあえずなんでもやる。機会さえあればいろいろやってみたいと思っている。ジャンル分けされた中で楽しむというのが嫌いなのだろう。だから僕はいつまでたってもスペシャリストにはなれない。こういう人をジェネラリストと言うのを最近知った。
でも、いつも全てをまんべんなく楽しんでいるわけではない。むしろ逆である。ある時期は人工壁しかやらなかったり、ある時期は冬山にしか興味がなかったりする。流行というものがある。そして今年の夏は、沢登りとアルパインクライミングだと思っているのである。
大学時代の山の友人牧野くんが今春から東京に引っ越してきた。しかも大学院生になったので時間に余裕がある。彼と会い、いろいろ話し、今年は前穂北尾根に行こうとか北岳バットレスに行こうとか、湯檜曽川本谷や魚野川に行こうとか、盛り上がった。いつかは利根川本谷や宮浦川や黒部川上の廊下に行きたいとか、盛り上がった。いい友人である。
今回の逆川は牧野くんとねぎさんと三人で行ってきた。ねぎさんは初めての沢登りだったが、どうやら沢登りが大好きになったようだ。誘った甲斐があったというものだ。
沢登りの楽しさとは何だろう。
登っている時は楽しくて仕方がないので、なぜ楽しいのかなんて考えられない。
でも改めて考えてみると不思議ではある。
僕の場合、沢登りは何か根源的に楽しいものだ。言うに言われぬ楽しさなのだ。しかしその楽しさを感じるには内部のどこかでどこかと回路がつながっていないといけないように思う。沢登りを楽しめるというのは立派な才能だ。
水が楽しいのは確かだ。滝壺に落ちる水の音を聞くと恐怖でいっぱいになるけれど、取り付いてみると案外登れたりするのが楽しい。ただ水のなかをじゃぶじゃぶと歩くだけで楽しい。
岩を触るのが楽しいのも確かだ。沢登りはさらに泥壁やヤブや瓦礫や木などをつかむ。そういう触覚が楽しい。
今回は日帰りだったのでできなかったけれど、一泊する沢では焚き火をするのが約束である。そして、火が楽しいのは、もう“火を見るより”明らかだ。
水と火というのは、なにか毒がある。クライマーにとっては岩にも毒がある。水と火と岩はアブナいのである。魔性のようなものである。女の子と同じぐらいアブナいのである。男が女性の胸のふくらみに本能的に惹かれるように、ある種の人にとって火や水や岩は本能的に惹かれるものである。説明のしようがないほど根源的に惹かれる。何か、内部のとても深いところから、宇宙に直結しているような部分から惹かれるのだ。沢登りは水と火と岩が三者とも見事に楽しめるので、もう全身全霊でクタクタになるほど楽しめる。
ああ、こうやって書いているうちに、沢に行きたい想いが募り、どうしたらいいのか分からなくなってきた。このため息とこの興奮とこの焦燥とこの苦しみは、立派な恋である。困った。滝にかじりつきたい。もう寝る。
投稿者 tsuyoshi : 00:59 | コメント (2) | トラックバック
2005年07月23日
1と5
先日担当だった編集者の方にお会いしました。
その席で選考会の内容を教えていただけました。
それがなかなか面白かったので書きます。
5名の選考委員は、それぞれの作品に5点満点で点数を付けるのですが、僕の作品は本当に評価がまっぷたつでした。
僕の作品だけ、満点である5がつきました。でも僕の作品だけ最低点の1もつきました。他の作品は2か3か4しかとっていません。それで受賞作は、たくさんの4をとった作品に決まりました。
僕の作品は、ある人にとってはとても高く評価され、ある人にとっては読むのも苦痛なイライラさせる作品でした。受賞作は、誰からも評価される作品でした。
選考会の内容を聞いて僕は、なんというか、「1と5」というのは大変かっこいいと思いました。受賞するより「1と5」の方がよっぽどかっこいいのではないかと思いました。取ろうと思ったって取れるものではない。
だから僕は、これは同じ落選でも、華麗な、美しい、次に繋がる、かっこいい落選であったと言い聞かせ、自らを慰めております。もちろん僕の作品の未熟さ、甘さ、至らなさを棚に上げるわけにはいかないけれど。でも、開高さんなら、「1と5」の作品を評価したはず。
全員が満点を出す作品なんてありえません。
文学史上の名作でさえあり得ないと思います。
投稿者 tsuyoshi : 13:36 | コメント (8) | トラックバック
2005年07月16日
受賞ならず
『開高健ノンフィクション賞』受賞ならず。
ざ、残念…。
案の定、僕の作品は評価がくっきりと分かれたそうです。
評価をする人はすごくするけれど、しない人は全くしない。
仕方がないです。
とにかく最終候補作になったということはちょっと自信になりました。
今度はもっともっといい作品を書きたいです。
そして今度もまあまあ評価されるような作品は書かないぞと思っています。
受賞を逃してみて、書き続ける意志にはまったく影響を与えられていないことが誇らしいです。
投稿者 tsuyoshi : 19:11 | コメント (13) | トラックバック
待ちながら読む本
もうすこしで午前三時。
これから眠り、起きて、夕方には結果が出る。
それまで僕は待つだけだ。
本を読むか寝るかしながら待とう。
最近僕は読書欲がけっこうある。
週に二冊ぐらいのペースで読んでいる。
それに、以前ならばハードカバーの単行本を買うのにはそれなりに躊躇したのだが、この頃はあっさり買ってしまう。本に対しては財布のひもがとても緩くなっている。いいことだ。やっぱり本は身銭を切って買わないとね。
今日は『ものがたりの余白』ミヒャエル・エンデを読み終えた。エンデが物語を書くことや芸術について述べている箇所がとてもよかった。やはり作家は書くことについて述べるだけで、それが人生論になると思った。同様に、木工職人が家具を作ることについて、農夫が作物を作ることについて、野球選手がバットを振ることについて述べれば、それがそのまま、聞く人にとって、人生論になる。(…というような内容のエッセイを保坂和志さんがどこかに書いていた。)
夜、カフェで『ものがたりの余白』を読み終えてから、次は何を読もうかと考えた。今の状況にぴったりの次に読むべき本は何かを考えるのは、僕のほとんど自動的に行うような癖みたいなものだ。
そして、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』がピッタリだと思い当たり、本屋に行き、買う。ずっと読みたい本リストにあった本である。いわゆる不条理演劇の傑作と言われる戯曲である。ベケットはノーベル賞をとっているらしい。
なんとなく内容は知っていた。エストラゴンとウラジミールという二人が、田舎道で「ああだこうだ」と話しながら、「ゴドー」を「待っている」という話し。
なんとなく、「待っている」という言葉に反応し、これは今読むしかないと思い、買ったのである。
いま、半分ほど読んだのだが、まさにそういう話しである。「ああだこうだ」と二人は話しながら、とにかくゴドーを待っている。ゴドーが何者なのかはよく分からない。Godとゴドーをかけるのがひとつの解釈らしい。ともかく、不条理だということはよく分かる。つまり、よく分からない。
僕はゴドーは待っていないけれど、結果が出るのは待っている。『ゴドーを待ちながら』を読みながら待つのも悪くはないだろうという、ささやかな遊びをしつつ、もうすこし待とう。ほんとうにもう少しなのだから。
投稿者 tsuyoshi : 01:50 | トラックバック
2005年07月13日
あと三日
あと三日。
受賞作の発表まであと三日。
土曜日に都内のとあるホテルで選考会は行われ、紛糾しなければ夕方には結果が出るそうです。結果が出次第電話で連絡をうけることになっています。
ひょっとすると受賞するんじゃないかと思い、いや期待しすぎるのはよくないと自制し、でも案外すんなり受賞したりしてと思い、いやいや未熟な作品なのは自分が一番知っていると思い直し、でも未熟だが将来性はあるぞと励まし、いやいやいや他の候補作だって粒ぞろいだぞと言い聞かせ、電子レンジの中に入れられた水の分子のように想いは急速に反転し続け、けっこうタイヘンです。はやく結果が出て欲しいです。
ともかく、あと三日。
投稿者 tsuyoshi : 23:32 | トラックバック
2005年07月03日
到達点の名前
7月になりました。
そして、急にそわそわしてきました。
今まで、なるべく意識しないようにしていたのだけれど、やはり、日が経つにつれ、否が応でも意識させられます。7月16日はもうあと二週間後なのです。「開高健ノンフィクション賞」の選考会はあと二週間後なのです。きっと今ごろ選考委員の方々は僕の作品を読んでいることでしょう。
開高さんはいろいろな文学賞の選考委員をしていたのだが、彼の選評はかなり厳しい。たとえばこんな具合に。
作者名、題名、テーマ、ことごとく異なるけれど手ごたえがないということでは泥に似ている。そういう作品をつぎつぎと八作も読まされるのはつらいことである。いくらか慣れてきはしたものの、とらえようのない、空疎なメランコリーが体内によどんできて飲慾も食慾も後退しはじめる。(中略)
"Good ones are few."(よいものは稀である)とは文学のみならず、世事すべてについての鉄則であるだろうが、次回もまた泥状のメランコリーに浸されるのだろうか?……(第89回芥川賞選評)ほとんどの作品の読後感として、身辺雑記を出ないということがいえる。身辺雑記も名人が書けば見えるものがあったり、瞬間があったり、閃光がキラリとしたりするが、八作には残念ながらそういうふりかえりたくなるものが何もなかった。そして傑出して○のもないが、×もないのだから、すべて△だというのが何度も考えなおしたあげくの総評である。(第90回芥川賞選評)
