2−2クーデター
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ナイロビから飛行機でエチオピアに飛び、エチオピアを一カ月旅する。そしてエチオピアから西アフリカのコートジボワールへ飛ぶ。 コートジボワールの首都アビジャンは、高層ビルが林立するプラトー地区と下町のトレッシビル地区とに、ラグーンを隔てて二分されていた。ラグーンには大き な橋が二つ架かっており、大使館や銀行などはプラトー地区にあった。 僕が泊まっているキャンプ場は町の中心から十七キロ離れた海岸沿いにあり、そこからプラトー地区へ行くには、まず乗合いタクシーに乗りトレッシビル地区 ヘ行き、バスかタクシーに乗り換えて橋を渡らなくてはならなかった。トレッシビル地区からプラトー地区へは歩いても行ける距離だが、アビジャンの治安は決 して良くはなく、特に橋周辺は危ないということなので、僕も橋を渡るときは乗り物を使っていた。 このときもそうだった。事が起こってから初めて、あれが前兆だったのだと気づかされた。 十二月二十一日 郵便局で日本からの小包を受け取る。あとはガーナビザを取って出発するだけになった。 十二月二十二日 ガーナビザを申請する。本来なら二日後受け取りなのだが、「手数料」を払ったら翌日受け取りになった。午後、街を歩いていると、妙に騒然としている一画が あった。人々が口にハンカチをあてて歩いている。男が数人高級車に詰め寄っており、中の人物は窓を閉じて無視している。場の空気が張りつめている。とにか く巻き込まれないほうがいいと判断し、すぐにその場を離れた。少し離れると人々はなにごともなく歩いていた。いつもならすぐに来るプラトー地区からトレッ シビル地区行きのバスがいくら待っても来ないので、諦めてタクシーを探したが捕まえるのに時間がかかった。 十二月二十三日 ガーナビザを取得した。もうあとは出発するだけになったが、この日、迷った末にマリのビザを申請した。この先のガーナやブルキナファソでもマリのビザは取 れるはずだが、大使館の位置が分からなかったり、トランジットビザしか発行してくれないという話を他の旅行者から聞いていた。確実に取れるところで取って おこうと思ったのだ。マリ大使館へ行くと、今日中に申請すれば明日の午前十時には取得できると言う。それなら申請して、明日受け取り、午後から走り出せば いいと思い、パスポートをマリ大使館に預けた。次の日、何が起こるかなんてつゆ知らず。 昨日と同じく、プラトー地区からトレッシビル地区へ行くバスは来ない。バス停で待っていると数十人の集団が奇声をあげていたりして、不穏な空気が流れてい る。バスを諦めタクシーを探したが、いくら探しても満車ばかりで捕まらない。このままでは暗くなってしまうと思い、ラグーンに架かる橋を歩いて渡った。こ の橋はガイドブックに強盗多発地帯につき注意と書かれているのだが、それしか方法が無い。僕と同じように、バスやタクシーに乗ることを諦めた人たちが大勢 橋を歩いていた。トレッシビル地区を歩いているとき、兵士が数人道路を封鎖している光景を見た。一体何なのかまったく分からなかった。そしてこの日の夜、 アビジャンの町に激震が走った。独立以来初めてのクーデターが起こったのだ。 十二月二十四日 僕は何も知らなかった。マリ大使館に預けたパスポートを受け取るべく、乗合いタクシーに乗り込んだ。走り出してすぐに、何かおかしいなと思った。いつもよ り車が少ない。道の両側にやけにたくさんの人がいる。町の中心に近づくにつれて、いよいよおかしいと感じた。いつのまにか道の両側が群衆でびっしり埋め尽 くされている。道は片側四車線、計八車線の道路で、普段なら車で埋まっているのだが、今日はほとんど車がない。道の両側を埋め尽くしている群衆は、場所に よっては大きく車道にはみ出し、見るからに興奮している。所々に兵士がいて銃声が聞こえる。これはおかしい。何かおかしいどころではなく、明らかに、絶対 おかしい。このときになって初めて、何かが起こったのだと思った。 中心に近づくにつれて、町は異様な興奮に包まれていった。走っている車はもはや僕たちが乗っている乗合いタクシーと兵士たちが乗っているタクシーだけに なっている。いたるところに兵士が立っていて、空へ向けて発砲している。乗合いタクシーの運転手も戸惑っている。 ある街角で、道端の兵士が乗合いタクシーに停まるよう合図した。停まると人だかりに取り囲まれた。兵士が運転手に何か言っている。運転手は必死に何か答 えている。僕はまったく生きた心地がしなかった。黒人たちの乗客の中にあって、僕はとりわけ目立つ。中に外国人がいると分かったら何を言われるか分かった もんじゃない。車の中で小さく小さくなった。 群集の中の一人がホースを持ってきて、車のガソリンタンクに入れ、ガソリンを盗もうとしている。興奮している群衆は兵士に銃を撃ってくれとねだり、目の前 で空に向かって銃が撃たれた。激しい衝撃が伝わり、心臓が凍るような思いがした。頼む、こんなところで停まってないでくれ。早く走り出してくれ。こんなと ころで外に出されたら絶対にやばい。 そうこうするうちにやっと走り出した。街の中心へと向かった。道路がほとんど人で埋まっているところに突っ込んでいき、クラクションを鳴らして強引に切り 抜ける。興奮した群衆に窓をバンバンと叩かれ、大声で叫ばれる。そうしてトレッシビル地区の乗合いタクシー乗り場へ着いた。外へ出る。 