19立ち枯れの木に水をやる |
月日 やっとバマコに着いた。暑くて頭がクラクラした。第一印象は最悪だ。町はゴチャゴチャで何度も道に迷った。宿が全然なくて、うっとおしい奴に付きまとわれた。むかついた。もう出たくなっている。 月日 洗濯をして、自転車のチェーンを洗って、油をさして、スポークが一本折れていたので替えた。メールをチェックしたら何通か来てた。安田さんはイスラエルにいる。四月にはロンドンらしい。かおりさんはまだナイロビ。なんとナイロビで就職したそうで、一年は働く予定だという。驚きだ。笹川さんはこれから社会人。旅はしばらくできないと嘆いていた。さなだ君は元気そうだ。いつも心にお笑いをって、その通りだよな。母はなんとモロッコを旅行中らしい。驚いた。 なんか、みんな生きてんだな。元気なんだな。嬉しくなった。僕だけか? 元気がないのは。バマコは居心地が悪くて休まらない。早く出たい。でも、どうしよう。どうやって出よう。列車でか、自転車でか。 もう、これ以上、マリを自転車で旅したくない。こんなに元気がなくて、疲れていて、だめだ。漕げない。だったら、ダカールまで列車に乗るか?ずいぶん頑張ったんだ。負けてもいいんじゃないか? どうしよう。心はあっちこっちに揺れていて、どこにも収まらない。どうやって決めればいいんだろう。方向を見失っている。楽しいほうはどっちだろう。旅が苦行であるわけがない。混乱した頭で、一体何を決められると言うのか。アフリカに長く居すぎたか?打ちのめされているのか?それともここが勝負どころなのか? もう少し休んだら、もう少し休んだら、元気になれる。そんな疲れだったらいいのに。 なんという疲れだろう。笑いも喜びも吸い込んで、いつの間にかこんなに大きく育っていた。 今日町を歩いていて、マーケーットの喧燥の真っ只中で、自分の心がもう枯れ木になっていると感じた。乾いていて、細くて、堅い、枯れ木だった。葉もなく、とうに死んでいるが、ただ根だけが土の中にあるから立っているだけの枯れ木。そういうイメージが浮かんできた。心の中のどこをどう探しても、もうどこにもあの光はない。目に光が宿らない。笑えない。驚けない。喜べない。むかつくだけだ。 絶対に消えないと思っていた。情熱は無限だと思っていた。でも、いつしか手で消えないように守りだしていた。もう一年になるんだもんな。何か、一瞬の輝きを感知できなくなっている。守ってるよ。旅が守りになっている。愚直に。もう寝よう。 月日 今日、駅に行ったら、明日八時にチケットを売り出して、あさっての朝、列車が出るのだという。そして、僕はもう、この列車に乗るしかない。ダカールまで、どうしても、走れない。走りたくない。こう書いていても心は揺れる。「走れるよ、走らないだけだよ」って。でも二日間と20、30日間の差は大きすぎる。 もちろん、列車が楽なだけではないことは分かってる。なにしろあのバマコ−ダカール国際列車なのだから。列車内での泥棒とかスリとか、多いだろう。40時間坐りっぱなしも大変だろう。でもこの先の悪路のほうがはるかにすごいことも分かっている。道なんてものはないらしい。絶対列車に乗れとカナダ人は言ってたよな。車やバイクで旅してる人も列車に乗るという。でも安田さんはバイクでぬけてるし、隊長はチャリでぬけてる。絶対無理という訳ではない。僕が絶好調で情熱が煮えたぎってる状態だったら、ぬけられるかもしれない。でも、あまりにも疲れすぎている。正直、走りたい。挑戦したい。でもこんなにヨレヨレで行ったら、危ないんじゃないか? チャリ旅を辞めるつもりはない。ダカールからはまた走り始める。それは絶対にわかっている。どうしてだろう。アフリカに、特に、マリという国にもう疲れきっているんだね。最貧国なのに観光国だという不幸、それをまざまざと感じて、やりきれなくなったんだな。もう、田舎を走っているときに、物売りの女達に囲まれて、何かちょうだい、何かちょうだいなんて言われたくない。あれは堪らなかった。田舎の村で、道端の物売りの女達にとり囲まれて、必死の形相でねだられて、強盗と紙一重だった。みんな本当に必死だった。ぎりぎりの生活をしているんだろうな。 マリはドゴンもあるし、ジェンネもトゥンブクトゥもある。観光資源があるから、けっこう外国人が来る。だから外国人と見るともう金をとることしか考えられなくて、人が最悪にスレてて、それで疲れさせられたんだ。やりきれなくなったんだ。何度も裏切られてお前もだったのかと失望して、信じた自分が情けなくなって、だんだん心が凍ってしまって、立ち枯れの木になっている。