ぼくの作品をもし開高さんが読んだら、どのような評価をするだろうか。どのような選評になるのだろうか。そういうことをあれこれ想像する遊びを時々しているのだが、これがなかなか精神に緊張を与える遊びなのだ。
かなりしばしば、うなだれる。×だと思う。寝てしまいたくなる。でも、それだけではない。川原の石が日の光とある角度を成したときにきらりと一瞬だけ反射するように、もしかしたら…と思う瞬間はある。実は、ままある。そして、すぐにまた否定する。
女心ほどではないだろうが、けっこう複雑なのだ。最も好きな作家なだけに、余計複雑なのだ。選考委員は開高さんではないけれど、でも、彼に評価されるような作品が選ばれる気がするし、そうであって欲しい。
開高さんが文学賞において作品を評価するときの態度は「一言半句」で一貫している。
私は変わらない。いつもおなじである。新人の作品には鮮烈の一言半句を求めるだけである。それさえ見つかれば、修辞、構成、何であれ、いくら幼稚で稚拙であってもかまわないと思っている。そういうものは受賞後の修業次第でどうにでもなるものである。しかし、いくら修業しても獲得しようのない一言半句はその人の何かしらの核なのだから、そこにだけライトを浴びせ、白昼に提灯をさげてさがし歩かねばならない。(第87回芥川賞選評)
(以上引用は『ALL WAYS Ⅱ』(角川文庫)より)
今まで読んだ小説の中で間違いなく最高と言える作品に、開高さんの『輝ける闇』と『夏の闇』がある。もう何度読み返したか分からない。そして、いつ、どのページを開いても、「一言半句」がある。必ずある。どのクジにも一等賞と書かれているくじ引きを引くようなものである。
しかし、くじ引きとは大いなる相違がある。一等賞は引いて喜ばしいけれど、ページをめくり、一言半句を引くと、不安になるのだ。あまりにも本当のことすぎて、言葉の放射能に感染させられ、人生が苦しくなるのだ。
「書くことは、野原を断崖のように歩くことだろうとおもう」と彼は書いているが、良い作品を読むこともまた野原を断崖にする。
しかしながら、僕は断崖を攀じる楽しみを知っている。フリークライミングも大好きだし、アルパインクライミングやボルダリングや沢登りも大好きだ。こういう遊びは、不安定と不安をコントロールし、きわどいところでバランスを保ち、危機管理をし、そして断崖を抜ける遊びだ。
このような遊びは、断崖を抜けても、また断崖があるだけである。断崖の先にお花畑があることは約束されていない。むしろ、断崖をぬけた報酬が、さらなる厳しい断崖であることがしばしばである。そしてまさにその厳しい断崖のただなかで、発光するような喜びがあるのである。それが断崖を攀じる楽しみである。遊園地のような用意されたお花畑の楽しみとは正反対である。
ぼくにとって良い作品とは、自分の人生を苦しくさせ、困難にさせ、そして不安にさせるものだ。そして、精神の贅肉を削ぎ落とされ、まとっている殻を溶かされ、裸の発光体にさせられるものだ。
自転車で峠を目指しているとき、あれが峠かなと思って辿り着くと、間違いなくその先に延々と道は続いているものである。
僕は、数年かけて、ようやく一つの作品を書き、提出できた。濃い霧の中、ここが峠だと思い、力を振り絞るようにして到達した。しかし、風が吹き、霧が晴れると、やはり道は続いている。遥か彼方まで続いている。そのことを認め、また自転車にまたがり、歩む覚悟もある。
峠ではなかったけれど、その場所はその時の到達点ではあった。その時の、最高到達点ではあった。だから、できるのならば、その場所に名前を与えられたい。
名前を与えられなくとも、そんなことで前進することを辞めはしないが、与えられると、目印になる。地図の上での自身の歩みを確認できる。
僕はいま、7月はもういちど舵取りをする時期だと強く感じている。
再度星の位置を測り、海図と照らし合わせ、目指す海域へ大きく舵取りをする時期だと思っている。
そして7月16日の選考会はよき合図になると思う。
…いずれにせよ、結果はここにすぐに報告します。
あと二週間後です。
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2005年06月21日
地図の上書き
仕事が終わってから伝票を整理するときに今日一日どこを走ったのかメモをとりました。
それを元に、今日走ったコースを書きます。
地名は、荷物をピックアップしたり、デリバリーしたりした所です。
阿佐ヶ谷→西麻布2丁目(通勤)西麻布2→八重洲1→内幸町2→霞ヶ関3→芝公園2→高輪3→上大崎3→六本木1→赤坂2→霞ヶ関3→赤坂5→紀尾井町、昼食30分。
紀尾井町→赤坂8→赤坂4→赤坂4→永田町2→麻布台1→東麻布1→北品川3→東品川2→高輪3→平河町1→一番町→麹町4→麻布十番1→丸の内1→八重洲1→銀座1→東麻布2→六本木6→西麻布2
西麻布2→阿佐ヶ谷(通勤)
今日はなかなかよく走った一日でした。
とても暑い一日でした。
これで100km強ぐらいかと思います。
このように東京を右往左往するのが僕の日常です。
今日は一の橋(麻布十番)交差点から飯倉片町を経由し六本木2交差点への道を、都合三回ほど通りました。もちろん「一の橋--飯倉片町--六本木2」が繋がっていることは知っているのですが、ものすごくよく使うルートというわけではありません。二日に一回使うかどうかといったところです。
そこを今日は3回も通りました。そしてそのことで、「一の橋--飯倉片町--六本木2」がより緊密に繋がり、体内地図の強度も上がりました。「一の橋--飯倉片町--六本木2」が繋がっていると思い出すのではなく、瞬時にイメージできることが地図を身体化するということなのです。このように毎日東京の都心の地図を上書きし、更新しているのが具体的な僕の日常です。
明日は雨だそうです。雨だと疲労が倍増します。
明日に備えて早く寝ることにします。
投稿者 tsuyoshi : 23:26 | コメント (4) | トラックバック
2005年06月18日
二つの地図
僕の部屋の壁には二つの地図が貼られています。
一つは世界地図、もう一つは東京の都心詳細図です。
世界地図の縮尺は3千8百万分の1、東京の都心詳細図は1万五千分の1です。
二つの地図はほぼ同じ大きさなのですが、表している範囲には約2500倍の違いがあります。
僕は毎日、この二つの地図を見比べながら生活をしています。
そうすることによって、二つの縮尺を身体知として獲得したいと思っています。
世界地図にはただの点でしかない東京。
その点を2500倍拡大すると、交差点名もビル名も読み取れる地図になります。
そしてその地図の中を、僕は毎日メッセンジャーとして右往左往しているわけです。
特に、渋谷区、港区、中央区、千代田区、新宿区の南半分を走り回っています。
この範囲ならば、地図上の地名が実際はどんな光景なのか、大体分かります。
すべて分かるというわけではないのですが、かなり分かります。地図はある程度まで身体化されています。まだ所々で道の繋がりが曖昧だったりはするのですが、毎日この範囲を重点的に100km程走っているのだから、少しずつですが、地図は日を追うごとに確実に体に染み込んでいっています。
大手町1丁目から渋谷3丁目まで、どれぐらいの距離があるのか、体が知っています。
西麻布二丁目から銀座7丁目まで、どのようなルートがあり、どのような起伏があり、どのような光景があるのか、かなり記憶されています。
この、「地図が体に染み込んでいく喜び」が毎日あるから、僕はメッセンジャーを続けられているのかもしれません。
そして世界地図。
この地図には3年5ヶ月かけて引いた4万5千キロの線があります。
そして、その長さを思い出すことができます。
自分の力で走った距離だから、例えば「ユーラシア大陸って大体これぐらいの大きさ」と想うことができます。地図をじいっと見つめて、イランの乾燥した地平線を思い出すこともできるし、タンザニアのサバンナも思い出せます。そして当然のことながら、出会った人や、そこを走っていた時の自分の心の状態もありありと思い出します。
世界地図は雄弁です。例えばたった二文字「ラサ」という字を見つけるだけで、思い出す感情は膨大です。世界地図には行間がたくさんあります。
壁に二つの地図を張り、毎日見比べて、時には見入ったりして、僕は一体なにを企んでいるのか、実はよく分かりません。しかしながらとても刺激的であることは確かです。なにかとても好ましい感覚があります。ミクロとマクロの視座と言ってしまえばそれまでなのですが、その視座は同時に身体化もされているのです。体が視座と連動して反応するのです。これはかなり希有な経験だなと、毎日地図を見比べながら思い、僕は興奮さえするのです。きっと僕は地図が好きなのでしょう。そして地図を身体化するのが大好きなのでしょう。
体が知っている地図。
それが2500倍違う二つの縮尺であるということ。
それだけのことが、何かもどかしいほどに、嬉しい気持ちにもさせ、嬉しく苦しい気持ちにもさせます。
投稿者 tsuyoshi : 02:55 | コメント (2) | トラックバック
2005年05月29日
夜更かし
現在、午前4時22分。
僕は夜更かしをしています。
すごく静かです。
冷蔵庫のブーンという音と、キーボードをたたく音がやけに大きく聞こえます。
そして、いいなあ、夜更かしって最高だなーと思っています。
僕はいまメッセンジャーという仕事をしており、仕事がある日は毎朝7時半ごろ起きています。
一日に自転車を100kmぐらい漕ぐ仕事なので、やはりとても疲れます。
夜は早く寝ないと朝大変なことになるので、12時には寝ています。
