2−7砂丘とオアシスの井戸 |
水平な砂礫地帯は終った。アタールに着きしばし休んだあと、さらにサハラの奥へと八十キロほど食い込んでいる未舗装路を辿り、シンゲッティに着いた。 シンゲッティは、砂漠の只中にあるオアシスの村だった。所々に井戸があり、その周りにはナツメヤシの木が生い茂っていたが、井戸を少し離れると緑はなかっ た。 宿の主人に明日から何日間かサハラ砂漠を歩きたいと言うと、ラクダ使いのおじさんとラクダを一頭手配してくれた。自転車や不要な荷物は宿に預けた。そう して僕は三日間ラクダ使いのモハメッドさんとラクダとでサハラ砂漠を歩いたのだった。 朝八時に村を出た。村を出て、裏側に廻り少し歩くと、砂丘が見渡す限り連なっていた。砂丘が、うねり、重なり、どこまでも続いていた。 その砂丘の連なりを縫うように、僕とモハメッドさんは歩いた。ラクダに荷物を載せ、モハメッドさんがラクダを引いて歩いた。僕はモハメッドさんを見失わ ないようにしつつ、砂丘に駆け上がり、駆け下り、また別の砂丘に駆け上がり、とてつもなく広大な砂丘の連なりに驚きを隠せなかった。砂を掴み、放して、し げしげと一粒一粒を見つめた。 どこを見ても曲線だった。じっと顔を近づけると、繊細な砂紋があった。少し顔を起こすと砂丘があった。その砂丘が何百、何千と連なり、砂丘群があたかも 山脈を形成するかのようにうねっていた。これほどのものだとは予想していなかった。感嘆の言葉をつぶやきつつ、砂丘の織りなす曲線の中へ進んでいった。 風が砂丘に沿って吹き抜ける。砂が細かく舞い、砂紋が揺れているように見える。砂紋もまた、どの砂丘のどの部分にもあった。覗き込んで見てみると、この地 平まで続いている砂丘群の凄まじい広がりの中にあって、一切手抜きなしに、繊細に、壊れやすく、愛おしいまでに美しい。 砂紋も砂丘も、そのどれもが二度とない形をしていた。一回きりの即興芸術だった。風が作った、途方もなく巨大な彫刻作品だった。近景も中間距離も遠景も、 完璧だった。容赦がなかった。僕は興奮しつつ、砂丘の周りを駆け回りつつ、途方に暮れてしまった。砂の一粒一粒が集まって一つの砂丘ができていた。一つの 砂丘がいくつも重なり合い、巨大なうねりを作り出していた。そのうねりの上に立つと、遥か彼方まで凄まじい質量を感じさせ、なめらかに、なまめかしく、ど こまでも続き、目眩がした。 砂紋を踏みつけ、奥へ奥へと進んでいく。美しいものを踏みつけ進んでいくのには、奇妙な高揚と快感があった。 村を出て砂丘群を通過し、正午にオアシスに着く。昼食を作り、木陰で昼寝をする。井戸から水を汲んで大きなボトルに詰め、四時過ぎにオアシスを出る。二時 間ほど歩き、夕方砂漠の真ん中で野宿することになる。焚き火を起こし、夕食を作る。毛布を敷き、その上が今晩の寝場所となった。 二日目もまた一日中砂丘群の中を歩く。そしてまた興奮する。 このような経験は初めてだった。風景は初見がすべてだと思っていた。興奮は一回きりだと思っていた。しかし、砂丘の興奮は持続した。持続し、さらに発見 され、成長した。 砂丘が何千と集まって形成された上り坂を登り切り、峠から見下ろす。そして昨日と同じく途方に暮れる。なんという、なんという砂丘群だろう。なんという 曲線、なんという連なり、なんという愛おしさだろう。 美しさに、苦しくなるほど見とれていた。そのやわらかさと、なめらかさと、すべてを包み込むような深さは、女性の体のようだった。じっと見つめている と、どこまでも続く砂丘のその一つ一つが、胸の膨らみや、うなじの曲線のようにも見えてきた。二の腕のゆるやか曲線もあった。腰のくびれのような曲線を見 つけた。美しいと思い、魅惑され、夢中になり、吐き気を催した。砂丘に酔ってしまった。それでも覆い被さるような砂丘群に囲まれ、いちいち興奮させられ た。曲線の一つ一つが心を掴んでいった。ふと、圧倒的な悪夢の中にいるのではないかという思いがよぎったが、すぐに忘れてまた興奮した。 峠を降り、平坦な道を歩く。 砂丘の向こうから、男とラクダが十数頭歩いてきた。男はラクダを放牧していた。砂漠の真っ只中にあってもどういうわけか草はいくらかあった。