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カラコルムハイウェイ


  インダス川がえぐった深い谷へと入っていく。断崖をくり貫いて道が作られている。遥か下方にインダスの濁った流れが見える。厳しい上り下りが続く。ゆっく り、じりじりと距離を稼ぐ。急ぐことはなにもない。山脈の奥へ奥へと駒を進める。徐々に標高が高くなっていく。

 ラワールピンディーから再び一人になり、カラコルムハイウェイを北上していた。パキスタンから中国へ、ヒマラヤを越える道を走っていた。この道を通り中 国へ、そしてチベットへ、旅はいよいよハイライトへと向かっていた。足元には、ポルトガルのロカ岬から一切途切れることなく続いている一本の線があった。

 僕はトルコの吹雪の道を走っているころから、まだ線は切れていないのだと意識しだした。そしていつしか、ユーラシア大陸は自転車で完全に横断してやろう と思い決めていた。そう思うことで長い上り坂にも耐えていた。いまだ途切れることなく続いているという喜びを強く感じながら、ヒマラヤの奥へとゆっくり線 を延ばしていた。

  ラワールピンディーから二週間あまり走り、カリマバードに着いた。ウルタル、ラカポシ、ディランなどの七千メートル峰が眼前にある村だ。これから怒涛の日 々が始まる。旅の核心部が始まる。そう思いながら高峰を眺め休養した。

  カリマバードを出たら一気に山が近づいてきた。道はいよいよ切り立った崖っぷちをえぐり、眼下に細く一本の川が流れている。時折あらわれる山間の村では、 村人が畑仕事の手を休め僕に手を振ってくれる。みな笑顔だ。シャングリラ、桃源郷、そんな言葉が大げさに思えない。めくるめく絶景の山道を走りながら幸福 感が込み上げてきた。

  そうして、パキスタン側のイミグレーションがあるスストに辿り着いた。
  夕方、宿の前のテーブルで本を読んでいると、一人の髭だらけの日本人に会い、どちらからともなく話し始めた。一見して長期旅行者と分かる風体の苦手なタイ プの人だった。彼が、どこから走ってきたの? と聞くので、ケープタウンからスタートして、モロッコからスペインへ渡って…と答えた。
  「全部走ったの?」
  彼が尋ねてきた。いえ、アフリカの中央部は飛行機で飛びましたと言うと、
  「なんだ、それならたいしたことないや」
  そう言って自分の旅の自慢話を始めた。カチンときたが堪えて、アフリカは何処を旅したんですかと聞くとエジプトを旅したと言った。エジプトにも行きたかっ たけど夏のチベットに合わせるために行けなかったと言うと彼は、
  「え、エジプト行ってないの? じゃあ一体アフリカの何を見たの?」
  と言った。僕のアフリカの旅を全否定するようなことを言った。なんて失礼なことを言うやつだろう。いったい何様のつもりだ。頭に来たので、途中で話を打ち 切って席を立った。

  こんな腹の立つ発言はさっさと忘れるにこしたことはないのだが、どうしても頭に来て仕方がなかった。彼にすごいなどと言ってほしいわけではないが、全力で 旅していたあの日々に対して、全部は走っていないというだけで、たった一言「それならたいしたことないや」などと言われ、アフリカのその時々の苦労が急に 思い出され、不覚にも猛烈に腹を立ててしまった。誰にも見られず、ただ黙々と自転車を漕いでいた自分が不憫に思えてならなくなった。他人が自分のことをど う思うかについて過敏になりすぎていた。


  スストを出て、本格的に上り坂が始まった。二日間かけて厳しい上り坂を走り、昼過ぎにとうとうフンジュラーブ峠に辿り着いた。標高四千七百三十メートル、 カラコルムハイウェイの最高所、パキスタンと中国の国境だ。

 空気は薄く、峠の空は蒼空だった。僕は嬉しくて仕方なかった。スストでの腹の立つできごとなどすっかり忘れていた。空がこれほど深い青になるとは知らな かった。

 しかし、旅をする日常において、次の瞬間に何が起こるのかはいつもいつも計り知れない。しあわせな気持ちで、よし、次は中国だと走り出したときに事は起 こった。峠を数百メートル下った所に中国の公安のチェックポストがあった。そこで止められて、ここから百二十キロ先のイミグレーションがあるタシュクルガ ンまでは自転車で走ってはいけないと言われたのだ。バスに乗れと言うのだ。

 そんな話、まったく聞いていなかった。一カ月前に友人が同じくこの道を走り、何の問題もなかったとメールで知らせてきたので当然走れるものと思ってい た。初めは暗に賄賂を要求しているのだと思った。しかし、公安の役人は交渉というものを受け入れる表情をしていない。中国語が分からないので、ちょうど同 じくチェックポストに停まっているバスの運転手に通訳になってもらったが、相手はまったく取り合わない。たまたま居合わせたオランダ人の旅行者も加勢して くれたが埒があかない。

  そんなはずはない、一カ月前に友人が自転車で走っていると言っても、「法律が変わった」と言うのみだった。上司らしき人物に訴えたが、首を振るのみだ。バ スの運転手が伝えてくれるには、昨日も六時間粘った自転車旅行者が三人いたが、結局はバスに乗ったという。段々事の重大さが分かり始めてきた。

  絶対にこんな所で線が切れるわけにはいかない。大切に、一切途切れることなく引いてきたユーラシア大陸完全横断の線だ。この線を途切れることなく引くため に、どれだけ苦労したと思っているのだ。しかし、目の前の公安はあまりにも無表情で、見下すような目をしている。交渉というものをまったく受け付けない目 だ。線が切れる。そんな最も怖れていた悪夢が正夢になろうとしていた。