この仕事をする前は、執筆に専念していたので、完全に昼夜が逆転した生活をしていました。
いつもいつも真夜中から言葉を紡いでいました。
何度か日中書こうと努力したのですが、結局は真夜中にしか書けませんでした。
明日は日曜日、仕事はありません。そして土曜日の日中はずっと昼寝をしていました。
だからいま、大好きな夜更かしを久しぶりにしています。そして、本当に久しぶりに「書く気」が湧いてきて、こうやってここに文章を書いています。やはり、夜に書くことが大好きのようです。
きっと、外がとても静かなので、内側の音が聞き分けられるようになるのでしょう。
真夜中はいつだって優しい。
ささくれ立った心や、迷っている感情を、静かに受けとめてくれます。
何か、真夜中に僕はとても素直になれます。
暗くて静かだということに、なぜか優しさを感じ、救われる想いがするのです。
太陽と共に生活のリズムがある日々。
その心地よさを自転車を漕いで旅していた日々も、仕事をしているいまも感じるのですが、
でも、ゆっくり自分の心と向き合うには、太陽の光はすこしうるさいのかもしれません。
深い井戸は、外が明るいと眩しすぎて、覗き込んでも真っ暗にしか見えないのです。
でも、外が月夜ぐらいの明るさで、静まり返っていると、井戸の底の波紋や、水が壁に当たる音が聞き取れる気がします。
僕には、太陽と共にある日々だけでは、不満のようです。
真夜中に寄り添って、自身の内面にぴったり寄り添うような時間が、どうしても必要なようです。
昼夜が完全に逆転していた去年の秋から冬にかけては、あまりに内面に寄り添いすぎて、バランスを何度も崩し、太陽と共に生活したいと切実に思っていました。だから仕事は朝9時からのシフトを選びました。
太陽と共に生活し、体をよく動かしていると、精神は澱みません。
ご飯はとてもおいしいし、銭湯につかると叫びたいほどの快感です。
朝の引き締まった空気の中の自転車通勤はなかなか気持ちいいものだし、夜は悩む暇もなくバタンと眠れます。
でも、そんな健康な生活なのに、決定的な不満があります。
それは、書く気になかなかなれないということです。
時間は無理矢理作ればなんとかなりそうですが、書くことが全然見つからないのです。
僕は、やはり書くことが好きです。
何か自分のなかで言語化し切れていないテーマについて、ゆっくりじっくり詰め寄ることが大好きです。
そしてなにがしか書けたときは深い充実を感じます。
でも、太陽と寄り添っているだけでは、書くことが全然見つからないのです。
おいしいくご飯を食べられるという喜び。
これは本当に素晴らしいことです。
でも、“人はパンのみにて生きるにあらず”と新約聖書に書かれているそうですが、そのとおりなのです。“パン”はとても大切ですが、“パン以外”も同じぐらいとても大切なのです。それが僕にとっては言葉を探すことなのでしょう。
真夜中は僕に静かに一人であることを感じさせてくれるから、優しいのかもしれません。
真夜中の静けさは、昼間の多くの言葉から切り離されて、僕を孤島に連れて行ってくれるかのようです。その孤島の渚でひとり遊び、貝殻を拾う。夜が空け、鳥の鳴き声が聞こえてきたら消えてしまう孤島だから、月明かりの下で、とぼとぼと海岸を歩くのが楽しいのだ。
現在、5時44分。
外はいつの間にか明るくなっています。
楽しい夜更かしでした。
これから眠くなるまで本を読んで、そして眠ろうと思います。
投稿者 tsuyoshi : 04:21 | コメント (4) | トラックバック
2005年05月08日
焚き火
焚き火をした。
三浦半島のさきっぽの海岸で。
はっきしいって最高だった。
メンバーはごうくんとおうきくんと僕。
ともかく、適当な場所にキャンプして焚き火をしようという計画でおうきくん家に集合した。地図をみて、この辺が良さそうだと適当に見当をつけて、車を走らせた。途中、渋滞につかまったり、美術館に寄ったり、漁港に寄ったり、何だか分からない丘に寄ったりしていたら時間が経ってしまい、夕闇が迫る中、なんどもうろうろと海岸ぞいを彷徨い、キャンプできそうな場所を探しまわり、かなり焦り、そして真っ暗になる寸前に最高の場所を見つけたのだ。
ほとんど人のいないビーチ。
焚き火に絶好の風、豊富にあるたきぎ、星空。
辿り着いてから、大喜びでたきぎを集め、盛大に燃やした。
それから、途中のスーパーで買った食材でバーベキューをし、三人でおおいに食べた。
そして、ずうっと飽きもせずに焚き火をつっついていた。
僕は、枯れた木を燃やし、炎が出て、それがおき火になったときの、真っ赤な宝石のような透き通った炎の色が大好きだ。ルビーとトパーズとガーネットが詰まっている宝石箱を覗いているようだ。ゆらゆらと揺らめくおき火をひとつ取り出して、じーっと見つめて、息を吹きかけたりして、また戻して、うっとりとしてしまう。
焚き火を見ながらいろいろ積もる話をしようと思っていたのだが、焚き火を見ていると、どうも黙ってしまう。黙りつつ夢中になってしまう。ぼくたち三人は三人とも同じぐらい”ものすごく”火が大好きのようで、キャンプ場所に着いてからずーっと火をいじり続け、眺め続け、夢中になっており、話すのもそっちのけであった。
真夜中になり、焚き火の周りでめいめい適当にねぶくろに入り眠った。
そして朝五時、朝日は海の向こうから上がってきた。
改めて、ものすごくいい場所を見つけたもんだと喜んだ。
そしてまだ消えていない焚き火を復活させ、また焚き火で遊ぶ。
もう12時間も燃え続けている。
一人が焚き火をいじり、残った二人はフリスビーをしたり、フライパンとボウルをラケットにしてボールを打ち合ってあそんだり、缶を立てて球あてをしたり、浜辺に打ち上げられている様々なモノを使って、あれこれと早朝から全力で遊んだ。僕はフリスビーが海に入ってしまい、それを取るためにジーパンのまま海に入ってしまい、ずぶぬれになったが、焚き火に当たっていたら乾いた。
最後に焚き火に海水をかけ、砂をかけて、後にした。
着ている服には濃厚に焚き火の匂いが染み込んでいた。
地図をみて、この辺だろうと当てずっぽうに目指しただけの、ものすごく適当な計画だったので、こんないい焚き火ができるとは思わなかった。こういう無計画の計画を楽しめる三人であったから、余計よかった。無類の焚き火好き三人であったから、なお良かった。
やっぱりいい。焚き火はいい。ものすごくいい。今回のキャンプは当初から意図的に男だけにしようという計画で進めていたのだが、全然むさくるしくなかった。焚き火に見とれていたからだ。僕は、めらめらとゆらめく火を見つめながら、いいなー美しいなーとつぶやきつつ、焚き火とかわいい女の子、果たしてどちらが長時間眺めていても飽きないだろうかと、考えていたとか、いないとか…。
投稿者 tsuyoshi : 02:40 | トラックバック
2005年05月01日
校正された原稿を提出した
先日、集英社から校正者の手が入ったゲラ(試し刷り)が送られてきました。
びっしりと、最初から最後までチェックが入っていて、恐れ入りました。
そのゲラに僕が赤を入れて、先ほど、集英社のノンフィクション編集部宛に送りました。
これで、もうあとは結果を待つだけでしょう。(もう一回校正とかがなければ)
それにしても、校正者という人は、すごい。
間違いをピタっと指摘してしまいます。
内蔵→内臓
廃虚→廃墟
なんてのは初歩的な訂正で、
滝壷→滝壺
喧燥→喧噪
鳴咽→嗚咽
などを指摘されると、世の中にはすごい人がいるもんだと、脱帽です。
僕などは、ピンポイントで指摘されてもどこが間違っているか分からないのですが、校正者は何百ページもある原稿なのに、ピタリと指摘するのです。
しかし、校正の大部分は、漢字にする必要のない漢字をひらがなにする作業でした。
例えば、
事→こと
筈→はず
余りに→あまりに
人達、私達→人たち、私たち
内→うち
出来る→できる
一体→いったい
全て→すべて
為→ため
殆ど→ほとんど
気が付く→気がつく
…等々
これは、間違いというよりも、表記を揃えるためでしょう。
どちらにするか、基本的には揃えるものだそうです。
こういう膨大な変更を全編、いちいちチェックして、指摘するのだから、頭が下がります。
こうやって本はできていくのだと思いました。(このゲラは選考会用で出版用ではないけれど)
それにしても、僕の書いた文章がいかに表記がばらばらなのかがよーく分かりました。
パソコンで変換しているからでしょう。
表記は揃えなくちゃいけないものなのか? という疑問はあるのですが、漢字である必要のないものをいかにたくさん漢字にしているか、よく分かり、いい勉強になりました。
最終的には著者が漢字にするかひらがなにするか選択するのですが、これは悩ましい作業でした。
できごと/出来事
日差し/陽射し
いま/今
すさまじい/凄まじい
いっこうに/一向に
何か/なにか
ころ/頃
わかる/分かる
などは、どちらにするかは感覚の問題でしょう。
漢字というものは、「絵」でもあるのだから、意味以外に、見た感じがどうなのかも大切なのだと思いました。
ともあれ、ゲラは提出されました。
サイは投げられました。
やることはやりました。
どんな目が出るか、僕はもう知らない!
投稿者 tsuyoshi : 12:34 | コメント (2) | トラックバック
2005年04月19日
最終候補作
嬉しいお知らせがあります。
実は昨年の11月に書き上げた原稿を「開高健ノンフィクション賞」に応募していたのですが、いつの間にか選考は進んでおり、ちょっと前にこんなメールを受け取りました。差出人は集英社の田中さん。
貴方の作品「喜望峰から自転車で帰る」が,「開高健ノンフィクション賞」の最終候補になりました。
やったね!