それらをラク ダに食べさせながら歩かせていた。男はモハメッドさんと知り合いらしく、立ち話をしてからまたどこかへ行ってしまった。 さらに歩いていると女ばかりの集団がロバやラクダを放牧していた。彼女たちもモハメッドさんの知り合いらしかった。身振りでこれをあげると言ってきたので 受け取って見てみると、小さな水晶だった。薬を欲しがったので持っていたものをいくつかあげた。 夜はまた、砂漠の真ん中に毛布を敷いて野宿となる。今晩の食事はモハメッドさんがパンを焼いてくれた。小麦粉をこね、イースト菌を入れて寝かせ、砂を掘っ て即席のかまどを作り、炭火をおこして焼いた。 モハメッドさんは寡黙なおじさんだった。アラビア語が母語なのだが、少しだけフランス語も話せた。僕もどうにか片言のフランス語を使い、とぎれとぎれ会話 をした。寡黙でとても気のいいおじさんだった。いつもにこにこしていて、黙々と歩き、黙々と火をおこし、黙々と食事の準備をしてくれた。 夕食を終え、焚き火を眺めながらお茶を飲んでいるときだった。わずかだが夕日の名残があり、地平線付近だけまだ赤みが残っていた。空には星がいくつか輝 き、焚き火に照らされモハメッドさんの影が揺れていた。 モハメッドさんが砂丘を指差し 「ボクーボクー、デサーブル、ボクーボクー(砂、たくさんたくさん)」 と言った。僕はお茶を飲んでうなずいた。 モハメッドさんは水を入れたボトルを指差して 「デロウ、シュイシュイ(水、少し少し)」 と言って笑った。僕もうなずいて少し笑った。 ボクーボクー、デサーブル… デロウ、シュイシュイ… 三日目の昼に、小さなオアシスに辿り着く。砂の色ばかり見てきた目には、オアシスの緑が映える。緑色がこんなに美しく思えたのは初めてだった。乾燥した砂 漠の中で、それでも井戸を掘れば水が出るということが不思議でならなかった。この広大無辺の砂漠のなかで、奇跡のようにあるナツメヤシの木々の緑を見て、 その下に隠されている水を思い、不思議な高揚感を抱いた。 この小さなオアシスはナツメヤシ畑だった。砂漠地方ではナツメヤシの実、デーツは重要なカロリー源なのだ。井戸から汲み上げられた水が、土を盛って作ら れた水路を伝い、数十本のナツメヤシに行き渡るようになっていた。オアシスにはまたもやモハメッドさんの友人のおじさんがいた。このオアシスはおじさんの 畑らしい。 砂漠地方は極度に乾燥しているため、陽射しは痛いほど強い。しかし木陰に入ってしまえば快適だ。オアシスの一角の木陰にはゴザが敷かれており、昼寝した りお茶を飲んだりするスペースになっていた。僕たちはナツメヤシの木々の陰に入りお茶を飲み休憩した。 おじさんは僕たちを歓迎してくれ、デーツをどっさりプレゼントしてくれた。おじさんの仕事は一日に数回ポンプで水を汲み上げて、あとは雑草を抜いたり、水 路を手入れすることのようだった。おじさんがポンプを始動させると、水が勢い良く汲み上げられてきた。この砂漠の下のどこにこれほどの水があるのだと驚く ばかりだ。水は木漏れ日の中を輝きながら流れていった。次々と溢れるように汲み上げられ、流れる水は、どんな宝石よりも透き通っていた。水がこんなに美し いものだとは知らなかった。手に触れてみるととても冷たい。この水が水路を伝い、ナツメヤシを育て、地面に吸い込まれ、地下を流れ、また井戸水になる様を 想った。 天国のようなオアシスでゆっくりお茶を飲み、ナツメヤシの木陰でまどろんだ。時折風が吹き抜けた。なんと平和で、なんと安心できる場所なのだろう。 サハラ砂漠の片隅のオアシスで、昼寝のまどろみの中で、世界の中の忘れられた辺境にいるはずなのだが、ふと、「ここは片隅か?」という思いが浮かんだ。そ してすぐに否定した。ここが“片隅”であるはずがない。 この乾いた砂漠にあって、井戸は神聖ですらあった。水晶のように透き通った水が汲み上がるオアシスの木陰で、半覚半睡のまどろみの中で、先ほどの砂丘の 曲線群を思い出し、僕はそのときそのオアシスに、確かに“中心”を感じていた。頭の中が瞬間的に逆転するのを感じていた。 |
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