貧しい国を旅することのやりきれなさにだんだん耐えられなくなってる。だから、早くアフリカをぬけるためにも、列車に乗ろうよ。勝ちつづけなきゃなんて、むなしいよ。 雪が見たいな。日本の山で、一人テントの中で聞いていた雪の音。深々と降っていた雪がみたいな。白くなめらかな雪原。冷たくて、暖かくて…。 雪が見たいな。すべてを白く、僕の心も白く消してくれる、そんな雪が見たいな。見たいな。 好きなことってこんなことだったのか、という思い。 好きなことを、とことんやっていこうと決めて、旅に出て、自分の心がいうことを素直に聞いて、そしてここまで来たはずなのに、一体これが「好きなこと」だったのかと立ち止まり、立ち尽くしてしまう。こんなことだったのか?僕が求めていたものは、こんなに疲れて、苦労ばっかりで、やりきれないものだったのか?いったい何をやっているのだろう。本当に何をやっているのだろう。辛いことしかないじゃないか。好きなことをして生きるって、こんなに辛いことなのか? でも、僕は分かってる。「好きなこと」は、楽しいことばかりじゃないことぐらい。むしろ逆だ。苦しいことのほうが多い。チャリ旅は基本的にはしんどいことで、でもどこかに、何か、あるから、そう信じているから、苦しみだけではないから、そう感じるから、好きなことなんだ。やっぱり。 いいや、もう。もう決めた。絶対列車に乗ってやる。もういいや。負けだ。自転車は大好きだけど、もうどうしても耐えられない。もう心がそう言っている。列車に乗りなさいって。明日、7時には起きて、8時前に必ず駅に行こう。 月日 今日、朝しっかりと8時に駅に行ったのに、チケットは売られない。なんでも脱線事故とかで明日の夕方に出発変更だとさ。それでチケットも明日の朝発売になった。 考えてみれば、不思議だよなあ。明日には列車に乗って、グングンとダカールへ向かうんだよね。なんか嬉しいなあ。列車ってやっぱりいいね。でも、ジンバブエの二の舞にならぬよう、荷物だけは気をつけよう。そういえば今日、駅の近くで乞食がしつこく寄って来て、首を振り続けてたら「Fuck you!」と言われた。くそったれ。こういうのなんだ、僕が疲れ切ってしまっているのは、こういう出来事が積み重なったからなんだ。でもいいや、むかつくことは忘れよう。 世界は広いんだ。急ごう。駆け抜けよう。ぶつくさ言っても始まらない。全力疾走の10年間って、もう覚悟は決まっている。20代は場数だ。経験の量だ。22歳って聞いて「Life is not even started.」なんてエチオピアで会ったドイツ人が言ってたよな。まだ始まってさえいないのだ。それなのにもう終ったかのように疲れ果ててどうする。もう駄目だと思ったら、世界地図を広げてみろよ。中央アジア、シベリア、南米、太平洋の島々、アルプス、アンデス、チベット、ヒマラヤ....想像してたら元気になるだろ?20代は動くんだよ。感じるんだよ。打ちのめされたら、死ぬほど疲れたら、心に身を任せ、風に従って、動くのがいい。そうすればまた元気になれる。風は、風は動くから風なんだ。 明日でとうとう一周年を迎えます。僕の旅はまだまだ続くでしょう。でもとりあえずはさ、一年間いろいろあったけど、無事生きてるから、ゴクローサンだな。 月日 朝8時に駅に行って3時間列に並んだあげく、夕方売り出すと言われた。だから一度宿へ帰って午後3時にまた行ったが、今日はチケットを売らない、列車も出ない、と言われた。明日の朝チケットを売り出し、夕方出るのだという。またかよ。一日「アフリカ」を体験して終わった。 夕方、宿の三階の廊下から外を見ていた時、鳥が夕日に向かって飛んでいた。二羽三羽、時には十数羽群れになって、飛んでいた。鳥たちは一体どこに向かっているのだろう。迷いなく、一直線に、日が沈む方向に向かっていた。うらやましいと思った。僕もあの鳥のように、迷いなく、目指す方向に飛べたらいいのにと思った。でも日が沈む方向はダカールの方向なのだと気付いて、少し嬉しくなった。日が完全に沈むまで何時間も見とれていた。 月日 昨日夕方、宿で辻さんという日本人に会った。そして話し始めたらお互い止まらなくなって、延々と徹夜で朝まで10時間近く話した。彼の話は面白かった。彼はどこまでも突っ込んで旅してきた人で、破天荒そのものだった。彼、ラクダを買って、二週間文明からかけ離れたような田舎をラクダで旅したんだって。それでたどりついた村でラクダをまた売ったんだって。天国のような日々だったって言ってた。