応募総数は300弱。最終候補作は4編。5次選考まであったそうです。先日集英社に行き、担当の田中さんとお会いしてきました。
そして、選考会の前に手直しができるというので、題を『喜望峰から自転車で帰る』から『始まりへ帰る旅』に変更し、ちょっとだけ直して提出しました。
これから最終候補作4編を選考委員の方々に渡して読んでもらい、7月16日に選考会が開かれ、受賞作が決まります。あと三ヶ月後です。どうなることやら…。
投稿者 tsuyoshi : 23:37 | コメント (6) | トラックバック
2005年04月07日
桜
今日はとてもあったかい日でした。
桜も満開でした。
靖国神社から田安門、九段下と今日一度だけ通過したのだけれど、靖国神社の桜も、北の丸公園の桜も、満開でした。日比谷公園にも桜は咲いていました。年度末である3月が終わり、仕事もそれほど忙しくはなくなりました。それでも相変わらず何かと大変なのですが、桜を見る余裕はあるようです。もう薄着をして走っています。暑すぎず、寒すぎず、とても気持ちのいい天気です。明日はぜひ千鳥ヶ淵あたりを走りたい。
投稿者 tsuyoshi : 01:19 | トラックバック
2005年03月26日
久しぶりに更新
しばらく更新してなくてごめんなさい。
書くことはいろいろとあったけれど、書くタイミングを見つけられずに、ずるずると、書きたい気持ちを引きずりながらも、こんなにも間隔が空いてしまいました。これからはもうちょっとちゃんと更新します。ごくささいな、日常の出来事も書こうかとおもいます。僕はどうも書くとなるとちゃんと書きたいと思ってしまうようで、そうなると書くきっかけを見つけるのが難しい。でもこのブログはまとまった内容を書いたエッセイもあれば、身辺雑記の日記もあるようにしようと思って「diary/essay」としたのだから、もうちょっと日記も書こうかと思います。
というのも、書くことを習慣づけたいからです。
最近とある方から聞いた話なのですが、作家の井伏鱒二さんは書くことがないときは広辞苑を写していたそうです。広辞苑を写すような単純作業でもいいからとにかく書いていたそうです。そうやって本番が来たときにいつでも書ける状態にしていたそうです。精神の贅肉を落とすシャドウボクシングは欠かせないということです。僕はメッセンジャーの仕事を始めてから食欲はものすごいのに体重が数キロ減り、贅肉のないいたって健康な体になっているのですが、同時に精神の贅肉を落とすことも忘れないようにしないとと思うのです。

この写真は先週末に久しぶりに行った鵠沼海岸。
土曜日におうきくんと湯河原でクライミングをし、そのまま彼の家に泊まり、次の日に海を見ました。ものすごくいい天気で、ああ、空が広いなーと感動。ねっころがっていると、ぽかぽか陽気でうとうとして、体がバターかチョコレートになったかのようにとろけそうでした。もう春なのだなーと思いました。
投稿者 tsuyoshi : 12:46 | トラックバック
2005年03月04日
かわいそうな蒼き狼号
BB(ビービー、ボトムブランケット)と言われているパーツは自転車の心臓部にあたる。
ペダルとクランクがフレームに取り付けられている部分のことである。
先日蒼き狼号のBBのガタがひどすぎて、心臓移植を試みる事にした。
自転車屋で新しいBBを買い、古くなっていたフロントギヤも新しく買った。
そして古いBBを取り外そうとしたが、できなかった。
完全にBBがフレームと癒着してしまい、外れないのだ。
おおきなモンキーレンチに思いっきり体重をかけても無理。足で乗っかっても無理。メカニックの人に頼み、すごく大きな工具で外そうとしたが無理。足で思いっきり踏みつけたらBBを外す為に取り付ける工具の歯が欠けてしまった。
しょうがないので潤滑油を浸透させてから再度取り外しを試みる事にした。その日は会社の自転車で仕事をすることになった。
しばらくして、メカニックの人に呼ばれた。彼はフレームのBBが取り付けてある部分を指差して、医者がレントゲン写真を指差してガンを告知するように、ここにクラックがあると言った。よく見ると確かにクラックがある。BBの交換どころの話ではなくなってしまった。もうフレームがダメになってしまっていたのだ。つまり、蒼き狼号は余命いくばくかの身だったのだ。
その日は仕事中ずーっとこれからどうしようか考えながら、なんだかぼんやりしていた。会社の自転車はしっかり整備されており申し分なくスイスイ動くけれど、ちょっとよそよそしい。こうやってちゃんと整備しておけばよかったのだと思うと悪い事をしたと思った。
フレームにクラックが入ったのがBBを取り外すときにできたのか、それとも徐々に出来たのかは分からない。後者なら仕方ないが、前者ならばもっと早くBBを交換していれば防げたかもしれない。
ともかく自分の自転車はデリバリーには使えないと戦力外通告をされてしまった。かわいそうな蒼き狼号。アフリカもチベットも知っている百戦錬磨の彼にもついに引退の時が来たようだ。
旅に出る数ヶ月前の1998年の秋に買ったので、6年半ぐらい乗ったことになる。もう買ったときに付いていたパーツのかなりの部分は交換されている。人間の体は一年で9割が交換されるそうだが、なんだかそれと似ている。
それにしても6年半よく走ってくれた。
旅で4万5千キロ、旅のあとも通学や通勤に毎日活躍していた。合計5万数千キロになるかと思う。
特にフル装備でガタガタの道を走っていたチベットなどは、自転車にとっても相当な負担だった筈だけれど、よく走ってくれた。正直あまり自転車の面倒を見ておらず、メンテナンスを怠っており、壊れたら直すが壊れる前に整備することをしなかった僕はあまりいい持ち主ではなかったかもしれない。それなのにこれでもかと乗り回され、さぞかし大変だったろう。かわいそうに。
でも、「モノ」としてはこうやって使い倒されるのは本望ではないかと思う。
冷静に考えれば自転車はあくまでも「モノ」であり「道具」なのだ。機能が失われると「ゴミ」になるのだ。
「モノ」と「ゴミ」の境目は“機能”なのだということ。
なんて明解でなんて分かりやすい定義だろうと思う。
確かにその通りである。ティッシュペーパーは鼻をかんだ後はもう“機能”が失われるからゴミだ。切れた電球は“機能”がないからゴミだ。
でも“機能”が十分あるけど様々な理由で「ゴミ」になる場合もある。飽きた、古くなった、高性能の新しいのを買った、要らない、修理代が高い…等々。ちょっと悲しい「モノ」から「ゴミ」への経路だが、特に変化が激しい電化製品の分野ではこっちの経路の方が多いのかもしれない。しかしこのような経路も“客観的な機能”ではなく、“主観的な機能”が失われたと捉えれば、“機能”を失ったからゴミになったと言う事も可能である。
この逆もある。
実は僕は旅の途中で「ゴミ」を送り返した事がある。
数万キロ一緒に走ったギヤやチェーンを捨てるにしのびず、送り返した。ぼろぼろになったTシャツを捨てるにしのびず、送り返した。旅の途中で、自分と共に移動している「モノ」は極端に少ないので、過剰に愛着が湧いたのだろう。その時は捨てるなんてあり得ないと思った。
旅を終え、実家に帰ったとき母に「何が送られてくるかと思ってワクワクして開けてみたらゴミが入っていたのでびっくりした」と言われた。そのとき僕は少々傷ついたのだが、言われてみれば全くもってその通りである。高いお金を払って海外から日本へゴミを送るのだから倒錯行為である。でも送った時の僕の心情はまるっきり倒錯などしておらず、これなどは“主観的な機能”はまだ失われていなかったということになるのだと思う。
(つけ加えれば、この“主観的機能”を重視しすぎると皆から「変態」と言われるのである。…たぶん。)
僕はよく「モノ」について考えるのであるが(例:引っ越し当日の文章など)、「モノ」について考えるということは「ゴミ」について考えることと同じかもしれない。
「モノ」と「ゴミ」との境界は“主観的/抽象的な機能”であるということ。
そういう風に言葉には境界線が引かれている。個人によって境界線は揺れるが、“機能するかどうか”ということを基準にしても過ちはないだろう。
しかし「ゴミ」という言葉は実に人間的だなと思う。
使用済みのティッシュから核燃料廃棄物まで、人間だけがゴミを出す。森の中では枯れ葉は決して「ゴミ」ではないけれど、燃えるゴミの日には枯れ葉が袋に入れられていたりする。ちょっと悲しい光景である。
…話が長くなったが、ともあれ自転車のフレームにクラックが入っていた。相当なショックであった。だからいろいろと嫌気がさし、先日仕事に対するグチばかりの文章を書いたのだろう。
これからどうしようかと思う。
いろいろと悩ましいけれど、やはり、たぶん新しい自転車を買う事になるだろうな。
メッセンジャーの仕事はどれだけ続けるか分からないけれど、自転車はずっと乗るだろうから。
僕の性格上、買ったからには使い倒すので、いいものを買いたい。
できるのなら新しいフレームを買って、パーツから組み上げたい。今の自転車に付いているパーツでも買ったばかりのものがいくつかあるのでそれらは移植しよう。
これは“フレームもまたパーツである”というように見方を変えるとただフレームと古くなったパーツを交換するだけの話になるが、心情的にはちょっと無理がある。(これは「モノ」に「主体(個)」というものを認めていることになるのかな?)