  なおも必死で食い下がっていると公安は怒り出した。パスポートを出せと命令してきたが渡すわけにはいかない。渡してしまうとバスに乗らないと返さないと言 うに決まっている。拒み続け、押し問答になり、胸を突き飛ばされた。そしてバスに乗るか、パキスタンに戻るかどちらかだと怒鳴られた。ちょうどそこに停 まっていたバスが今日の最終便で、あれに乗らなければパキスタンに戻れと言われた。バスの運転手もタダにするから乗れと言ってくる。僕の交渉のために大幅 にバスの乗客を待たせてしまっている。バスの乗客の「早くしろ」という無言の視線が痛い。選択肢がない。


  バスに乗るために自転車から荷物を取り外しながら、僕は崩れるように全身の力がなくなった。堪えきれなくなり悔しくて涙が溢れてきた。高度が高いため、一 気に酸欠になり視界が白くなる。体がしびれ呼吸ができない。気を失いかけ、うずくまり辛うじて耐える。荷物を自転車から外した後、フロントバッグだけ抱え てバスに倒れるように乗り込むのがやっとで、荷物と自転車がちゃんと荷台に乗せられたのか確認できなかった。同乗していたドイツ人の旅行者が、心配するな 荷物はちゃんと載ったと知らせてくれたのを憶えている。

  上りだけ走り、下りはバスなんて冗談にもならない。悔しさは波のように次々に覆い被さり涙が止まらなかった。あまりにも悔しくて、握り締めた手が痛かっ た。嗚咽は一時間ぐらい続いていた。一体、今までの、「線をつなげる」ということに費やした時間と労力と情熱はなんだったのか。トルコ東部の猛吹雪の中越 えた峠、イラン、パキスタンの酷暑の中走った道。それに費やした情熱。それを想って涙が止まらない。ナイフ強盗のあと自転車で旅をするのは危険過ぎると思 い、それでも人を信じて旅を続けるのか迷い、やっぱり続けたのだ。あの葛藤はなんだったのか。無数に越えた峠、それに費やした膨大な労力、それが一瞬にし て無に帰したのだと思い、一つ一つの光景が思い浮かび、そのたびごとに手を握り締めた。爪が手のひらに食い込むまで握り締めた。バスからの景色を見ること ができなかった。走らないで景色だけ見るということが悔しくてたまらなかった。うつむいたまま長い下り坂を感じ、本来ならここを自転車で…と思うとまた涙 が込み上げてきた。


  タシュクルガンからまた自転車を漕ぎ出したのだけれど、しばらくは立ち直れなかった。胃が締め付けるように痛く、吐き気がした。線が切れてしまったことで 張りがなく、すさまじい疲労を感じ、もういいと思った。本当に旅はもういいと思った。「線をつなげる」ということがいつしか大きな心の支えになっていたの だから仕方なかった。ユーラシア大陸を完全に横断してやると思っていたのだから仕方がなかった。天気も雨がちだったからなおさらだった。胃が情けないほど 痛く、心が萎えていて、なんて弱いのだろうと思った。この二年数カ月は何だったのだろう。何一つ強くなってなんかいないじゃないか。とにかくあと二百数十 キロ走り、カシュガルに着いたらその後のことを考えよう。旅を続ける自信がない。


  しかし、タシュクルガンを出て数日走っていると、呆れるほど単純に「やはり自転車はいい」と思えてきた。

 道端にキルギス族の民族衣装を着た女の子が立っている。ムスターグアタの緩やかな山容が見える。湿地帯になっている川にヤクや羊が放し飼いにされてい る。そんな光景を見ながら走っていると、ふと、もう一つ自由になれたのではないかと思えてきた。

  線をつなげることを心の支えにしていたのは、そうしてある程度自由を制限しないと旅を続けられないと思っていたからだ。しかし、失って初めて、線をつなげ るということは旅の本質とは関係ないのだと思えた。

  民家に雨宿りさせてもらいパンを買う。レストランでウイグル料理のラグメンを食べる。苦労して峠を上り終えると、目の前が一気に開ける。時折現れる湖が美 しい。それが、自転車で旅をするということだった。

 線が切れても、旅は損なわれてなどいなかった。それどころか、線をつなげるという制限が取り払われることで、旅のより本質的なことに焦点を当てられるよ うになっていた。

 自転車を漕いでいるときの、足にかかる負荷、地面から伝わる振動。ようやく辿り着いた峠に吹き抜ける風の感触。僕にとって旅は、二度とないその過程の細 部に存在していた。そして旅の細部にある、無数のかけがえのない瞬間は、線をつなげるということとは独立していた。

 長居した街を出る時の、胸を締め付けられるような切なさ、新しい街に着いたときの緊張と期待。夕方、ふと振り返ったときの、毒々しいまでの空の美しさ。 他者に示すことで意味を持つ記録的なものよりも、個人的な、旅のかけがえのない瞬間に宿る質感のほうがより本質的なものに思えた。

 人からすごいと言われないだけだ。完全横断したと言えないだけだ。それでいったい僕は何を失ったというのだ。なぜあれほど固執していたのだろう。よく人 前であれだけ泣けたものだ。これからは線をつなげることに囚われず、自由に線が引ける。

  いくつかの峠を越え、カラコルムハイウェイの終点カシュガルに着いた。もう僕は元気になっていた。ロカ岬からの線は切れたが、旅は何一つ薄まってなどいな かった。カシュガルから先には、チベットへと続く遥かな道のりがあるのみだった。


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