いいなあ。僕もラクダに揺られて旅したいなあ。でも彼がやったのだから不可能じゃないんだな。彼も言ってた。「はじめは俺も『サハラに死す』の上温湯さんじゃないんだから、ラクダで旅するなんてそんなだいそれたことできないんじゃないかと思ってたけど、やってみたら、できた」って。そして、こんなことも言ってた。「やった後だから言えるけど、あれは別に特別な何かが必要なわけではなく、本当にやろうと思えば誰にでもできる」って。 そうなんだよな。それはまったくそうなんだよな。僕の自転車旅だって、よくそんなことができるなと言われるけど、本当にやろうと思えば、まったく誰にでもできることだ。 僕もいつか動物を使った旅をしてみたい。サハラをラクダでっていうのもいいけど、シベリアやアラスカ、カナダを犬ぞり、トナカイぞりっていうのも面白そう。馬やロバでアンデスやチベットを旅するのもすてきだ。あと動物じゃないけど大河を丸木舟で下るのもいい。アマゾンも面白そうだけどやっぱりザイール川かなあ。 やりたいこと、いっぱいあるじゃないか。世界は広いぞ。 朝、握手して辻さんと別れた。一周年目の日に彼と話せたことはよい事だった。元気になれたようだ。彼はこれからナイロビに飛ぶのだという。そこで彼曰く、"マリア様のような"超かわいい彼女と待ち合わせなのだという。うー、うらやましすぎる。 彼と別れてからすぐ、モーリタニア大使館へ行って、ビザ申請をした。ダカールでとる予定だったけど、辻さんが120ドルに値上がりしていると言うので急だけどここで取る。20ドルだった。そのあと駅へ行き、チケットを買う。自転車を預ける。 この時自転車と荷物を貨物車に入れる代金7000CFA(セーファーフラン、約1000円)払ったが、これはどうやらボラれた。 今まで何度も駅に足を運んで顔見知りになっていた自称駅のインフォで働いているアミンという男が、チケットを列に並ばないで窓側のいい席を取ってくれ、手数料も要求してこなかったので、彼をある程度信用して、自転車をコンテナへ預けたのだが、はじめ11000CFAだという。ダカールまでの二等の料金が24255CFAだったのでやや高いと思っていたら、アミンが安くしてやると言って、8000CFAまで落ちた。払う段になって、それでも高いと思い、財布に7000CFAしかないふりをしたらしぶしぶOKして受け取った。それで預り証の紙をもらったのだが、右下に小さく「620」と書いてあった。この数字はなんなのだと聞くと、アミンだけでなく、周りにいた男も騒ぎ出して、大声を出しはじめて、怒り出す人もいて、訳が分からない説明をしはじめた。それで、ああこれが正規の値段なんだなと分かった。ここで、ボラれた分を主張して取り返すこともあるいは可能だったかもしれない。僕が絶好調だったらけんか腰で交渉していたかもしれない。でも僕は何も言わないで引き下がった。 一つには値段などというものは結局自分が納得した額なのだという思いがあったからだ。今までの値段交渉の経験で、「値段」などというものは日本のように固定されているのではなく、この額ならまあいいかと思った額が「値段」なのだという思いがあった。それが現地の値段と比べて不当に高かったらそれは単に僕が未熟だったというに過ぎない。 もう一つには、取り返すには想像するだけでうんざりするほどの労力が必要なことが明白だったからだ。 さらに預ける自転車はどんな事があっても無くなってはならず、より確実になるならお金の額など問題にならないという理由もあった。列車に乗る事に決めた今、ここでもめて乗せてもらえなくなったら途方に暮れてしまう。保険という意味も込めてボラれたと分かっていて、なお引き下がった。ことなかれ主義だと言われても仕方ないが、かわいい自転車の為だ。金で少しの不安要素が減るならあえてボラれよう。 そんな事よりもアミンにボラれた事の方がこたえた。お前もだったのか、とガックリくる。親切はカネの為だったのか。またかよ、と思う。僕はこんな事が続いたので散々疲れさせられたのだ。大人が何人も寄ってたかってやっと騙して手にするのは1000円。物価を考えると決して安くはないが、費やした時間と労力も多かった筈だ。アミンの取り分はいくらだろう。 一度宿へ帰り、4時にモーリタニア大使館へ行きビザ取得。それから駅へ行った。6時半ごろ列車が入ってきて乗り込む。夜8時、いきなりゴトンと動き出した。 |
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