しかしながらフレームだけパーツだけという買い方は、完成車を買うのよりも格段に高く付く。
それにどこのフレームにするのか、どんなパーツにするのか、結構悩ましいのだ。
だからしばらくは買えないし買わない。
蒼き狼号はいまだに通勤に使っている。
BBのガタはひどいけれど、一応走れる事は走れるのだ。
ほんとうによく走ってくれる自転車だ。
仕事は会社の自転車を使っている。
ああ、やっぱり悲しいなー。
投稿者 tsuyoshi : 12:23 | トラックバック
2005年03月02日
一ヶ月めの愚痴
メッセンジャーの仕事をはじめて、一ヶ月余りが経ちました。
ようやく仕事を覚えてきて、なんとかこなせるようにもなってきました。
でも、どうした訳か最近朝出勤するのがおっくうに感じます。
仕事を始めた当初はとにかく変化が激しく、覚える事が膨大で、とにかく必死でした。卒業制作展とも重なっており、毎日ものすごく忙しく、心をピンと張りつめていました。その緊張の糸が卒業制作展が終わった事で切れたのかもしれません。相変わらず何かと忙しいのですが、どうも望んでいるような日々からズレているように感じます。
メッセンジャーの仕事が合っていないのかもなと思ったりします。
たぶんそれは本当です。それなりに仕事の楽しさも見つけ、時折すごく楽しく感じる瞬間もあるのですが、本当に自分が望んでいるものとはズレている事もやはり知っています。
体力的にキツいという訳ではありません。当初はとても大変でしたが最近は慣れました。雨の日でなければ疲れ果てるということにはならなくなりました。
金銭的に割に合わないというのは少し感じます。時給はまあまあなのですが自転車のパーツがかなり消耗し、そのパーツ代やメンテナンスにお金がかなりかかります。働いたお金がごっそり自転車に費やされていくような気がします。
でも一番の理由はその時間感覚だと思っています。
この仕事はものすごく時間に追われる仕事です。
時間に追われているという事が、事故に遭う可能性が高まるとは限りません。どれだけ急いでいてもちゃんと安全に走ります。だから、危険だから辛いという訳ではありません。
時間に追われるという感覚そのものがどうにも合わないのです。
僕のリズムとどうにもズレているのではないかと感じてしまい、それが無視しにくいのです。
無理矢理無視したつもりになっていても、なんとなく胸のあたりがざわざわしてしまい、ちょっと辛いです。
あるいはこのような不満ももうしばらく仕事を続ければ霧散するのかもしれないのですが、そのように仕事に慣れ切ったときに失うリズムがあるのかもしれず、また僕の性格上完全に慣れるということは難しいということも感じます。
今は「地図作り」や「東京オフィス見学の旅」などと意味付けをしてなんとかしのいでいるけれど、どれだけ保つかは怪しいです。たぶん僕は東京を卒業するためにこの仕事をしています。ちゃんと東京の地理と働く人を見、東京に流れる時間も知り、知った上で「もういいや」と納得して卒業したいのだと思います。当初は半年ぐらいかなと思っていたけれど、そんなに保つのかな…。あるいは東京もいろいろだから、視点を変えればまた違った時間の流れも見つけられるのかもしれないですが。
こんなことを書いているとまた明日の朝が辛くなりそうです。
どうにか肯定的な意味付けを試みたいけれど、寝不足になるのは辛いので今日はこのへんでおしまい。
投稿者 tsuyoshi : 00:07 | トラックバック
2005年02月22日
卒展終わる

卒展が無事終わりました。そして来場者投票で見事一等賞になることができました。ありがとうございます!多くの方とお話でき、とても有意義な卒展になりました。今度は個展を開きたいです。
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2005年02月19日
卒展はじまる
いよいよ卒業制作展がはじまりました。
こういう発表の場があるということは本当に嬉しい事だということが今日一日の感想です。
多くの人に自分の作品を見てもらい、感想を聞かせてもらい、いろいろ質問に答えたりお話をしたりする事が、ものすごくいい刺激なのです。あす明後日は土日なので今日よりもっと多くの来場者があるでしょう。これは思ったよりもはるかにいい卒展になりそうだと、いまからとっても楽しみです。今日は上々の初日でした。
横浜赤レンガ倉庫は会場として最高の場所です。
一号館の二階で開催しているので、時間があったらぜひ来てみて下さい。
そのときは「ホームページを読んで来ました」とおっしゃって下さい。本人がとても喜びますので。
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2005年02月18日
卒業制作展の準備
連日大忙しで準備し、昨日などは徹夜で仕上げた写真を、横浜の赤レンガ倉庫に設置してきました。
数十枚が一堂に会するとかなりいい感じ。あした(18日)の朝最終調整をし、昼にオープンだ。
これは写真の横に貼る文章。
喜望峰から自転車で日本まで帰る。そう決め大学を休学し、3年5ヶ月かけて旅をしました。訪れた国は40カ国。走った距離は4万5千キロ。無事日本に帰国してから二年半が経ちました。時間が経つにつれ、旅の記憶は切れ切れになっていきます。しかし時間の経過とは無関係に、忘れ得ない光景、すり減る事のない想いも確かにあります。
圧倒的に美しい光景と出会った時の心の震え。数千枚ある旅の写真の中から今でもそんな震えを覚えているものを選びました。これらの写真の前に立つと“本当に美しいもの”を見たときの震えをはっきりと思い出します。
内奥から発光するような本物の美しさは心に深く刻印されます。そしてどれだけ旅の記憶が薄れようとも決して消えません。それどころか、もっと根源的な美しさの方へ、もっと本質的な美しさの方へと、いよいよ強く駆り立てられます。
どうにか間に合いそうです。がんばった甲斐がありました。
金、土、日と横浜の赤レンガ倉庫一号館の二階で開催しているので、ぜひ見に来て下さい!
(ね、ねむい…)
投稿者 tsuyoshi : 03:40 | トラックバック
2005年02月13日
卒業制作展のお知らせ

お知らせです。
2月18日(金)〜20日(日)に横浜の赤レンガ倉庫1号館にて卒業制作展があり、僕も出展します。写真をどーんと展示する予定。
慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 卒業制作展 2005
会期:2005年2月18日(金)→20日(日)
開催時間:午前11時→午後8時※20日は午後5時まで
開催場所:横浜赤レンガ倉庫1号館
入場:無料
現在準備におおわらわなのですが、果たして間に合うのだろうか、すごーく心配。でもこうやってアナウンスしたからにはもう間に合わすしかないのでがんばりまっす。近くに住んでいる方、時間がある方、ぜひぜひ見に来て下さい。基本的にずっと会場に居るのでお気軽に声をかけてください。
投稿者 tsuyoshi : 02:27 | トラックバック
2005年02月11日
東京を旅する手段
更新が滞っていて申し訳ないです。
平日は日々いっぱいいっぱいで自転車を漕いでおり、家に着くと相変わらずバタンと眠っております。昨日は家に着いてから靴と眼鏡をとるのがやっとで、ジャケットを着たまんま布団に横になったら14時間が経過しておりました。でもぐっすりと眠ったおかげで今日はやたらと元気です。
僕が日々やっているメッセンジャーというお仕事はもう純然たる肉体労働であり、ブルーカラーであります。だから当然ごはんはとてつもなくおいしいし、大量に食べます。食事の第一義がエネルギー摂取であるということをつくづく感じます。それから不眠症が遠い星の出来事になりました。布団に入った途端に、いや入り切らない内にもう眠っております。頭でっかちで、頭が重たくなりすぎて身動きが取れなくなっていた僕にとって、こういうお仕事は狙い通りの効果を発揮しております。
毎日通勤も自転車です。
杉並区から港区へ、片道15キロぐらいを走っています。そして9時から17時までお昼休みの1時間を除いて、ずうっと東京の中心部を走り回っているか、ビルの中を右往左往しています。
徐々にですが、頭の中に東京の地図が描かれつつあります。
毎日なにがしか新しい道を走り、新しいビルに入り、それが地図に上書きされていきます。そして既知の道と新しく知った道が繋がり、それが広がっていき、徐々に地図が詳細になっていきます。青山通り、六本木通り、表参道、明治通り、日比谷通り、駒沢通り、靖国通り・・・。そういった大きな道がまず引かれ、その交差点に名前が書き込まれ、それらを繋ぐ細い道がさらに引かれ、よく行く大きなビルがプロットされます。そしてより細かな情報も順次書き込まれていきます。このような“地図作り”がこの仕事のひとつの楽しみかもしれません。
もうひとつの楽しみは、オフィス見学です。超有名ビルや超高級マンションのオフィスをちょっとだけ見学でき、また場末の雑居ビルや老朽化が進むマンションの一室のちいさなオフィスもちらっと見る事ができます。東京には実に多くの会社があり、実に多くのオフィスがあり、実に様々な職場があるなーと、これもなかなか興味深いです。中からどんな方が出てこられるのかも含めて、僕の観察欲を刺激して止みません。
こう考えると、メッセンジャーの仕事は、東京を知るいい手段に思えます。この仕事をすれば確かに東京のある一面が覗けます。東京を知る視点としては悪くはありません。
このような視点を一方で得ながら、もう一方で何百キロも荒野が続くチベットや、砂また砂のサハラを想えば、光景もまた違った広がりをもつでしょう。そういう意味で、メッセンジャーの仕事は東京を旅する手段になり得ていると思っています。ということはつまり、僕は今現在かなりハードな旅をしていることになります。
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2005年02月02日
時間濃度
先週の月曜日からメッセンジャーの仕事が始まっています。
先週は研修だけだったのですが、今週からは一人で走るようになりました。
ここ数週間で引っ越しをし、新しい仕事が始まり、多くの新しい人とも出会い、めまぐるしく環境が変化しました。
このように変化が激しいと、一日一日がとても長く感じます。
特に先週はとてつもなく長い一週間でした。
今までは週末や月末になると「もう今週/今月が終わったのかー」となんとも言えない思いになっていたのですが、先週に関して言えば、「まだ火曜日か」「まだ水曜日か」と一日一日がとても長く感じ、週末には一ヶ月ぐらい経過しているように感じていました。
このような、日々が濃密に感じる時間感覚は旅をしているときと全く同じです。
僕は旅をして半年ぐらい経ったとき、もう何年も旅をしている気がしていました。
一年ぐらい経った時は、その時は22、3歳ぐらいだったけれど、これぐらい色々と経験していたらもう30歳になっていても納得できるなと思っていました。それぐらい日々の濃度が違いました。カルピスの原液をそのまま飲んでいるような日々でした。目を白黒させ、一日一日必死でした。
そのような日々が、引っ越しをし、新しい仕事を始めることでまた感じられているのだから、これは喜ばしい事です。時間は相対的だということの、感覚的な理解はこのようなものなのかもしれません。とにかく日々新しいことだらけで、テンションを高く保ち、必死に対応しています。今はアパートに帰ってくるとバタンと倒れて何時間か眠ってしまうけれど、大変なのは初めの一ヶ月でしょう。一ヶ月経てば体力もつき、仕事の要領も覚え、余裕がでてくると思います。がんばるぞっ。
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2005年01月22日
引っ越し当日の文章
やっとネットに繋げるようになりました。
今日は引っ越し当日(18日)に書いた文章を載せます。
引っ越し当日ならではの文章だなあと読み返して思います。
考察としてはちょっと雑だけれど、臨場感を優先し、そのまま載せます。
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杉並区に引っ越しました。
ネットに繋げる環境になるのは数日後なのですが、この文章は引っ越した当日の夜に書いています。
ほとんどの段ボールが整理し切れなく部屋を埋め尽くしています。
今度のアパートは風呂なしの六畳一間。この前が六畳2部屋のアパートだったので、一気に狭くなりました。
引っ越しをすると心が荒みます。
それは多くのモノとの関係を見直し、少なからぬモノを捨てるからでしょう。そして少なからぬモノを捨て切れないからでしょう。
一ヶ月前の引っ越しを決めたときから、すべてのモノをひとつひとつ見直す作業がはじまりました。これは精神的に本当に疲労を伴うものでした。そして今日ようやくその作業が終わり、捨ててしまったモノへの心苦しさと、捨て切れなかったモノへの憎々しさで、なにかもう精魂尽き果てたという感じです。体力的には大した事ないはずなのですが、精神的にもう疲労困憊です。とても段ボールを開けて整理する気になれません。開けると、こんなモノも持ってきてしまったのかとなお脱力するばかりだからです。
極論してしまえば、絶対本当に必要なものは大きなバッグ一つ程度になるでしょう。
そういう状態が理想ではあるのですが、いまもしそれだけしか物を持たずにこの部屋にいたとしたら、それはそれは心細いでしょう。自分が、吹けば飛ぶような軽い存在に思えてしまうでしょう。きれいごとではない“自由”の一面なのだと思います。
僕はいま、ちょっと大きな赤帽車いっぱいの荷物と共に部屋にいます。
周りには見慣れた家具や小物が散乱しています。「本当にこれらのものが必要なのか?」と問われても、答えられません。どんなになじんだ家具でさえ、捨てたらきっと清々するでしょう。99パーセントは「あれば便利」なものです。あれば便利なものは、なくてもどうにかなるものです。
そう思うと、モノとの関係が急にあやふやになります。親友だと思っていたのに急によそよそしくなるような悲しさがあります。昨日今日と僕は数多くの裏切りをし、別れ話をし、縁切りをし、駄々をこねられ、腐れ縁に絡み付かれました。モノって一体なんなのだろう。ほとんどヒトと同じではないのか?!