僕はとにかく何が起こっているのか分からないので、英語を話す人を見つけ、何が起こっているのか尋ねた。しかし「軍が何かを起こした」というだけで要領を 得ない。だが、どう考えてもここからプラトー地区へ行き、マリ大使館へ行っている場合ではない。 近くを兵士が数人タクシーの窓から体をのり出して、続けざまに空へ向けて発砲し、通り過ぎて行った。遠くから近くから銃声が絶えない。興奮した民衆は数十 人ずつ集団となって叫びながら走っている。 見るからに町は大混乱に陥っていた。無法地帯になっていた。そして外国人の僕は目立つ。絶対に興奮した群集に取り囲まれて、身ぐるみはがされてしまう。何 が起こっているか確認するために公衆電話から日本大使館に電話するがつながらない。早く引き返そう。早くこの場から逃げなくては。 乗合いタクシー乗り場へ戻る。乗合いタクシーだけは動いていた。しかし台数が少なく、キャンプ場を越えてずっと先のグランバッサムという町への直行しかな かった。悔しいがこんな場面でけちってられない。いつもの倍払って乗った。乗合いタクシーはいつも通る大通りを通らず、兵士を避けて裏通りを行った。大き く迂回してからまた大通りに合流したところで交通事故があったらしく、車が横転していた。その横を通り過ぎるとき、突然すぐ近くで鼓膜をつんざくような連 射音が聞こえた。反射的に乗客全員が一斉に伏せる。頭を抱え込む。必死だった。青ざめた。これは映画ではないのだ。そして銃は本物なのだ。当たったら死ぬ のだ。 無事キャンプ場に辿り着いた。キャンプ場はしっかりとした門があり、また町から離れているから、一応は安心だ。 キャンプ場の主人に何が起こったか、詳しく聞いた。彼がラジオで聞いた話によると、昨晩軍はクーデターを起こし、大統領を追放したらしい。大統領はフラン ス大使館へ逃げたらしい。でも大統領はそこからラジオで自分はまだ大統領だと主張しているらしい。でも軍は新政府を立て、クーデターは一応成功したらし い。すべて「らしい」でしかない。しかしラジオが言うことをまとめると、とにかくそうなるのだと言う。 僕は、自分の持っている短波ラジオで、外国のラジオ局からの情報を拾おうとチャンネルを変え続けた。しかし、何時間がんばってもまるで拾えず、何も分か らなかった。やっと拾えたNHKの国際放送は、ひどい雑音の合間に、東京のどこかの幼稚園児に雪を体験させてあげるために、北海道のどこかから何トンもの 雪を運びプレゼントしたと放送していた。雑音まじりのそのニュースを聞いて、なんだか妙に感慨深くなり、ああ僕はいまとても遠い所にいるのだと痛感した。 昨日、マリのビザを申請しなければよかったとつくづく思った。こういう事態になって、パスポートが手元にないのはいかにも心細い。 とにかく、出発できないことになった。最悪のタイミングでクーデターが起こってしまった。予定では今日、ここを出るはずだったのに…。とんだクリスマスイ ブになった。 十二月二十五日 やることがないので一日中キャンプ場のビーチで寝ていた。時折遠くで銃声が聞こえたりするが、キャンプ場内は平和だった。「クーデターが起こっているの に、ビーチで寝ている」と思うと、なかなかいいなと思えた。 十二月二十六日 やることがないので洗濯をした。「クーデターが起こっているのに、洗濯している」と思うと、悪くないなと思えた。かっこいいとさえ思えた。 キャンプ場の主人がラジオから得た情報によると、大統領はヘリでトーゴへ逃げる(た?)らしい。そして明日から町は正常になるらしい。「らしい」情報でし かないが、ともかく良かった。大統領が逃げなくて抵抗でもしたら、長期化して、内戦などにもなりかねないから。 十二月二十七日 緊張しながらもパスポートを回収するべく乗合いタクシーに乗り町の中心へ向かう。町は荒れ放題に荒れていた。すべての電気屋のシャッターがこじ開けられ、 ショーウィンドウのガラスが割られ、中は見事になにもなかった。通りには一面に電化製品が入っていたのであろうダンボールと発砲スチロールが散乱してい た。店の主人が店の前で頭を抱えていた。爆発的な欲望がここで炸裂したことがありありと見て取れる。狂喜してテレビやラジオを奪っていった集団がまざまざ と目に浮かぶ。混乱に乗じて理性が完全に切れ、日頃の不満が爆発し、なりふり構わずえさを争う野獣たちのように電化製品を奪っていったのだろう。ダンボー ルと発砲スチロールが散乱するさまが、ぞっとするほど寒々しい。 パスポートはちゃんとあった。受け取り、キャンプ場に戻り、すぐに出発した。 アビジャンから三日間走りガーナに入国すると、そこは平和そのものだった。もう銃声も聞こえない。もう人々は穏やかな表情をしている。本当にありがたいこ とだった。 それにしてもまさか自分がクーデターに巻き込まれるとは。あとになってみればいい経験だったと言えるが、銃声に身を伏せながら僕は、いい経験だと喜ぶ余 裕などまったくなかった。混乱の現場にとどまりそれを直視するだけの度胸もなかった。何も見ないですぐに現場を離れ、乗合いタクシーの中で青ざめながら、 ただ怯えるだけだった。何も分からないまま理不尽な暴力に晒され、冗談じゃないと思いながら逃げていた。そしてガーナに入国し、直接的な身の危険が去った ときには安堵し、ありがたいことだと思ったが、数日経ったらもう慣れていた。 |
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