たとえばテレビだったり、鉛筆削りだったり、ハンガーだったり、こんなにも具体的なのに、引っ越しのような場面になるといつもモノについて考え込んでしまいます。
モノから疎外されたくない。モノから見捨てられたくない。でもモノに束縛されたくない。
モノをどういう態度で買えばいいのだろう。
「本当に必要なもの」で「一生ものの素材でできたもの」を結婚するような気持ちで買うというのはいい方針だとは思うが、結婚という言葉を聞くとぞっとしてしまう僕は、何も買えなくなる。
食品や、洗剤や、トイレットペーパーなど、時間が経てば無くなるものは、安心して買える。でも、自分で捨てないと無くならないものを買うときの葛藤は相当なものである。
しかしながら、もっと長い時間軸で考えてみれば全てのモノはいつかは壊れる。スプーン一個が壊れるのに何(百?)年かかるか分からないが、とにかく壊れる。一生は持つかもしれないが、永遠はない。そして自分が死んだときには何も持っていけない。
たとえば割れた皿は、何なのだろうか。まるで役に立たないからすぐに捨てられるけれど、そう考えると、役に立つもの、つまり「機能するもの」だけが、モノなのだろうな。これは具体的に機能するのと、思い出の品々など精神的に機能するという両方がある。
人間と動物との違いは、モノを持っているか否かで分けるという観点がある。人間は道具を使うヒト、ホモ・ファーベルだ。
となると、自由でいたい、モノはなるべく少なくして、モノに束縛されたくないという想いは、人間の中の
動物の本能なのかもしれない。
何しろ野生動物は間違いなくモノに執着心がなく、バッグひとつすら持っていないのだから。
人間だってれっきとした動物だ。
だから言わば「野生の思想」が「モノは少なく!」と言っているのだ。
ということは、モノはなるべく少なくしたいと思う人は、どちらかというと動物の本能がまだ残っているタイプの人間なのだろう。
ということで、動物的本能という言葉にたどりついたところで、引っ越し当日の夜の思考は終わりとします。思わぬ収穫でした。
投稿者 tsuyoshi : 02:49 | トラックバック
2005年01月16日
声のちから
今日116に電話をし、固定電話の引っ越し手続きをした。ただ単に事務的な会話をしただけなのだが、電話を切ってからしばらくぼーっとしてしまい、気がつくと感動していた。対応してくれた女の人の声に感動していた。
あのような声をなんと表現すればいいのだろう。
声が小さい訳でもないのに、思わず聞き耳を立ててしまう声。
はっきりとした発声なのに、やわらかい声。
とても真剣なのに、落ち着いている声。
ただの事務的な会話なのに、まるで宇宙の秘密をこっそり打ち明けられているかのようだった。
とても大切な事を、丁寧に、真剣に相談されているかのようだった。
ひと言も聞き逃さぬよう、受話器をぎゅっと耳に押し付けていた。
まちがいなくこの人は誠実な人だなと思った。
電話を切ってからしばらくして頭に浮かんだのは「朝のリレー」という谷川俊太郎さんの詩を朗読したネスカフェのCMだった。検索しネスカフェのHPでそのCMを見た。そうしたら、まさにさっき電話口で聞いたような声の朗読だった。朗読されている方はHaLoのayakoさんだと書いてあった。彼女の「朝のリレー」の朗読と同種の感動だったと書けば、どのような声に感動したのか想像してもらえるかと思う。
116の応対をしてくれた女の人。
声だけで社会とつながっている彼女は、まさに天職のような仕事をしている人だ。
でも彼女はきっとそのことに気がついていない。
たぶん自分の声のちからを自覚していない。
そして、自分の声で感動している人がいるとは夢にも思っていない。
しかし、彼女の知らないところで感動しているのは僕だけではないはず。
彼女は太陽の光を反射する月のようだ。
ただそういう位置関係になっているから反射しているだけなのに、地球から見ているぼくたちは、その月の光にこころを奪われる。
たとえば朝をリレーしているなんて谷川さんに言われるまで思いもよらなかったように、そういうことって、けっこうあるのだと思う。いつだって大切なのは想像することだ。想像して、素敵な意味付けを試みること。
どこか遠くの部屋で、彼女はくる日もくる日も電話の応対をしている。
現実の、目に見える側面だけを見ればそれはややもすれば気が滅入るような光景だ。
でも、目に見えない部分をすこしだけがんばって想像すると、そこで彼女は一人一人の海岸に波を送っている。
じっさい耳の中の蝸牛(かぎゅう)という部分ではリンパ液が波打っている。
鼓膜を震わせた彼女の声はまず三つのちいさな骨がリレーしている。鼓膜の振動を槌骨(つちこつ)が受け、砧骨(きぬたこつ)に伝える。砧骨は鐙骨(あぶみこつ)に伝える。アンカーの鐙骨はそれを受け、蝸牛の窓をたたく。そうしたら蝸牛の中にあるリンパ液が波打つ。その波形を蝸牛の内側にある繊毛がフーリエ解析し、脳にパルスを送るのだ。
だから彼女はくる日もくる日もとおくの海岸に波を送っている。
でも彼女はその波が海岸に打ち寄せる様を知らない。
その波が波打ち際についた足跡を消したことも知らず、
その波で波乗りを試みている者の存在も知らない。
投稿者 tsuyoshi : 22:47 | トラックバック
2005年01月14日
メッセンジャーをやります
吉報です。
昨日、アルバイトの面接を受けてきました。そして今日電話で採用される旨を知らされました。ああよかった!受かる気はしていたけれど、連絡を受けるまではドキドキでした。もし落ちたら非常に困るところでした。もう僕はこれをやろうと決めていたのだから。
バイシクルメッセンジャーをやります。
荷物を受け取り、自転車で届けるお仕事です。
東京の真ん中は交通渋滞がひどく、急ぐ書類を届けるのに自転車の方が電車や車よりも早いのです。駐車することを考えると近距離ならばバイクよりも早いのです。
毎日80キロ前後漕ぐらしい。とても大変な肉体労働です。
ちゃんとできるかなーと不安ですが、自転車を日々淡々と漕ぐことは僕の専門科目のはず。
今は体がなまってしまい、どれだけ動くか心もとないけれど、二年半前までは同じような事をやっていたのだから、一ヶ月もすれば体ができてくるでしょう。
この仕事を選んだ理由はいくつかあります。
まず、「自転車の方が早い」という事実がこの上なく僕の琴線に触れるのです。
このお仕事は大都市でしか成り立ちません。海外ではニューヨークやロンドン、パリなどでメッセンジャーは多数いるようです。日本では東京、大阪、横浜、名古屋などにいくつか会社があるらしい。
都市の規模と発展がある臨界点を越えていないと成り立たないお仕事なのです。そして思想的にはその「ある臨界点」が興味深いです。進歩や発展や開発を極限まで押し進めた結果、その中心部では人力の乗り物が最速になるという逆転が起こるということが、とても面白いです。その面白さ(本当に自転車が最速なのか?ということ)を体感したいです。
次に、肉体労働だということがいい。
体を使うことで、考えがネガティブに傾かなくなると思うのです。僕は自転車を漕ぎながら考え事をするのが大好きなのです。何もかもが上手くいくというイメージを抱けるからです。
さらに体力もつきます。このごろ体力が落ちてきているのを実感しており、とても悲しかったけれどそれも解消されるでしょう。フィットネスクラブで動かない自転車をお金を払って漕ぐことを考えるとかなりお得です。
一日中動けばお腹も空くでしょう。そうしたらご飯もおいしく食べられるでしょう。おいしくご飯が食べられるという喜びは何ものにも代え難いものです。
つまり、僕にぴったりのお仕事なのです。
初めは体力が心配なので週四日働く事にします。慣れてきたら5日にしてもいい。
“蒼き狼号”にはもうしばらくがんばってもらうとします。
今まで僕はずっと仕事について悩んできました。
そして長考したのちの一手をようやく打つ事になりました。
攻めと守りのバランス、理想と現実のバランス、部分と全体のバランス、そういう多くの要素をかんがみて、今できる最善の一手だと信じています。
この一手はもちろん布石です。しかしキーとなる局面での一手でした。この布石を存分に使い、さらに自在に石を置いて行きたいです。このように攻め、このように守るというイメージはしっかりとあります。すべての一手に、日常のどんな些細な一場面にでも、意志のある一手を打ちたい。揺るぎない想いを構成する一手にしていきたい。
実はこんなにやる気になっているメッセンジャーのお仕事ですが、ずうっと続ける気はありません。
しかしそれはメッセンジャーを真剣にやることと矛盾しません。
面接では一年以上続ける意志があるか聞かれ「ある」と答えたけれど、正直に言うと、「半年は続ける」としか今は言えません。揺るぎない想いと、不安定で具体的な現実とがあります。そういう不安定なエッジに身を晒し続けることこそが僕の表現活動なのだと信じています。がんばるぞっ。
投稿者 tsuyoshi : 22:41 | トラックバック
2005年01月10日
幕岩、クライミング

湯河原の幕岩にクライミングに行きました。
参加者はおうきくん、みの、ねぎさん、僕の四人。絶好の天気でした。
湯河原あたりはみかんの産地らしく、行く途中の道端にみかんが売られていました。
甘くて大きなみかんが7、8個入っていて100円。ものすごくお買い得でした。
お昼前に二本登りました。
5.8のルートをトップロープにして、みの、ねぎさんともに完登。
初体験なのに勇気ある登り方で、こわいこわいと言いながらも、ちゃんと登り切っていました。すごい!
お昼ご飯はみのねぎ作成のおにぎりとおかず。そして僕が豚汁を作りました。緊張しがんばったあとのピクニック気分でのお昼ご飯は格別でした。
午後はおうきくんが幕岩の看板ルート「シャクシャイン10d」にトライ。二回テンション(ロープにぶらさがること)したものの、執念のトライで登り切りました。すごい!!
僕も10aのルートを何度かテンションしつつ、ようやく、エイ!と気合いを入れて登りました。よかったよかった。
みなそれぞれ、ぎりぎりのレベルで力を出し切り、大満足の一日でした。
今度は梅の花が咲く頃に行きたいです。
幕岩周辺は梅林になっており、時期になればすごそうなのです。
投稿者 tsuyoshi : 23:19 | トラックバック
2005年01月09日
稲村ケ崎、鎌倉へサイクリング

サイクリングに行ってきました。
湘南台のアパートを出て、境川沿いのサイクリングロードを南へ。藤沢を抜け、すこし走ると海へ出ました。七里ケ浜です。そこから海を右手に見ながら走ると稲村ケ崎に着きました。曇ってばかりの空だったけれど、稲村ケ崎で休憩していたら雲間から光が差し込みました。
稲村ケ崎を出て、鎌倉へ。若宮大路を鶴岡八幡宮へ。境内は参拝客でいっぱいでした。僕も自転車を置いてお参りしてきました。それから大船をへて、湘南台へ戻ってきました。4時間ぐらいのサイクリングでした。
引っ越すとなると、思い立ったらすぐ海へ行けるという環境が惜しくなってきます。自転車を走らせると、アパートからどれぐらいで海に着くのか、鎌倉はどれほどの距離にあるのか、ようやく知れた気がしました。やはり、体を通して、息を切らせて、やっとその場所の大きさも位置関係も出来上がるのだと思いました。いままで何度も江ノ島や鎌倉へは行っていたけれど、電車か車ばかりで、どうも地図が抽象的でした。それが自転車で行くと、地図がもっと具体的になりました。自転車であれぐらい疲れる距離、あれぐらい爽快に走れる道、そういう体で知り体で覚える地図はやはりいいものです。旅していた時はあまりに当たり前の感覚だったのだけれど、今回走っていたら「そうそう、これこれ」と思って、とっても嬉しくなりました。また行きたいです。
投稿者 tsuyoshi : 00:17 | トラックバック
2005年01月08日
自転車のメンテナンス
昨日、何時間もかけて自転車“蒼き狼号”をメンテナンスした。
本当はもう引退させて、新しい自転車を買いたいなと思っていた。十分すぎるほど走らされた訳だし、至る所にガタがきていて、乗っていてかわいそうになっていたのだ。パーツは全部取り外して、フレームだけにして部屋に飾ろうかなどと思っていた。
フロントもリヤも限られた範囲しか変速機が動かなくなっていたのだ。以前転倒したときにリヤの変速機をぶつけ、それ以来もうだめだろうとあまりメンテナンスをしていなかった。ブレーキも利きが悪いしボトムブランケットやハブにもガタがある。数週間前にぼろぼろだったサドルとグリップを交換したのでまだましになっていたが、それでも状態は良くなかった。
でも、ちょっとだけ直してみようと思った。いろいろいじればいかにぼろぼろの状態か分かると思ったのだ。そしていじりだしたら、ハマってしまった。今までもう直らないと思っていた部分が、手を付けてみると意外と簡単に直ってしまった。単に潤滑油が切れていただけ、単に調整が不足していただけ、単にパーツが消耗していただけだった。
シフトワイヤーを一旦取り外し、アウターワイヤーを交換し、潤滑油を丁寧に注した。フロント、リヤのディレイラー(変速機)も丁寧に潤滑油を注し、変速機が動く幅を制御するねじを丁寧に調整し、フロント3段、リヤ8段すべてにちゃんと変速できるようにした。ブレーキも一旦ブレーキワイヤーを外し、アウターワイヤーの中に潤滑油を注し、しっかり調整しきちっと利くようにした。もちろんチェーンにもしっかり油を注した。
そうしたら、いい感じなのである。なんというか、凛々しいのである。よぼよぼだった筈なのに、何時間か手を加えただけで、百戦錬磨の勇者の風格なのである。本当はもうダメだと確認し、新しい自転車を買いたいなと思っていた。最近よく本屋で自転車雑誌を立ち読みしていた。でも、考えを改めた。もうちょっと付き合おうと思った。
はっきり言って、まだ至る所にガタがあり、完璧ではない。特にボトムブランケット(クランクの付け根)のガタは自分では直しようがない。面倒なハブの調整も必要だし、リム、タイヤ、リヤディレイラー、チェーンなどのパーツも消耗しており、買い替えるとなるとかなり高くつく。
でも、まだ現役で走れる状態に戻った。そしてこれが重要なのだが、「この自転車はかっこいい」と思った。フレームについている無数の傷や、バーエンドの握る部分のテカリや、キャリアやねじのサビなど、見るからに年季が入っているのである。じろじろと自転車を眺め回し、撫で回し、惚れ惚れしてしまう。なんてかっこいいのだろうと思ってしまう。見直してしまった。
正直言って、今まで僕は蒼き狼号をほったらかしていた。酷使に次ぐ酷使をし、何万キロ、何十カ国と苦労を共にしたわりりには、彼は不当な扱いを受けていた。愛情もほどほどであった。でも、久しぶりに手入れをしたら、急に大好きになってしまった。どうしちゃったんだろうと思う。ぺたぺたと自転車のあらゆる所を触りたくなるほどなのである。今日、ちょっと走ってみたら、「自転車いいじゃん!」と思った。この早さといい、このエネルギー効率の良さといい、自転車から眺める移り変わる風景といい、とってもいいのである。
何か、自転車に乗っていると、あらゆる事がうまく回りだすような気さえした。不安は移り変わる景色とともに後ろに追いやられ、視線はあくまでも前方を向く。自力で進む。バランスをとる。エネルギー効率が最善となるように勾配や風に合わせてギヤをシフトする。ブレーキはいつでもキュっと利くようにして危険を回避する。そういうひとつひとつの事柄が、人生を明朗に生き抜く知恵として染み込んでくるのだ。
きっちりメンテナンスをすること。特に駆動系への注油は絶対である。メンテナンスを怠りエネルギーロスの多い状態で乗ると楽しくなく、危険で、不安である。でも、交換すべきパーツは交換し、きっちりメンテナンスをしさえすれば、自転車に乗ること自体が楽しくなり、もっとずっと遠くへ行ける。ぐじぐじと腐ったりしなくなる。だから、2005年は、きっちりとメンテナンスをしたい。気がついたときにちゃんと対応したい。そうすれば、生きること自体が、大変だとしても楽しくなるだろう。自転車に乗り風を切るイメージで生きたい。
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2005年01月06日
あけましておめでとうございます!
年末年始は浜松の実家と北海道の父の実家へ行っていました。

これはかまぼこ細工。全部僕が作ったのです。手前の「松」などはすごそうに見えるけど、やってみると意外と簡単。年越しそばに入れて食べました。大晦日は紅白歌合戦などを見ながらみかんを食べていました。元旦は家族でテニス。普段全く使わない筋肉なので、翌日筋肉痛になりました。2日から5日まで札幌へ。祖父が入院してしまい、そのお見舞いで行ったのでした。親戚が集まり、沢山食べました。

北海道神宮で初詣をしました。4日、5日は雪が降りました。
実家に帰ると、いつも父と囲碁をします。以前は負けてばかりでくやしい思いをしていたのですが、最近は勝ったり負けたりと五分五分です。囲碁をすると、それが終わっても頭の中が囲碁モードになってしまい、ずーっと碁盤と碁石が頭から離れなくなります。知的な興奮の度合いがものすごいのです。近くのことと遠くのことを同時に気を配る。部分的と全体を行き来する。言うのは簡単だけれども、それを実行し、勝つのは難しいです。囲碁はとてもすばらしい頭の体操になります。年に数回しか実家に帰らず、それゆえ年に数回しか囲碁をする機会がないので、上達の程はたかが知れているのですが、囲碁はまちがいなく僕の趣味のひとつです。
今年もよろしくお願いします!
投稿者 tsuyoshi : 22:44 | トラックバック
2004年12月26日
パーソナル・ディフニッション・オブ・サクセス
都内に部屋を見つけました。
一月の中旬に引っ越します。
六畳一間の安いアパートです。銭湯が徒歩一分の所にあります。
駅からは徒歩5分。上出来でしょう。
僕は、それほど贅沢な生活を望んでいる訳ではないのです。
必要だと思うものが最低限あれば、あとは我慢できます。
どこかで不自由を楽しんでいるのだから「我慢」ですらないのかもしれません。
エアコンがないほうが、冬寒くて、夏暑いということを感じられます。
風呂がなければ銭湯が楽しいでしょう。(見方を変えれば、すぐ横に大浴場を持っていると言える)
トイレはつっかけを履いてドアを出ればいい。
部屋の中にないと絶対ヤダなんて思わない。
こういう事には、まあまあ我慢できる方だと思います。
時折我慢していることさえ忘れます。
住む場所に限らず、あらゆる物について、別に必要でないものは必要ないのに、そこをどうやって買わせるか。そういう言葉が余りにも溢れています。ありとあらゆる媒体が、一日中休む事なく巧妙に、欠落感、渇望感を刺激し、思考停止状態を作り出しています。
そういう言葉の氾濫から一歩距離を置くという立ち位置。
完全に離れるのでもなく、かといって渦中で盲目にもならない。
そういう微妙な立ち位置でバランスをとることが、お金や物欲に対する誠実な態度なのだと思います。
そういえば思い出すのだけれど、「人生ゲーム」というボードゲームがありました。
ルーレットを回し、出た目だけ進み、就職や結婚など様々な人生の節目とお金の出入りがあり、最終的な勝ち負けは持っているお金の額で決定されていました。僕は当時大喜びで遊んでいたのですが、今思い出すと、なんとも言えない気持ちになります。風刺としては極めて良質で、えげつない。
思えば、雑誌も新聞もテレビも、メディアの大部分が人生ゲームというスゴロクを助長させる働きをしています。○○代で○○という肩書き、年収○○万円、○○駅に住み、○○を持っている。○○の次は○○をして、その次は○○。
そいういう他者と比べられる分かりやすい基準とレールがないと不安になるという性質を利用して、売り上げを伸ばすのでしょう。こういう言説は余りに毎日、余りに高密度で浴びせられているので、知らずに僕の中にも否応なく血肉化されているのだと思います。ぼくはやはりある部分で、他者と比べないという達観の困難さを感じるのです。
星野道夫さんの書いた文章の一節に「パーソナル・ディフニッション・オブ・サクセス」という言葉があります。
ビルと奥さんのナンシーほどシンプルな暮らしをしている老夫婦をぼくは知らない。(中略)わずか十五畳ほどの家の中を見渡しても、人間はこれだけ何も持たなくてもよいのだ、とビルの暮らしは語りかけてくる。言いかえれば、人生を生きていく身の軽さである。そう、誰かがパーソナル・ディフニッション・オブ・サクセスという言葉を使っていた。きわめて個人的な、社会の尺度からは最も離れたところにある人生の成否、その存在をビルはぼくたちにそっと教えてくれているのかもしれない。(『旅をする木』の中の「生まれもった川」より)
これは、人生スゴロクから離脱するということなのだと思います。星野さんはそのことを「自分の生まれもった川の流れの中で生きてゆくということ」と書いています。ビルは星野さんに「ただみんな、驚くほど早い年齢でその流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう」と言っていました。
パーソナル・ディフニッション・オブ・サクセス
個人的に定義する成功。
この言葉の持つ意味をよく考えます。
そしてぼくはごく単純に、「別に“お金持ち”になりたい訳ではないのだ」と何度も思うのです。
それこそ、何度も、何度も、何度も思うのです。
そのようなところに成功の定義はないと確認し、(これが実はなかなか難しい)
現実的なお金の入手方法を検討します。
パーソナル・ディフニッション・オブ・サクセス、
いい言葉だなぁと思います。
自己満足や傲慢さといった否定的なニュアンスを感じさせません。
社会とのしなやかな、しかし屹然とした間合いを感じます。
引っ越した後、ぼくはどうにか自活していくでしょう。
そのことで、家族や友人にちょっとお願い。
ぼくへかける言葉は、「甘いゾ、もっと現実を見なさい!」という厳しい言葉と、
「大丈夫、きっと上手くいくよ」という言葉は1:10ぐらいにして欲しいと思うのです。
不安は、煽ると無限増殖し、精神を萎縮させてしまう。
しかし、まったく失敗の可能性を見据えないのは、単なる無謀というものだ。
これからどうなるのか、可能性は無限なのだけれど、その中にはしっかりと「失敗の可能性」も含まれていることを見据えつつ、本質的かつ具体的な事柄を探り、見て、撮り、考えて、書きたいです。がんばるぞっ。
投稿者 tsuyoshi : 21:30 | トラックバック
2004年12月20日
部屋探し
このごろ部屋探しをしています。
やっと、本気で引っ越そうという気になりました。
都内にベースキャンプを張り、そこから世界中へ遠征しようという目論みです。
ベースキャンプは情報と人が集まる場がいいだろうと思い、都内にします。
きっととても安いアパートにするでしょう。
一年のうち何ヶ月かを資金稼ぎに費やし、残りを撮影と執筆に費やしたいと思います。
いろいろ考えましたが、この方法がベストだと思いました。
不安には、踊るように対処します。
投稿者 tsuyoshi : 23:52 | トラックバック
2004年12月18日
大丈夫
僕はここに実名で書いている。
だから当然、見知らぬ人以外に、友人、知人、家族、親戚が見ている。
これはなかなか緊張することである。
言葉に責任を持たなければいけなくなる。
昨日の日記を読んだ母は心配したらしく「大丈夫?」という電話が来た。
もちろん、大丈夫である。
このような精神的な大波は、普通の状態なのだ。
たとえ一日中頭を抱えていても大丈夫。
これはかつてない絶体絶命の状態なのではないかと想いながら、自分の人生に厳しく向き合うチャンスだと言い聞かせる。裸の心を直視できるチャンスはそうはない。だから”大丈夫”なのだ。
僕はナイフエッジの稜線をバランスをとりながら登攀しているのであり、フリーソロを志向しているのであり、荷物は限りなく減らそうと努めているのであり、際どいムーブも現れるし、天候も安定しない。ビバークの連続である。食料も限られている。もしかしたら凍傷にかかるかもしれない。しかし、登攀を続ける意志は根底で揺るぎないのであり、例えどれだけ悪天候で、どれだけ酸素が薄くとも、視界ゼロだとしても、大丈夫なのである。稜線上で、命が燃えている限り、大丈夫なのである。
むしろ、責任のない言葉を言いだした時こそ「大丈夫?」と問いただされたい。
顔のない、無難な言葉を発しだした時こそ、本当の危機が始まっている。
投稿者 tsuyoshi : 02:28 | トラックバック
2004年12月17日
フォトショップ・カウンセリング
今現在の僕の状態は、「ニート」という烙印を押されるものなのだろうな。「引きこもり」と言えば言えるけど言葉の響きとしては「隠遁者」と言われる方が虚栄心が刺激される。
年末の、師が走るほど忙しいのであろうこの時期にこのようなことを書くと罵倒されそうな気がするが、僕は一日中実質的には何もしていない。眠っている時間が長く、眠りは浅い。起きているときはパソコンに向かい何事かしているか、本をつらつら読んでいるか、考え事をしている。それでもお腹は減るので何日かに一度買い物へ行き、料理をしている。生産的な行動といえば料理ぐらいだ。あとは散歩をしたり、近くの本屋へ行き何時間も立ち読みしたり、カフェで読書をしたりしているぐらいだ。ごくたまに友人から電話があり話したり、食べたりもする。一週間に一人か二人といったところである。
ほとんど何もしていないに等しいのだが、不思議と退屈ではない。というより、ある意味ではものすごく忙しい。ふとした心の隙間を突かれ急に狂おしくなったり、本やネット上やメールのあらゆる言葉に過剰に反応したりしている。何かの拍子にある本で読んだある言葉が思い浮かび、力が湧いてきたと思った次の瞬間に、また正反対の言葉が思い浮かび、同じ力で逆に引っ張るので、身動きが取れない。アイデアが浮かび、これは?!と思い凝視すると途端に張り子になったりする。
こういう自分の今の状態を客観視すると悪夢としか言いようがない。実際あまりいい夢を見ていない。後味の悪い夢ばかりである。穴を掘ってはまた埋めるという無為な作業でもいいから、太陽の下で具体的な命令される労働があればいいと夢想したりする。とても忙しいのと時間が有り余るのと、どちらが苦しいのだろうか?今は思考の奴隷のような状態である。案ずるより産むが易しと言うが、つまり案ずるほうが難しいということか。なぜ命が体内で発生するかそのメカニズムを案じたり、進化の歴史を案じたり、あるいは赤ちゃんが生まれる前に生活費のシュミレーションをするのは、やはり難しい。もしかして文系大学院生の日常に近いのではないかと思い、そうなると僕も何か有意義な独学をしている気もしてくる。僕のしている事はつまり、資本主義社会への声低いアンチテーゼ、野蛮な文明から野生の思考への優雅な移行作業。経済的にはまったく無意味な存在だが、暴風域の脳内は感動的な耐風姿勢をとっている。
とはいえ、最小限の自衛手段も講じている。最近Photoshopの勉強を始めたのだ。Photoshopとは画像編集アプリケーションである。『フォトショップcs教室』という本を買い、レッスン1から順に勉強している。もうレッスン7までいった。時折あやしく物狂おしくなったときなど、あわててフォトショップ、フォトショップとつぶやき、テキストを開き避難するのである。テキストを開き、指示されるままに赤子のようにまねて、画像編集のやり方を学び、なんとかやり過ごすという方法は意外と有効であった。とにかくレッスンを一つ終えると、何かしら向上があり、それがささやかながら重大な支えとなる。「ファイルブラウザの使い方」「写真修正の基本」「選択範囲の操作」などというものを覚えることが精神衛生上は好ましいのである。「レイヤーの基礎」「マスクとチャンネル」「レタッチと修正」と覚え、確かに自分は向上している、全く無為という訳ではないと、例えそれがワラであっても必死に掴んでいるのである。これから先のレッスンの見出しを見ると、「ベクトルマスク、パス、シェイプ」だとか「2色印刷用の画像の編集」だとか書いてある。本当に自分に必要なスキルなのかと考える前に、学んでしまおうと思っている。まさに案ずるより産むが易しである。これはphotoshopのレッスンというより、カウンセリングなのだと言い聞かせているのである。カウンセリングが必要な状態なのだと言い聞かせているのである。もちろんそのうち写真を多用したおしゃれなホームページにしたいという願望があり、フォトショップは一通り使えるよと言いたいのでもあるが、フォトショップであらねばならぬという必然はない。ロシア語の勉強でもよかった。web制作ツールであるDreamweaverのお勉強でもよかった。コツコツと、思考が衝突しないような、向上が眼に見えるようなお勉強ならなんでもいいのである。
さて、今日は「ペイントと編集」のお勉強だ。
最近寝すぎなのか座り過ぎなのか、腰が痛い。
投稿者 tsuyoshi : 00:51 | トラックバック
2004年12月01日
その日を摘め
題を「その日を摘め」として、新しくブログを始めます。
題は古代ローマの詩人ホラーティウスの言葉を借りました。
ラテン語では「カルペ・ディエム(Carpe diem)」というそうです。
「その日を摘め」「一日の花を摘め」といった意味だそうです。
大切な事は、今日一日の花を摘みとること。そんな想いを込めています。
未来を思い煩い、不安に押し潰されそうになる前に、その日を摘む。
そしてできるなら、摘んだ花を持ち、語る。
そんな日記・エッセイを綴っていきたいです。
よろしくお願いします。
